第2話
婚礼の日。
隣に立つ新たな夫の顔を、あやは綿帽子の下からそっと覗き見た。
そして、変わった見た目をしていた。きれいに整えられた髪は、光をきらきらとはじく明るい茶色。瞳はごく淡い金の色。きめ細やかな肌も透き通るように白かった。
つまるところ、全体的に色素が薄いのだ。その変わった見た目をしかし、あやは不気味だとは思わなかった。
(……きれいな人)
すっと通った鼻筋、長い睫毛、穏やかな線を描く口元。それらを彩る朝の光のような色。
異国の貴人か何かだと言われても信じられる美貌だ。
自分の状況も忘れ、あやはしばらく見入った。
ふと、章次がこちらを向いた。あやは慌てて目を逸らし、顔をうつむけた。
しばらく彼の視線を感じた。だがやがて、金の瞳はすっと離れていった。
あやはほっと安堵した。
きれいな人だ。きれいな人では、ある。
――だが。
(何を考えて私をお求めになったのか全く分からないお方と、これからどう暮らしていくことになるのかしら)
婚礼の儀式を進めながら、小さく溜め息をつく。
亡き母の言葉を、なぜかふと思い出した。
『あや。どんな人にも、誠実に接するのですよ。自分がされて嫌なことをしてはなりません』
ふう、ともう一度息をつく。そうだ。きっと至極、単純な話なのだ。
目を閉じ、心の中で呟いた。
(はい、お母様)
***
その日の夜。
伯爵邸――立派な和風の邸宅である――の一室で、あやは章次と向かい合った。
「旦那様。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
言って三つ指をつき、深く礼をとる。
しばらくしてから顔を上げると、章次はどこか困惑したような表情をしていた。
「……失礼をしてしまったでしょうか」
「いや、そんなことはない――そうかしこまらなくてもいい」
柳眉を寄せ、章次はしばらくあやの顔を見やる。
それから静かに口を開いた。
「君、私が怖くはないかい」
「え……? いいえ、旦那様」
思わずきょとんとしてしまう。どう接するべきか迷いこそすれ、怖いとは思わない。
怖いものがあるとすれば、実家の者たち。あやの大切なものを奪って、表情ひとつ動かさなかった人々。
(あれほどに恐ろしい人たちは――きっと他にいないから)
章次はしばらく考えるようにしていたが、やがて穏やかな声を発した。
「旦那様ではなく、章次と呼びなさい。いいかな」
「……はい、章次様」
あやが頷くと、章次はようやく、小さく微笑んだ。
***
翌朝のことである。まぶしい光がまぶたを透かすのを感じて、あやは飛び起きた。
「……寝坊したっ!」
その直後、自分がどこにいるのか分からなくて、ひとしきり慌てた。
そうだ、ここは実家の奥座敷ではなく、章次と自分の共有する部屋だ。
どうやら婚礼の疲れでぐっすりと眠り込んでしまったらしい。彼が出ていくのにも全く気づかなかったのだ。
(失礼をしてしまったわ。お見送りくらいしなければならなかったのに)
太陽の感じからして、もう昼ごろだろう。いくらなんでも眠りすぎだ。
辺りを見回しながら布団を出る。すると外から声がかかった。
「お目覚めでございますか、奥様」
おそらくは屋敷の使用人だろう。
奥様とは誰のことだろう、と思い、ややあって自分だと気づく。分不相応な扱いに感じて、頬がほのかに熱くなった。
だが「分不相応な扱い」は奥様呼び程度ではすまなかった。
てきぱきとした使用人に、美しい
おいしい
だが何よりもあやの心を奪ったのは、そのあとに連れてゆかれた場所だった。
「こちらでございます、奥様」
屋敷の奥。庭に面した、気持ちのよい部屋。伯爵家は和風の邸宅だが、ここは洋間らしい。
大きな机、
そして壁一面に作りつけられた棚に、びっしりと本が並んでいるのだった。
「……まあ!」
和綴じのものから、あやの知らない言語で書かれた異国の本まで。
こんなにたくさんの本を見るのは――いったい、いつぶりだろうか。
感極まるあやに、使用人は小さく微笑んだ。
「今日の午後はこちらで過ごすようにと、旦那様の仰せでございます。本はお好きに読んでいただいて構わないとのことです」
「そんな……よろしいんですか?」
「『私のものは妻のものだ』と言っておられましたので。どうぞ、ごゆっくりと」
言って使用人は頭を下げ、退出していく。あやは言葉を失った。
(どうして――私なんかのために)
震える脚で本棚に歩み寄り、目についた本を引っ張り出す。
表紙の文字を指先でなぞって、読もうと試みた。
「おち、……物、語?」
だめだ。学校を途中でやめさせられたから、難しい漢字は読めないのだ。
それでも――この本が読みたかった。あやは表紙を開き、文字とにらみ合い始めた。
***
書斎の扉が重い音を立てて開いた。
あやが驚いて顔を上げると、戸口に洋装の章次が立っていた。
とっさに窓の外を見やる。いつの間にか日は傾き始めていた。
「……章次様、申し訳ございません。夢中になってしまって……」
安楽椅子から立ち上がろうとするあやをしかし、章次は小さな笑みを浮かべて押し留めた。
「読めたかい?」
静かに問われ、あやはうつむく。小さくかぶりを振った。
「……いいえ。私は
本を閉じ、もう一度表紙を見やる。すれば章次が人差し指を伸べ、黒い墨の文字をひとつひとつたどった。
「『
「おちくぼものがたり……」
くぼ、窪、窪。
指先で何度も文字をなぞる。その様子を見て、章次が穏やかに笑んだ。
「あやさん。今からでも読み書きを学び直すといい」
「え……?」
思いもよらない言葉にあやは目を見開く。章次の美しい顔をじっと見返した。
「それは、伯爵夫人として恥ずかしいところのないように……でしょうか」
すれば章次はかぶりを振った。
「いいや。――私はね、つらいときは本を読むんだ。あなたにももう一度、そうできるようになってほしい」
「私、にも……?」
――どきり、と心臓が跳ねる。
この人は、どうしてこんなに優しいのだろう。
(悪い噂があるらしいけれど、そんなの信じられないわ)
どきどき、どきどき。心臓の鼓動が止まらない。あやは両の手をそっと握り合わせた。
章次は黙って金色の目を細める。そして手を伸ばし、あやの
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