幕間2:帝都の暗雲

 帝都ヴァイセンブルク。

 伝統と格式を誇るこの巨大な都は、今宵もガス灯の柔らかな光と、貴族たちの欲望に包まれていた。


 皇宮にほど近い、最高級クラブ『白鷲の止まり木』。

 選ばれた高位貴族のみが入会を許されるこのサロンの個室は、分厚い絨毯と紫煙、そして熟成されたブランデーの芳香で満たされていた。


 革張りのソファに深く身を沈める男が三人。


 一人は、白髪を撫で付けた冷徹な風貌の男。帝国の宰相であり、エリザベートの実父であるアルニム公爵。

 一人は、肥満体で酒焼けした顔を持つ、フェルナンド侯爵令息。かつてエリザベートの婚約者であった男だ。

 そして最後の一人は、軍服を着崩し、凶暴な眼光を放つゲルハルト将軍。


「……忌々しい」


 静寂を破ったのは、フェルナンドだった。彼はクリスタルグラスをテーブルに叩きつけ、苛立ちを露わにした。


「聞いたか、公爵。あの『予算喰いの魔女』め、あろうことか敵国リベールの商人どもから金を引き出しおったらしいぞ! 恥知らずにも程がある!」


 フェルナンドの顔は嫉妬と侮蔑で歪んでいた。

 彼はエリザベートを「可愛げのない女」として一方的に婚約破棄し、もっと従順で巨乳の男爵令嬢に乗り換えたばかりだった。

 辺境で野垂れ死ぬはずだった元婚約者が、あろうことか巨額の資金を調達し、華々しい成功を収めつつあるという噂は、彼のちっぽけなプライドを逆撫でするには十分すぎた。


「……落ち着きなさい、フェルナンド君」


 アルニム公爵は、手元の葉巻を揺らしながら静かに言った。その声には感情の色がない。


「報告は受けている。……まさか絶縁状を叩きつけた翌日に、あのような手を打ってくるとはな。私の娘ながら、その悪知恵だけは評価に値する」

「評価だと!? 売国行為ではありませんか! 帝国の領土を敵国の商人に切り売りするなど……即刻処刑すべきだ!」

「ふん、短絡的だな」


 鼻で笑ったのは、ゲルハルト将軍だ。彼はナイフでチーズを突き刺し、口に放り込んだ。


「いいか、小僧。戦争ってのは金がかかるんだ。あの娘が敵国の金でインフラを整備してくれるなら、これほど都合のいいことはねえだろうが」

「な、何だと……?」

「考えても見ろ。我々の懐は痛まない。泥にまみれて働くのは現場の労働者だ。……そして完成した暁には、その橋は誰のものになる?」


 ゲルハルトはニヤリと笑い、テーブルの上に広げられた地図を指差した。

 国境の街、グレンデル。


「橋が架かれば、戦車も、大砲も、鉄道で一気に敵国へ送り込める。あの橋はな、最高に美味い『侵攻ルート』なんだよ」


 フェルナンドが息を呑む。

 アルニム公爵は目を細め、ゆっくりと煙を吐き出した。


「……その通りだ。グレンデルの大鉄橋は、我が帝国の悲願である『東方征服』の要となる。平和利用? 交易? ……馬鹿馬鹿しい」


 公爵の目には、娘への愛情など微塵もなかった。あるのは、道具としての利用価値を見定める冷酷な計算のみ。


「エリザベートには、いい夢を見させておけばいい。金を集め、人を動かし、橋を完成させるまではな。……『完成した瞬間』が、彼女の役目が終わる時だ」


「し、しかし公爵! あの女のことだ、そう簡単に橋を渡すとは思えんが……」


 フェルナンドの懸念に、公爵は薄ら笑いを浮かべた。


「だからこそ、口実が必要なのだよ」


 公爵は懐から一枚の書類を取り出し、テーブルに放った。

 それは、でっち上げられた「内部告発状」だった。


『技術顧問エリザベート・フォン・アルニムは、リベール共和国と内通し、軍事機密を漏洩させている疑いがある』


「なっ……これは!」

「ゲルハルト将軍。君の出番だ」


 公爵は将軍へと視線を向けた。


「開戦の準備は整いつつある。その前に、グレンデルを『軍事統制下』に置く必要があるだろう? ……スパイ容疑の調査という名目で、軍を派遣したまえ」

「ククク……了解した。あの生意気な嬢ちゃんが、軍靴の音を聞いてどんな顔をするか見ものだな」


 ゲルハルト将軍は嗜虐的な笑みを浮かべ、ブランデーを一気に飲み干した。


「橋が繋がるのは三ヶ月後か。……丁度いい。我々の『大掃除』の準備期間としては十分だ」

「完成式典が楽しみですねぇ。……その席には、エリザベートではなく、この私が立っていても良いのですかな?」


 フェルナンドが卑しい笑みを浮かべて擦り寄る。手柄を横取りする気満々だ。


「好きにしたまえ。……ただし、橋だけは傷つけるなよ。あれは私の新しい『おもちゃ』なのだから」


 アルニム公爵は冷淡に言い捨て、葉巻を灰皿に押し付けた。

 赤い火種が、ジュッと音を立てて黒く潰れる。

 それはまるで、辺境で必死に足掻く娘の運命を暗示しているようだった。


 帝都の夜は深い。

 国境の街で灯った希望の光を、巨大な闇が飲み込もうとしていた。

 嵐は、すぐそこまで迫っている。

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