第2話 出会い



詠(えい)は、憎悪の炎が喉元までせり上がってくるのを、冷水で押しとどめるように抑え込んだ。


(憎い。憎い。この男の剣は、兄上を討った光と同じ色を放っている……!)


目の前の男は、アヴァロン王国の騎士。

彼女の兄、煌夜(こうや)の命を奪った剣を持つ、敵国の人間。

それにもかかわらず、詠は彼に癒しを与えようとしていた。彼女は、倒れる者を見捨てるということができなかった。


「静まれ……私の魂(こころ)よ」


詠は低く囁き、自らの心に沸き立つ感情を、「鎮める」ように霊力で制御した。その冷ややかな霊力は、一時的に感情を麻痺させ、彼女に冷静な行動を促した。

詠は騎士の甲冑を慎重に外し、傷口を検分する。深い爪痕は致命傷を避けていたが、傷口の周囲から、大和の呪力とは根本的に異なる、強烈なアヴァロンの魔法の残滓が微かに漏れ出している。この騎士が、何かしらの魔法具により自己治癒を行っている証拠だ。


(自力で治癒できる力を持っているのね……ならば、なおさら助ける必要はないはずなのに)


彼女は懐から治癒の札を取り出すと、騎士の体を抱き起こした。

彼は、朦朧とした意識の中で、体に触れる温かい手と、鼻をくすぐる大和の霊力の清浄な匂いに気づいた。そして、白衣に身を包み、顔を隠した女の姿を見て、冷静に状況を判断する。


(大和の霊力使いか。)


彼は、彼女が敵国の人間だと瞬時に見抜いたが、同時に、この温かい呪術の力が、彼を殺すためではなく、救うために使われていることも理解した。


《癒(ゆ)》


言霊を乗せた呪力が、傷口に静かに降り注ぐ。それは、痛みを和らげるだけでなく、肉体の奥深くまで浸透し、彼の疲弊した精神を静かに満たしていく。


「……誰、だ」


ルークは、掠れた声で問いかけた。


「私は、この森で癒やしの巫女と呼ばれています。それ以上は知らなくていい」


詠の声は無機質で冷たかったが、その手つきは驚くほど優しかった。ルークは、この冷たい声の主が、自分の命を救ってくれた恩人であるという事実を、騎士としての誇りとともに、強く心に刻み込んだ。


手当を終えた詠は、疲弊した様子で立ち上がった。


「命に別状はない。あとは、あなた自身の力で回復できるだろう?」


詠は、側に転がっていた騎士の剣を持ち上げ、彼の傍らに置いた。銀の剣の冷たい輝きが、月光を反射する。


「その剣……」


詠は、その凶悪な光から目を逸らさなかった。


「二度と、その剣で人を傷つけないで。もしあなたが、真に力を持つ者ならば、その力を救いのために使いなさい」


それは、兄を殺した国の者への、悲痛な願いにも似た言葉だった。

騎士は、仮面の下でただ沈黙した。彼は、こ彼女が敵国の人間だと知っている。

しかし、憎しみに満ちた皇国の民が、憎むべき自分を救ったという事実は、彼の中の大和皇国こそ悪という固定観念を根底から揺さぶった。


「感謝する、巫女殿」


騎士は、かすれた声で礼を言った。


「私は森を護る者。貴女の恩は、この騎士の誇りにかけて、必ずお返しする」


詠は騎士から一歩距離を取り、憎悪を隠した冷たい眼差しを向けた。


「不要よ。」


そう言い残し、詠は静かに闇の中へと姿を消した。

騎士は一人残された湖畔で、彼女の呪力の温かい余韻を感じていた。

そして、自らの剣が放つ光を見つめながら、心の中で考えた。


彼女は大和皇国の人間だ。憎むべき敵国の者でありながら、命の恩人。この恩義は、どういう形で返すべきか――。


それは、彼の中に熱がひっそりと灯った。

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