第8話 必殺呪術・正論パンチ
「それについてなのですが」
付き合ってください、という言葉に対する返答とは、原理上、はい、か、いいえ、の二択である。対して、阿賀谷戸命香の返答は大変型破りであった。
(考えさせてください、とかもあるにはあるとは思うけど……)
しかし、目の前、告白すれば必ずうまくいくという伝説の木の下で行われるそれは、そのどれでもなかった。
(次に、何が来る……?)
その緊張は、校舎裏に潜む合儀肺助も、現場で硬直する真壁動太も一緒であった。
「さすがに、三回も人を呼び出して、自分が一度も出て来なかったのは、どうかと思いますよ」
(しまった、正論だ!)
そして、肺助はこの先、どんな答えが待っているかを悟って目を閉じた。
ここから先、行われるのは『暴力』だろう。
「一回目は、なんか面白そうだったら来てみたけど誰もいないし、二回目はどんな人がこんなひどいことするのかなって思ったけどやっぱりいないし、三度目の正直っていうから、三回目はいるだろうなーって思ったらやっぱりいないし。で、四度目でやっとでてきたね」
おかしい、と肺助は思う。相手はせいぜい百六十半ばほどの身長の少女であり、対する真壁動太といえば百九十センチに近い大男。それなのに今、彼は随分と縮んで見える。すらりと毛並みの美しい黒い狐が、足元の名も知らぬ昆虫を虐めているようであった。
「あ、はい……えっと、それにつきましては……」力なく動太は声を発した。
「人のことを三回も馬鹿にして、よくもまあ、告白うまくいくって思ったよね。どうして?」
「う、え、あ、あの……」それは言葉か或いは嗚咽か。
肺助にはわからなかったし考えたくもなかった――かわいそうなので。
「わたしがここに来たのは、冷やかしです。三回も人を馬鹿にしたような態度をとってなお、ひょこひょこと鼻の下伸ばして出てくる人がどんななのか気になっただけ。あ、そうだ、答えないとね」
阿賀谷戸命香は、その整った顎先、唇に指を当てて思案し、
「無理です、あなたは。ごめんね、とか言う気にもならない。付き合えません。好きにもなりません。そもそもわたしと、一言も喋ったこともないのに、どういう思い込みなのか教えてほしいぐらい。自分に自信があるのかないのかはっきりしたら? 多分、そういうところ直さないと誰にも振り向いてもらえないよ。そういう自信が芽生えるってさ、余程何か、よく効く強い薬でも打たれたのかな」
と、余程強い言葉で動太を打った。動太はついに、膝から崩れ落ちた。柔道でも重量級の彼が、いとも簡単に。
「はあ。なんか言葉も出ないぐらいショック受けてるし、本当に可哀想だね。このまま家帰れないのは目も当てられないし、よく聞いて」
そういって、阿賀谷戸命香は、同じく膝を折って、動太に向く。
「つらい思いしているよね、逃げ出したいでしょ。だから、逃げていいよ。『真壁動太の、阿賀谷戸命香に纏わる記憶を禁ず』」
「え?」そう思わず声を出したのは、合儀肺助だった。当の真壁動太は、ゆっくりと命香を見上げた。
「あと、ここは学校でしょ。勉強する場所なんだから、『真壁動太の恋愛を禁ず』」
そして。
「『真壁動太の、意識を禁ず』」
その言葉に導かれるように、真壁動太はぱたりと横に倒れた。彼女は動太が一秒以上しっかり気を失っていることを、その辺の棒でつついて確認する。
「じゃあ次は!」
それからなんと、すっくと立ち上がった阿賀谷戸命香は、校舎を見上げ、その三階からこっそり顔を出す、合儀肺助と目を合わせた。深い穴のような彼女の瞳は今、肺助を捉えて離さない。そして、これまた左右に奇麗に整い、色の乗った唇が動く。
「いいもの見せてもらったよ。君の『嘘を禁じる呪い』に免じて、全部正直に話しちゃった。じゃあね、肺助さん! また後で!」
そして、手を振り、伝説の木の下から出て行った。
視界が歪み、呼吸が上がる。肺助は外に背を向けて、壁に体重を預け、ずるずると滑って床に座った。全身の血の気が引き、体中が冷え、指先が震える。冷たい汗が、あっという間に肺助の全身を、滝行の後のようにずぶ濡れにした。だが、そこまで至っても、肺助の、心臓の鼓動が、頭の芯から噴き出る熱だけは止まらない。あまりにも奇妙な現象に遭遇し、体調がおかしくなっている。
「どういうことだ……何が起きた……?」
肺助は漸く、指先で何とか鼓動を抑えるように、自身の胸を押した。
脳裏にあるのは、あの少女、阿賀谷戸命香の冷たい笑顔。
「あいつ、呪禁を、禁歌を使ったのか?」
肺助は一度聞いたことがある。
『母さん、おれたち以外に禁歌を使う人はいないの?』
『いません。呪術師や陰陽師はいますが、禁歌は呪禁が変化した独自の呪術です。呪禁も、平安時代ぐらいに京を追い出されてから、それ自体を専門にしている人はいないそうですし、ただの一日も持たない弱い呪術がこうして受け継がれているのは貴重なんですよ』
では、母・合儀椎子の言葉を信じるなら、今目の前で見たことはなんと呼べばいい?
荒い呼吸の中、肺助は袖で額の汗をぬぐった。
――これから、おれはとんでもないことに巻き込まれる、そんな予感がした。
そして、その予感が的中するのは、あまりにも早かった。
於、合儀家宅。一時間後の出来事である。
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