11話 養子縁組

 ――親子になる。

 人生で二度目のできごとに、叡秀は呆然とした。しかし瞬間、震えていた侑浬の手は冷静を取り戻す。侑浬は、急に前のめりで話し始めた。


「麗孝の利はなに? なにが一致するの?」


 まるで商談をする商人だ。快活できびきびとした声は、頼もしさを覚える。馬車に怯えていた子どもとは思えない、凛々しい表情だ。

 物理的な犯罪対策がわかって、怯える心は吹き飛んだのかもしれない。いつだって侑浬は、現実的な行動と数字を信じていた。

 嬉しそうに、麗孝は笑った。行動を共にして数日だが、経営者の顔つきは安心できる。


「当然、事業だよ。お前たちがいなきゃ、薬膳房は成立しない。大損だ」


 納得の深い理由だ。人間のおこなう獣人関連事業は、獣人と繋いでくれる人材は不可欠。侑浬は商売能力もあり、侑珠の愛嬌は客の心を掴む。経営視点で見て、優秀な二人だ。

 けれど、きっと違う。麗孝はずっと、一歩踏み出す大義名分を与えてくれていた。だからこそ、経営論を語る姿は頼もしい。己の利益に、他者の幸せを含める男だ。

 侑浬は養子縁組の書類を見つめながら、叡秀の袖を握っている。侑珠は、いつの間にか眠っていた。落ち着きを取り戻した侑浬の手は、なによりも心地良いに違いない。

 温かな兄弟の姿に、叡秀の胸に火が点る。侑浬の前に膝をつき、手を握りしめた。


「僕は、人にも獣にもなれないまま、十年もぼんやり生きた」


 変わったのは、薬膳の知識が増えたことだけだ。活かすこともなく、宮廷で不満を募らせるしかしていない。

 思い出す雲嵐の顔は、いつも儚げだ。けれど、絶えず手を差し伸べてくれている。


「……侑浬と侑珠に会って、毎日が楽しいんだ。僕の薬膳を喜んでくれて、獣人と繋げてくれた。人間に戻って良かったと、初めて思えたんだ」


 雲嵐と同じ温もりを、叡秀も与えられるのだろうか。

 自信はない。けれど、共に価値ある未来を作りたいと思った。


「一緒に暮らそう。これからは、家族として」

「……でも、迷惑をかけるよ。きっと、依依いーいーに見つかる……」

「依依?」

「あ、えっと……うん……」


 しまった、と言わんばかりに俯いた。響きからすれば、女性の名だ。まさか人身売買か誘拐犯の名前だろうか。麗孝を振り返ってみたけれど、首を横に振っていた。

 なにか、あるのだろう。けれど、最大の防御手段は見つかっている。


「大丈夫だよ。国民を危険から守るために、刑部はいる。依依っていうのは、あとで教えて。先に、刑部から守ってもらえる存在になっちゃおう」

 握りしめた養子縁組の書類を広げ、姓の欄を指差す。

「僕は鍾叡秀だから、鍾侑浬と鍾侑珠になるね」

「叡秀……!」


 冷静を取り戻していた侑浬の目に、涙が浮かぶ。そっと涙を拭ってやると、眩しい笑顔で飛びついてきた。揺れで目を覚ましたのか、侑珠はきょろきょろと首を動かしている。

 兄弟を強く抱き寄せると、柔らかで温かい。両親と同じくらい、心地いい。

 親子になれる嬉しさに浸っていると、ぱんぱん、と麗孝が手を叩いた。


「泣くのはあと。役所があと一時間で閉まる。必要な書類を取りに行くぞ」

「まだなにかあるの?」

「ああ。獣人の養子縁組には、医者の許可が必要だ。涼成に用意させてる」

「えっ、あ、ちょ、ちょっと待って」


 感動の余韻も許さず、麗孝は走り出した。しかし、これでこそ麗孝だ。侑浬も安心したのか、いつもの笑顔に戻っている。

 急いで立ち上がり、医院へ向かった。無遠慮に麗孝は飛び込んでいく。涼成は不愉快そうな顔をしたが、事情を説明すると、嬉しそうに封筒をくれる。


「生態保証の診断書です。獣人を育てるに、相応しい環境と知識を備えています――という書類です。保証人医師が私なので、有事は私が保護をします」

「有難う。助かるよ」

「それと、私は雲嵐さまへ報告に行きます。実は、気になることがあって」


 涼成は麗孝に目配せをした。なにか察したようで、麗孝は侑浬を呼び寄せる。侑浬が少し離れたところで、涼成はそっと顎を引き声を潜めた。


「気を付けてほしい人間がいます。見目は十八ほどの少女で、名を莉依依」

「え!? 依依って、……え? 本当に?」

「知っているんですか?」

「……侑浬が言ってた。依依に見つかる、って」

「侑浬くんが?」


 少しだけ考えこんで、涼成は首を横に振った。


「依依という娘、何度も獣人患者を連れてくるんです。毎回獣種も違うので、件の人身売買犯である可能性が高い。刑部へ報告へ行こうと思ったんです」

「……やっぱり、侑浬と侑珠は犯罪者のところにいたのか……」

「ただの犯罪者ではないかもしれません。依依という名、他で聞いた憶えがあるんです。それも、宮廷にいた数年前」

「そんな昔? 宮廷に関わってる子ってこと?」

「可能性はあります。もし宮廷の内通者なら、刑部とて信用できなくなる」

「……宮廷職員に黒幕がいる、かもしれない?」

「可能性はあります。刑部の前に、雲嵐さまへ報告しますよ。宮廷が敵に回っても、雲嵐さまなら守ってくださる。一刻も早く、二人を認識していただいたほうがいい」


 きゃあ、と侑浬の楽しそうな声がした。侑珠が起きたようで、飛び跳ねてじゃれている。目が合うと、侑珠は叡秀のほうへ来て飛びついてくれる。


「叡秀! 早く行こう!」


 侑珠を追うように、侑浬も走ってきた。手を引かれ、麗孝の待つ方向へ歩き出す。ほんの少し涼成を振り向くと、頷き雲嵐の自宅方向へ走って行った。

 本当なら、叡秀自身で説明に行くべきだ。けれど、いまはすべきことがある。侑珠を片方の腕で抱き、もう片方の腕で侑浬の肩を抱き寄せた。


「行こう。役所は時間きっちりに閉じちゃうからね」

「うんっ! あっちだって!」


 侑浬に手を引かれ、麗孝を追いながら役所へ向かった。

 役所は歩いて数分の距離だ。駆け足で飛び込むと、終了間際だからか、閑散としている。

 涼成の作ってくれた書類を、そろそろと取り出した。ぎっしりと並ぶ多数の項目は、すべて埋められている。保証人氏名には、麗孝と涼成の名があった。

 いくつもの想いを込めた書類を、窓口の女性へ差し出した。

 汎用的な書類だが、込められた想いは計り知れない。叡秀と侑浬と侑珠、三人の在り様を変えてしまう。


「……養子縁組を、お願いします」

「はい。お預かりします」


 緊張の一瞬――の、はずだった。しかし、女性は戸惑いも微笑みもなく受け取る。項目に目を通し、とんとん、と数か所に押印していた。

 一分も経たずに、女性は顔を上げる。書類の下部を切り取り、叡秀へ差し出した。


「不備はありませんね。お預かりいたします」

「はい。それで、どうでしょうか」

「ですから、不備はありません。受理いたしましたので、お帰りください」

「え? あ、はい……?」


 さっさと帰れとばかりに、切り取られた書類を押し付けられる。たしかに『受理』という捺印がされている。

 それだけだった。女性は『受付終了』の札を置き、どこかへ行ってしまった。他の職員も、次々に席を立つ。女性は奥の扉へ入り、同時に「お疲れ様でした」と聞こえてくる。

 終了の挨拶を聴いていると、一人の男が近づいてきた。やはり、まだ手続きなどがあるのだろう。こんなに軽く終わるわけはない。

 目の前にやって来ると、男は深々と頭を下げてきた。


「申し訳ございません。本日は終了となりますので、ご退出をお願いします」

「……はい。すみません」


 かくして叡秀たちは、追い出されるように役所を出た。

 状況を飲み込めずにいると、麗孝が拍手をした。


「よし。これで、お前たちは親子だ」

「え? これだけ?」

「これだけ。十日もすりゃ、お前の戸籍票に、侑浬と侑珠の名前が追記されてるよ」


 きょとんとした侑浬が、ぐいぐいと麗孝の袖を引く。


「国籍は? 侑珠の、侑珠の国籍」

「いま取ったよ。国籍は書類でしかないのさ。侑浬も国籍を取った。控え貰ったろ」


 女性の切り取った書類を指差される。受理の捺印は、『鍾侑浬』『鍾侑珠』の二項目へ乗っている。叡秀は書類を広げ、姓名の欄を侑浬と侑珠に見せた。


「これが二人の姓名だよ。鍾侑浬と鍾侑珠」

「鍾侑浬と鍾侑珠……」

「息子だから、僕の姓になるんだ。姓を訊ねられたら、鍾って答えるんだよ」

「鍾侑浬と鍾侑珠……」


 少しの間、侑浬は考えているようだった。固まる侑浬の腕から、侑珠が飛び降り人化する。現れた人間の侑珠は、『鍾侑浬』『鍾侑珠』の文字を見つめている。


「……これ、ゆりと、ゆず?」

「そうだよ。言ってごらん。鍾侑浬、鍾侑珠」

「しょう、ゆず……」


 ぽつりと侑珠が声を出すと、侑浬もつられたように喋り出す。


「鍾侑浬……鍾侑珠……」

「しょう……」

「鍾……」


 兄弟は固く手を繋いでいた。顔を見合わせては書類に目を戻し、また見つめ合う。

 侑浬と侑珠は、しばらく首を動かしていた。数回繰り返すと、ようやく飲み込めたらしい。並んで、ぱあっと嬉しそうな顔になった。侑浬は侑珠の両手を掴み、引き寄せる。


「侑珠! 挨拶の練習しよう! 『鍾侑珠です』って答えるの! お名前なんですか!」

「しょう、ゆずです!」

「そうだよ! 叡秀の子どもだから、鍾っていうんだ! もう一度ね! お名前は!」

「しょう、ゆずです!」

「お名前は!」

「しょう、ゆずです! おなまえは!」

「鍾侑浬です! お名前は!」

「しょう、ゆずです!」


 侑浬と侑珠は大いにはしゃぎ、飛び跳ね続けた。侑珠は兎に戻り、侑浬よりも高く跳んでいる。二人を守れる安堵はあった。けれど、喜ぶ声に格別な幸福感を得る。 

 はしゃぐ姿を見ていたら、麗孝は「あとは親子で」と言い残し、帰って行った。

 それから、侑浬と侑珠は、眠るまで名を呼び合っていた。鍾侑浬、鍾侑珠、繰り返している。食事中も確認し続け、まるで背景音楽だ。陽気な歌を聴いている気持ちになる。

 名を呼び合う声がしなくなったのは、侑浬も侑珠も眠ったときだった。喋りすぎて疲れたのか、侑浬と侑珠は獣態で丸まっていた。

 仲良く眠る姿を見守りながら、用紙縁組の書類に目をやる。侑浬と侑珠が、叡秀の息子になった証明だ。

 ――たかが紙切れだ。でもきっと、ずっとこれが欲しかった。

 書類を大切に引き出しへしまう。寝間着に着替えると、侑浬と侑珠に並んで横になった。あまりにも近くて、侑浬と侑珠の毛並みに触れる。

 兄弟の温もりは、命を救ってくれた両親によく似ていた。

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