呪術師レオン・ハートは嗤っている

イコ

第1話 それは本当に呪い?

 私、リゼリア・ラビスが、その男に出会ったのは、寒い夜明け前の霧が立ち込める日だった。


 酒臭い息に、無造作に伸ばされた髪は薄汚れていて、お世辞にも綺麗な外見をしているとは言えない。


 年齢も三十代後半か、四十代前半というところだろう。面倒だと感じながらも、自分が所属する第三騎士団の食糧庫に盗みに入るという暴挙に出たからには尋問せざるおえない、


 どうして私が警備をしている時に? そんな悪態を吐きたくなる。


「それで? お名前は?」

「レオンです」

「はっ?」

「レオン・ハート」

「あのね、その名前がどんな意味を持っているのか知っているんですか?」


 くたびれたボロボロの衣類に、目の下には深いくまが出来たしょぼくれた中年。


 彼が発した名前は、魔王を討伐した勇者と同姓同名なのだ。


 現在の世界は、勇者の影響を多く受けている。


「本当にレオン・ハートなんですよ」

「ハァ〜わかりました。では、レオン・ハートさん。あなたに質問です。あなたは夜中に第三騎士団が管理する食糧庫に盗みを働きましたね。どうしてそんなことをしたんですか?」


 私の質問に対して、男は名乗った時の太々しさときとはうってかわって、申し訳なさそうな顔をする。


「えっと、女騎士さん。本当にすまないと思っているんですよ。でもね、こんな身なりをしているからわかってもらえると思うんですが、俺は貧民街出身です。毎日生きるために大変でね。魔が差したと言いますか、どうしてもお腹が空いて、国の管理する食糧庫に入れば何か食べられるだろうって」


 頭が痛くなる。実際に、そんな輩はいくらでも存在する。


 今回、問題なのは、この男が私の目を盗んで、食糧庫に侵入できてしまったことなのだ。


 こんななにものでもない男に侵入されたというのが汚点でしかない。


 だからと言って、切り捨て御免と処刑するわけにもいかない。


 自分の汚点を隠蔽したという騒ぎになる。


 魔王との戦時中であれば、反逆者であると斬って捨てていただろう。だが、今は勇者レオン・ハートが魔王を討伐して世界を救って数年。


 戦争は終わりを迎え、様々な法律が改善されて、法律の名の下で、犯罪者に対しても事情を聞いて、情状酌量の余地があるのか判断しなければならない。


 私には面倒な状況にある。


 第三騎士団副騎士団長。

 

 やっとここまでのぼり詰めた。男ばかりの社会で、出世するために私がどれだけ苦労してきたのか……。


「あのね。国の食糧庫はみんなのものなのよ。貧民街にも数日に一度は炊き出しを行っているでしょ? うちだけじゃない。教会関係者や貴族のボランティアだって存在する。毎日どこかで炊き出しが行われて、戦争孤児やあなたのように戦争で困った人たちの救済をしているじゃない」


 この国は、復興の真っ最中であり、貧民街だけじゃなく、平民街でも食糧不足になっている。


 施せる者は施しを与えよと、王様から命令があって、炊き出しが増えている。

 

「はは、そうなんですよね。それには大変助けられております。あっ、女騎士様は知っておりますか? 貧民街の入り口にある公園で、教会の聖女様が炊き出しに来てくれたことがあるんです。その時は、たくさんの人が集まったんですよ」

「知っているに決まっているだろ。我々騎士団も護衛をしたんだからな」


 あの時は、貧民街の者たちだけでなく、普通の平民も集まって大変だった。

 

 嫌なことを思い出してしまった。あの時も事件があった。


 少女が行方不明になったと騒ぎになったのだ。


 犯人が捕まらなくて、騎士団内で問題になった。


「それは凄い。あの時の騎士団は、第三騎士団の方々だったんですね」

「ああ、そうだ。おい! 余計な話をするな! 今は、貴様の尋問中だ」

「すみません。失礼しました!」

「……で、話は戻すぞ」


 コホンっ! と、咳払いをして、気持ちを切り替える。


「レオン・ハート。あなたは王都第三騎士団管理の食糧庫に侵入し、備蓄食料を盗み食いしているところを現行犯で捕まった。これは、れっきとした犯罪です」

「はい。重々承知しております」


 素直に頭を下げる時だけは申し訳なさそうであり、罪悪感は持っているようだ。


「本来なら、牢にぶち込まれて数年は出られない。……わかっているのか?」

「はい。それは、その……どうにかなりませんかね?」


 顔を上げたレオンが、情けない笑みを浮かべる。


「……は?」

「いえ、その。どうすれば釈放してもらえるのか、条件を伺えればなと。世の中、罪の減刑する交渉というものがあるでしょう?」


 殴っていいだろうか? 今すぐに切り捨てたい気持ちを抑えている私のことを少し考えろといいたい。


「ふざけているのか!」

「ひっ! まさか。女騎士様に対してふざけるなど、とんでもない」


 手を振って否定する口調は軽いが、瞳の奥だけは笑っていないように見えた。


 どこか不気味なのだ。


「……条件、ね」


 頭の中で計算する。


 この男の罪自体は大したものではない。だが、侵入を許したのは私の失態だ。おまけに相手は「レオン・ハート」と名乗った。


 もしも、このまま捕まえた際のリスクもある。


 国中が英雄として讃える勇者と同じ名を持つ、貧民街の中年。笑い話で済めばいいが、妙な噂になれば厄介だ。できることなら、穏便に片付けたい。


「あなたに交渉材料なんてあるの?」

「ありますとも!」


 レオンは、我が意を得たりと、胸に手を当ててみせる。


「私は昔、呪術師でしてね。占いと呪いには自信があるんです」


 にこやかに告げた言葉に、私は呆れるしかなかった。


「……は?」

「貧民街の外れで、小屋を構えておりましてね。便利なものですよ、呪いというのは。恨みのある相手に病を与えたり、運を少しばかり傾けたり」


 呆れてため息が出る。そんなものが本当に存在していたなら、もっと早くに現れて魔王を呪い殺してくれ。


 勇者がどれだけ苦労して魔王を討伐したのか、二時間ぐらい語って聞かせてやりたいぐらいだ。


「呪術なんて、民間療法と一緒にされて、教会からは異端扱いでしょうね」

「おっしゃる通り! ですから、今は開店して廃業しております」

「なら、その能力とやらも、もう使えないのでは?」

「媒体さえあれば、話は別です」


 レオンは、ひらひらと指先を振った。


「髪の毛とか、血とか、名前とか。その人を縛る何かがあれば良いのです。占いも同じですよ。……騎士様。何か、占ってほしいことはございませんか? あなたの未来など」

「未来……占いなんて、信じるわけないでしょう」


 男の言葉に一瞬だけ、考えてしまった自分を殴ってやりたい。

 

 未来などわかるはずないのだ。


「では、呪い殺すとかは?」


 次に出てきた言葉に私は息を呑んだ。


 冗談めかした口調なのに、その瞬間だけ、室内の空気がひやりと冷えた気がしたからだ。


「……私は、騎士団の者よ。誰かを殺すはずがないでしょ」

「もちろん存じております。だからこそ、です」


 椅子の背にもたれ、レオンはニヤリと口角を上げた。


「騎士団だからこそ、呪いたくなるような相手の一人や二人、いるのでは?」


 喉の奥が、かすかに鳴る。


 図星を刺された、なんてことはない。

 ただ、頭にひとりの顔が浮かんだだけだ。


 第三騎士団団長、ダリウス・エルネスト・バロウズ。


 訓練場に顔を出すのは月に数度。


 普段は執務室で酒を煽り、書類仕事は副官に任せ。剣の鍛錬もせず、女と賭け事の噂ばかりが絶えない。


 貴族の三男坊だから、家からねじ込まれて団長になった男だ。


 それでも表向きは団長であり、部下が本人への不満を口にするなど、許されない。私も女ということで、何度か体に触れられたことがある。


 いつ押し倒されるのではないかと恐怖を覚えたことか。


 下衆で最悪な男だ。


「…………」


 思わず黙り込んだ私を見て、レオンは目を細める。


「おや。顔に出ておりますよ、女騎士様」

「出ていない」


 即座に否定するが、頬がわずかに熱くなる。


「第三騎士団の団長殿。……ダリウス様、でしたかね?」


 心臓が、一瞬だけ強く跳ねた。


 どうしてこの男は私が思い浮かべた男の名前を当てられる?


「どこで、その名前を?」

「貧民街にも噂くらい流れてきます。怠け者で、自分の失態は部下に押しつける。市民の間からの評判も、芳しくないようで」


 なるほど、悪名を聞いていたから口にしたのか? だが、どこまでが戯言で、どこまでが本当なのか。この男の言動の一つ一つに自分が翻弄されている。


「そのお方を、呪いたいと?」

「そんなこと、一言も……」

「ですが、もし」


 レオンは身を乗り出し、机の向こうから私を見上げた。


「その方に、ちょっとした不幸が訪れたなら。たとえば、しばらく騎士団の仕事ができない程度の病に倒れるとか。……騒ぎになる程度、例えばこの尋問中に団長さんが死んでしまったら? 女騎士様の私を侵入させたという汚点は、薄まるのでは?」


 心の中を覗かれたような感覚に、背筋がぞわりとした。


 食糧庫に侵入を許した責任。


 監査が入れば、団長はまず部下を叱責し、自分の立場を守るだろう。その矛先に立たされるのは、現場指揮をしていた私だ。


「馬鹿げているわ」


 言い捨てる。だが、頭の片隅で別の声が囁く。


 もし、本当に、ダリウスが倒れれば私は責められない。ましてや、次の団長は私かもしれない。


「女騎士様」


 レオンが、静かに問いかける。


「今だけで結構です。正直に、自分の心にだけ答えてみてください。あなたはその団長殿を、呪いたいですか?」


 息を吸い、吐く。


 呪いたい。

 呪ってやりたい。

 今まで何度、そう思っただろう。


 でも、それを認めたら、自分が何か決定的な一線を越えてしまう気がした。


「……もしも」


 気づけば、言葉が漏れていた。


「もしもよ。もしも、本当に、あの人が明日からいなくなっても、私は困らないかもしれないわね」


 沈黙。ややあって、レオンは嬉しそうに手を打った。


「なるほどなるほどなるほど。よくわかりました」

「今のは、独り言よ」

「独り言は、心の本音が出るものです」


 くつくつと笑いながら、彼は続ける。


「では、こうしましょう。私がその団長殿を呪います。その代わり、それが成功したなら私を釈放してください。……これでどうでしょう?」

「ふざけないで! 私はそんなもの認めていない!」


 即座に否定した。が、内心では真逆のことを考えていた。


 もし、本当に? いや、あり得ない。呪術にそこまでの力はない。仮に存在したとしても、高位の魔術師でもない男が、ここから団長を呪うなどできるはずがない。


 だけど、もしも出来たなら? これは尋問の一つに過ぎない。


 男が勝手に言っているだけだ。


「できるものなら、やってみなさいよ」


 それは、半ば苛立ちと、半ば試すような気持ちで口から出た。


「いいんですか?」

「できるわけがないから言っているの。……やって見せたら、考えてあげるわ」


 レオンは椅子から立ち上がり、拘束された手首を軽く揺らす。


「では、始めましょう。媒体は、名前で十分です。ダリウス・エルネスト・バロウズ第三騎士団団長。……女騎士様が、心の中で強く思い浮かべてください」


 胸の奥がざわつく。


 馬鹿馬鹿しい。こんな子供じみた儀式に意味などない。そう思いながらも、頭の中に浮かぶのは、だらしなく突き出た腹と、酒臭い息の団長の顔だ。


 レオンは目を閉じ、低く、意味のわからない言葉を呟き始めた。


「……ルァ・ハジル、アステ・ノウム……」


 この世界のどの魔法体系にも属さない、濁った音の連なり。声は次第に早くなり、やがてふっと途切れる。


「はい。終わりました」

「……それだけ?」

「ええ。呪いというのは、派手な光も爆発も起こりませんから」


 肩透かしを食らったような気分で、私は鼻を鳴らした。


「くだらない茶番ね。時間の無駄だったわ」

「そうおっしゃらず。効果の程は、すぐにわかりますよ」


 軽口を叩くレオン・ハートに呆れながら、私はしばらく時を待った。


 だが、何も起きない。諦めてこの男を捕まえたことを報告しようと決意した時だった。


 扉が、乱暴にノックされた。


「リゼリア副隊長! 失礼します!」


 部下の若い騎士が、息を切らせて飛び込んでくる。


「今取り込み中よ。後に」

「バロウズ団長が危篤だと連絡が!」


 彼の顔は蒼白だった。


「本日は明け方から、騎士団の会議がありましたので、先ほど団長を起こしにいった者がベッドで心臓を押さえて白目を剥いていると! 医者の診断では……心臓が止まって……っ、息をしていないと!」


 胸の奥が、冷たい手で鷲掴みにされたようになった。


「……何ですって!」


 椅子が軋み、大きな音を立てて立ち上がる。耳の奥で、血の流れる音が轟いた。


 あり得ない。偶然だ。さっき呪いごっこをしたからといって、本当に?


「大騎士長もお見えになっています!!」

「わかった。すぐに行くわ」


 部下にそう告げ、ちらりとレオンを見る。


 彼は、相変わらずの、くたびれた中年男の顔で、こちらを見上げていた。だが、その口元には、ごく薄い笑みが浮かんでいる。


「……聞いたわね」

「声が大きかったので。……いやあ、本当に、死んでしまいましたか」


 肩をすくめて、レオンは呟く。


「おかしいな。呪いに、そこまでの力はないはずなんですがね」


 背筋を、氷の刃がなぞった。


 この男は、本当に何をした?

 本当に、何もしていないのか?


 考える暇さえ与えないかのように、廊下の向こうから怒号と足音が押し寄せてくる。


 遅れるわけにはいかない。


「……レオン・ハート」


 私は短く呼びかけた。


「はい、女騎士様」

「今のところ、あなたが呪いをかけた証拠はない。団長の死とあなたの行為の因果も、ない」


 自分でも驚くほど、声は冷静だった。


「第三騎士団は今から大混乱よ。あなたの相手をしている余裕はなくなる。……ここから立ち去りなさい」

「よろしいので?」

「釈放と言った覚えはないわ。ただ――」


 鍵束を取り出し、彼の前の鎖を外す。金属音が乾いた部屋に響いた。


「二度と、私の前に現れないこと。もしまた同じような真似をしたら、今度こそ牢に叩き込む」


 レオンは目を瞬かせ、それから、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「善処します、リゼリア様」


 立ち上がった彼は、深々と頭を下げる。


「では、お互い忙しくなりそうですね。団長のご冥福を、お祈りしております」


 その軽薄な言葉を背中で聞きながら、私は取調室を飛び出した。


 胸の奥には、ひとつの問いが、焼き印のように残っていた。


 あれは、本当に、呪いだったのか?


 私は数日後、またレオン・ハートを名乗る男に出会うことになる。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あとがき


 どうも作者のイコです。


 ダークなサスペンス雰囲気と、この男は何者?と思っていただければ、応援をお願いします。


 カクヨムネクスト賞用の短編第二弾です。


 良ければ応援お願いします!

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