10話 侑浬と侑珠の出自【後編】
「叡秀! 侑珠すごいんだよ! 普通の兎獣人より、ずっと強い脚なんだって!」
「ぴょんぴょん、できる! いっぱい! ぴょんぴょん!」
「へえ! 健康そのもの?」
二人に続いて、笑いながら女性医師が入ってきた。
「身体は健康です。ただ、人間態で歩くのは苦手みたいですね。できるだけ、人間態で過ごしてください。あとは、侑浬くんが少々気になります」
「あ、侑浬も調べたんだ。なんかあったの?」
「身体は問題ありません。ただ、おそろしく、忍耐力と集中力が低いです」
「え? そう? 我慢強いほうだと思うよ。仕事も、一日しっかりやってくれてる」
「本当ですか? 侑珠くんの検査を、一分と待っていられないんですよ。すぐ抱きついちゃう。検査を進めるのが大変でした」
「あ……それは、そうだね……」
「だって、侑珠すごく可愛いんだもん。頑張って、ぴょんぴょんしたんだよ」
「ぴょんぴょん! ぴょんぴょん!」
人間態の侑珠は、両手を上に伸ばして飛び跳ねた。獣態のときほどではないけれど、元気な跳躍だ。侑浬も一緒になって跳ねている。
とても微笑ましいけれど、涼成は抑えるように、侑浬の肩に手を置いた。
「仲が良いのはいいことです。でも、心の制御はしましょう。人間はうるさい者を嫌います。とくに医院は、具合の悪い人も多い。立ち入り禁止にされたら、困るでしょう?」
「はいっ! がんばります! 一分は待ちます!」
高らかに宣言したけれど、侑浬は即座に侑珠へ抱きついた。二人で「ぴょんぴょん」と言いながら、大きく体を揺らしている。跳ねてはいないけれど、静かではない。
「うーん。難しそうだなぁ」
「教育なさい。落ち着きのない肉食獣は孤立しますよ。幼かった私のように」
「説得力ある……」
養育院時代の涼成を思い出し、叡秀は苦笑いを浮かべた。
話と検査を終えて、医院を出た。侑珠の健脚が相当嬉しかったようで、二人はずっと「ぴょんぴょん」と言いながら歩いていた。
可愛い二人を見守っていると、ふいに車輪が道を走る音がした。
遠くから馬車の姿が見える。侑浬は驚いて目を見開き、すぐに侑珠の手を引いて走った。路地裏に駆け込むと、積んであった木箱の裏に身を隠す。
「侑珠。兎になって、ぎゅーってして」
「ぎゅ」
言われたとおり、侑珠は兎へ獣化した。侑浬は強く侑珠を抱きしめ、ぐっと息を殺している。やはり、馬車の音は恐ろしいのだろう。全身を丸めていた。
そっと、叡秀は侑浬を抱きしめた。侑珠を抱きしめる侑浬の腕にも、力が籠る。
声を出さず、しばらく耐えた。車輪が大地を駆け抜ける音は、どんどん近づいてくる。侑浬は強く目を瞑り、侑珠を抱いて動かない。怯える様子の侑浬を抱いていると、すぐに馬車は通りすぎていった。停まる様子もなく、無関心に去っていく。
完全に車輪の音は聴こえなくなり、ゆっくりと侑浬から体を離す。
「もう大丈夫。馬車は行ったよ」
「本当? 誰もいない?」
「見てくるよ。ちょっと待ってて」
路地から顔を出し、周辺を見回した。誰一人として、叡秀など気に留めない。人捜しをする動きも見られない。荒事を起こしそうな、恐ろし気な雰囲気すらなかった。
もう一歩前に出ると、どんっと少女がぶつかってくる。長い黒髪が視界を掠めたけれど、それだけだ。子猫を抱え、涼成の医院へ入って行った。
日常から逸脱することは一つもない。叡秀は侑浬の前にしゃがみ、もう一度抱き寄せた。
「大丈夫だよ。変な奴はいない。家に帰ろう」
「……うん」
震えながら、侑浬はなんとか立ち上がる。侑珠を腕の中に隠し、恐る恐る路地から出た。
表に馬車はおらず、侑浬を振り返る者もいない。やっと安堵したようで、侑浬は深く息を吐く。危なげに歩く侑浬の肩を抱くと、急ぎ足で家に帰った。
夜は、やはり恐ろしいようだった。狭い寝台に嵌め込むように、三人で固まって眠る。侑浬の寝息が聴こえたのは、三時間も経ってからだった。
翌朝になると、侑浬はいつも通りだった。侑珠と水浴びをして、店にも来ている。開店準備にも取り掛かり、釣銭の用意をしていた。
見る限りは、落ち着いたように見えた。けれど、そわそわと店の外を気にしている。侑珠を獣態のままでいさせて、ずっと肩に座らせていた。少し物音がすれば、侑珠を抱いて走る態勢をとる。
常と違うことは明かだった。麗孝も気づいたようで、眉間にしわを寄せている。
「なんかあったのか?」
「馬車に出くわしただけ。怖いみたいなんだよね、馬車。っていうか、たぶん隊商」
「そういや、前に変な反応してたよな。なんかあったのか?」
「わからない。でも、たぶん、人身売買から逃げてきたんだ」
声を出さずに、麗孝は驚いた表情で上体をかがめる。
「……本人が、そう言ったのか?」
「違う。けど、人身売買は隊商らしい。涼成の医院にも、注意喚起が出たって」
「狩猟区に出たってやつか? あれは、刑部に逮捕されたぞ」
「え? そうなの? いつ?」
「ひと月は前だな。誘拐された子も売られた奴らも、すべて保護された。いま出てる注意喚起は、ただの身代金誘拐だよ。人身売買じゃないが、やることは同じ。『子どもをさらって、金で受け渡し』だ。誘拐の実行犯は、馬車を使うらしい。そっちか?」
「どうだろう。けど、誘拐は違う気もするんだ。侑浬って、絶対ちゃんと教育うけてるよね。人身売買ならともかく、単なる誘拐犯があそこまで教育する?」
「しないな。身代金を払う親のいない肉食獣人なんて、まずさらわない」
「だよね。違う人身売買犯でもいるのかな……」
予想と違う情報に混乱した。逮捕されているなら安心だが、同一である保証はない。不安にさせたくはないが、具体的な情報を聴かなければ特定もできない。
しかし、犯人を知っても叡秀では捕まえられない。屈強な男に殴られでもすれば、気を失うか、下手をすれば殺される。
「……手段が欲しいな。侑浬と侑珠を守る、絶対的な方法」
それこそ、刑部も守らないといけないような理由を手に入れたい。
思い浮かんだのは雲嵐だ。雲嵐の養い子とわかれば、おいそれと手を出されることはない。だが、目立つことにもなる。諸刃の剣だ。
悩んでいると、麗孝は軽く笑って、肩に腕を乗せてくる。
「あるぞ」
「あるの!?」
「ああ。俺としても、話さなきゃなと思ってた。ちょうど準備をしたところだった」
たくらみ顔で笑った麗孝は、懐から封書を取り出した。
「それは?」
「準備だよ。閉店後、話をしよう。なあに。お前には馴染みの話だ」
「はあ……」
なぜか麗孝は、小躍りするような足取りだった。期待に満ちた表情は、犯罪など吹き飛ばす強さを感じる。怪訝には思ったけれど、麗孝は侑浬と侑珠に害のあることはしない。
不思議には思ったけれど、麗孝を信じて閉店を待った。夕方になり一息つくと、麗孝はおもむろに立ち上がり封書を掲げる。
「お前たちと、正式な雇用契約を結びたい!」
舞台照明でも降り注ぎそうな、派手な身振りで宣言をされた。侑浬と侑珠も、きょとんとして瞬きを繰り返している。かくいう叡秀も、事情はわかっていない。
「雇用契約って、なに? いま、もう雇われてるよね」
「口約束でな。書類上は俺が経営してるだけで、お前たちは存在しないのさ」
「はあ。契約がないと駄目なの?」
「困るな。俺よりも、お前たちが」
すうっと麗孝の視線が侑浬に移る。強く侑珠を抱き、深くうつむいている。かすかに震えていて、麗孝は「やっぱりな」と呟いた。
「国籍を持ってないな」
「……ない。どこでもない」
「特別就労許可か、難民申請はしたか?」
「してな、い……」
侑浬はどんどん顔を暗くする。なにかに恐れているようで、叡秀は侑浬を抱き寄せた。
「ちょっと待って。なんの話? 雇用契約の話じゃないの?」
「そうだよ。滞在も雇用も、翠煌国民か就労許可のあるに限られる。どちらでもないなら不法滞在だ。国の立ち入り検査があったとき、国外追放になる。ここは養育院じゃない」
「あ……」
すべて説明されて、やっと思い出した。
かつて森で生活していた叡秀も、国籍を持っていなかった。しかし、養育院は難民保護施設を兼ねるため、無国籍でも許された。特別な施設だからだ。
けれど薬膳房は一飲食店。国営でもない。しかも侑浬と侑珠は健康で、森へ行けば自力で生活もできる。状況としては、不法滞在といわれても逆らえない。
「その、難民申請をすればいいの? 僕が身元引受人になればいいよね」
「まあな。だが、俺はこっちをお薦めする。国籍を得て、刑部に守ってもらえる方法だ」
すっと麗孝は封書開け、一枚の書類を机に広げた。全貌を明らかにした書類は、一度だけ見たことがあった。
「養子縁組申請書……!」
――それは、かつて雲嵐に渡され、突き返した書類だった。
養育院を出るとき、雲嵐は胡家で生活してはどうだ、と言ってくれた。胡雲嵐の子であるというだけで、生きる術は増える。私を便利に使えと、手を差し伸べてくれた。
人間の息子になる。それはきっと、父親の遺言だった『人間の幸せ』なのだろう。
しかし、叡秀は断った。両親の鍾姓を手放すことなど、できるわけもない。誰がなんといおうと、叡秀は獣人の子だった。便利な生活なんて、鍾姓の価値に及ばない。
養子縁組申請書は、二度と手にすることはないはずの書類だった。
呆然と眺めていると、麗孝に腕を掴まれる。力付くで、養子縁組申請書を掌に押し込まれた。
「侑浬と侑珠を息子にしろ。親子なら国籍を得られる」
どくんと、叡秀の心臓は跳ねた。
手の中の書類が、急に重く感じられる。たかが紙切れだ。大量印刷され、万人が使用する。だが、そのくせ、人の在り様を変えてしまう。とても恐ろしい紙切れだ。
「……養子縁組……」
無理やり握らされた、養子縁組申請書をじっと見る。
ふと、雲嵐の養子を断ったときを思い出した。どうしてだろう。ずっと忘れていた。
雲嵐は――守ってやれなくてすまないと、悲しげに言っていた。
想い出に沈んでいると、麗孝に両手で顔を挟み掴まれる。記憶にいた雲嵐は、一瞬で蹴り飛ばされた。
「いい加減に目を覚ませ! いつまで『獣人の子』でいるつもりだ!」
怒っているのか、呆れているのか。わからないけれど、麗孝の言葉は叡秀を貫いた。
獣人の子。
人間の揶揄から生まれた言葉は、叡秀の誇りになった。獣人の親を持てたことは、人生で最大の幸運だと示している。これからも変わることはない。
――けれど、親になれる。かつて、叡秀の親がそうだったように。
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