22.海


 南東の港町に着くまでの道中、二人の関わりに変化は無かった。

 相変わらず気軽に雑談をする事は無く、必要最低限の伝達をする事位しか無かった。


 そして、ハイリアルが苛立ちを抱え、それが表に出ないよう堪えている事も変わらなかった。


 レイリーリャは彼に対して怖々しつつも、何かと尋ねたかった。

 特にその身体の状態や罹っている病について尋ねたかった。


 しかしそれを行った事によって、今度はハイリアルが立腹し責められる事を怖がり、躊躇ってためらってしまうのだった。


 尋ねる事が出来ないからといって、その身体の状態についてどうなっているのか、関心が無くなる訳では無かった。


 二人だけで旅をしているにも拘わらず会話がほとんど無い分、余計に関心があった。


 レイリーリャは彼が馬に跨がっている時や休んでいるなどといった時には、振る舞いや態度などといった様子を見ていた。

 意識して観察するつもりは無かったが、それに気付かれて叱責されてしまう事を怖れ、ハイリアルの目線を合わないよう背後から見ていたのだった。



 ある日の贄羊の半刻(15時)位の時の事だった。 

 その時二人は路肩で休憩をしていた。

 しばらく馬に乗り続けたので、馬を休ませるのに丁度良かったからだった。


 彼は愛馬の横に添い、草を食べる様子を見ていた。

 その時彼女は座って休む準備をしようとしたが、その姿が目に入り気になってしまう。準備する手が止まってしまい、ぼぉっと後ろからその背中を目で追い始めてしまった。


 彼は直立したまま愛馬の状態を眺め観察していた。すると突然背中を丸め咳を繰り返した。それが止むと抑えた手を見つめているように、背中越しでそうしているように彼女には見えた。

 彼は手を見つめたまま動きが止まっている。

 彼女もまた動きが止まる。



………………咳って、……まさか、うつる病気ぃ?



 驚きと恐怖を感じ、寒気が全身を貫く。

 自ら気付かぬうちに上半身を後ろに逸らしていて、避けるように固まってしまったまま凝視し続ける。


 ハイリアルは彼女が見ている雰囲気を気付いたようで、その後ろに顔を向けた。避けるような彼女の表情や態度が目に入ると、何も喋らず座った目で凝視する。



―――しまったぁ!ハイリアル様に気づかれちゃったぁぁぁぁ!



 レイリーリャはその瞬間驚愕してしまい、怒鳴られる恐さを感じ始める。

 思わず目を下に逸らしてしまう。


 彼の病が感染ってしまう事に対する怯えを表に出さないように平静さを装いながら、地面に敷いたシートの上にカップを取り出し茶の準備をし始めた。

 彼に関心の無い振りをして誤魔化そうとする。

 その尻尾も下に項垂れる。


 そのような自らの振る舞いに対して、ハイリアルがどう捉えどのように思い感じるかを彼女は理解していなかった。

 いや、感染ってしまう事だけ考え、想像しようとさえしていない。


 彼女の想像に反し彼は怒らなかった。


 彼女を見つめるその目は悔やむように細め、遣る瀬なく無力感に覆われたような口許をしていた。


 

「…………嫌がるな。医者から伝染るとは、…………聞いていない。」



 その声は低く沈んでいた。


 彼女はそのような言動を見て動揺してしまう。


 彼に怒られると思っていたのに、落胆しているような予想外の反応をされたからであった。


 また彼女は彼が罹っている病が伝染する事を嫌がり避けたいとは思っているが、彼自身に関わるのは苦手とは思っていても、嫌ってはいなかった。

 彼に触る事を生理的に嫌だ、身体が拒絶するような事は無かった。


 そして、彼の自尊心を傷つけるつもりも無かったし、従者として、全く適切では無い振る舞いを主人に行ってしまった事も自覚していた。


 そういった事などがあるにも拘わらず、彼に誤解させてしまい辛い思いをさせてしまったように感じたからでもあった。



「…………本当に、申し訳ありません。……」



 その口調は低く沈んでいた。

 彼女は謝る以外の適切な関わりが思いつかなかった。

 そんな自分自身に対する失望と悲しみが心の中から拡がっていった。

 酷い顔をしているんだろうなぁと、謝りながら今の彼女自身の表情をそう自覚してしまう。


 彼は彼女が謝る姿を見ていたが、何も言わずに背を向けた。そして再び愛馬の観察をし始めた。


 ズゼルーマーは首を伸ばし路肩に生えた草を穂先から咥え食べ続けている。

 二人の関りなど頓着する様子を全く示さなかった。



 このような事があったにもかかわらず、レイリーリャはハイリアルに対して関心を持ち続けていた。

 そのような自尊心を傷つけるような振る舞いをされた故であろうか、彼は彼女に自らの身体の状態など、自らに関する事を語る事など無かった。


 相変わらず重く沈んだようで、眉間に皺を寄せた表情のまま何かを堪えるように振る舞い続けていた。


 そして、彼女に自らの病名を伝えるどころか、苦しいという独り言を呟く事さえ無かった。


 道中の所々で、独り森の奥など誰も居ない所へ入っていくと、苛立ちを発散するかのように怒号を上げ、魔法か何かの攻撃方法で轟音を響かせ破壊している事も変わらなかった。


 例え彼女が尋ねても、『魔物がいたから倒した』という、紋切り型の応答で返す事も変わらなかった。


 ただ彼の方でも、独り遠くを見つめ、何も語らずに溜息を吐くような事があった。


 しかし彼女にそのような振る舞いをしている事を気付かれるような事は全くなかった。


 その目が入る所でそれを行う事は全く無く、予め意識するかのように距離を置き、心の内を一切漏らす事は全く無かった。


 要するにハイリアルは、レイリーリャの眼前で自らを曝け出す事は全く無かった。


 そのような壁を作るような振る舞いに対して、彼女は親しみや信頼感を感じる事さえ拒絶するように思え、無力感と寂しさみたいなものを感じるのだった。


 レイリーリャとハイリアルの二人の間を隔たる川は拡がり濁流となって激しく流れていく。



 それから幾日が過ぎ、二人が乗った馬の歩みは半島南岸の港町キムタカシンに向かっていた。


 その町を目指し街道を進み続け、丘の上まで辿り着いた。

 丘を下った道の先には、目的地である港町の町並みが港を中心に囲むように拡がり、その向こうには地平線まで拡がる群青色した海があった。


 レイリーリャはこの光景が目に入ると、感動し心奪われた。



「……なにこれッ!すごーい!」



 思わず昂る叫びが口から飛び出してしまう。

 生まれて初めて見る海だった。

 想像以上に広く大きかった。

 そして鮮やかで深い色合いだった。



「海って、こんなに綺麗だったのぉ。」



 その両目が驚きで見開き、喜びで両口許が上がる。



「…………何を騒いでる。」



 その叫びが耳に入ると、ハイリアルは振り返り彼女の顔を見る。



「……お前は海見るの初めてか。」



 眉間の皺が緩んだ彼の表情は柔らかかった。

 そんな彼女は彼に見つめられる事に耐えきれず顔を下に向け、その視線から逃れるように俯いてしまう。



「…………はい。そうです……。今まで領都から出た事がありませんでしたので。」



 思わず騒いでしまった自分自身に対して恥ずかしくなってしまう。

 生まれ育った孤児院のある領都ズゼロスコエブラーゴから出た事が無く、海どころか大きな湖さえ見た事が無かったのだった。



「そうか……。」



 彼はそう一言だけ返すと、正面に振り返り馬を進める。

 その口許に微かな微笑みを浮かべている。

 振り返る一瞬顔に浮かべていたその表情を、彼女は下に俯いていて、読み取るどころか気付く事も出来なかった。


 彼女は俯いた顔を上げると、改めて道の遙か先にある海を見つめる。身に染みこむような感慨に浸ってしまう。



……………あれは船があるから港だよね。……ホント、海ってどれだけ大きいんだろう……。



 目に入る港に泊められた船や建物と大きさを比べて、思わず呆然としてしまう。


………………この海の遙か先にある大地に、ネレイステセシア様達が渡って楽園を創ったって言われるけど、…………見える訳ないか。…………



 彼女はネレイス教に伝わる神話を思い出す。

 海原の波が陽の光を反射し鱗のように燦めき、水平線の彼方から白い雲が覗き見るように湧き上がる。

 

 ふと目を向けると、いつの間にか彼が乗った馬は先に進んでいる。



「……いっけない。ハイリアル様に置いてきぼりにされちゃう。」



 その呟きは軽やかで楽し気だった。

 彼女は彼が乗る馬に追いつこうと、乗っている馬ズゼルーマーの脇腹を突っつくようにつま先で軽く蹴った。



 しばらくして二人は港町キムタカシンに辿り着いた。

 町に入るなり潮の香りがレイリーリャの鼻をくすぐる。初めて嗅ぐ香りだった。



―――海ってこんな干した海藻みたいな臭いがするんだねぇ……。



 彼女は領都の市場で食材として売られていた干し海藻の臭いを思い出す。



―――やっぱり海の中に潜らないと、海藻って採れないものなのかな。



 顔を上げ海を見つめる。

 その視線の先には、暗く深い藍色と化した南の海原が拡がる。西に顔を向けると地平線の彼方へ沈もうとする夕日が、山野の木々を赤く染め始めている。奔鷲の刻(18時)近くになっていた。

 時間的にも丁度良いので、ハイリアル達はこの町の宿で宿泊する事にした。


 レイリーリャは乗ってきた馬達の入舎と餌やり、荷物の整理などといった諸々の作業を終え、ようやく夕食を摂る事になった。

 彼女が夕食を摂る前に、主人であるハイリアルの給仕を行った。



 ハイリアルの横に立つレイリーリャの鼻孔に、彼が食べる白身魚のクリームソースがけから漂う優しく香ばしい香りがまとわる。

 それが食欲を喉から舌に滾らせ、その上空腹で腹を圧迫され、堪えるのが辛かった。



…………『一口、くださ~い』とか言っておねだりして、食べさせて貰うワケにはいかないよね。……



 彼が黙々と白身魚のクリームソースがけを食べる姿を彼女は眺める。

 そうしながら心の中で本当にそう行動する気のない冗談を思い、少し楽しく感じる。

 ほんの一瞬だけ、空腹が紛れたような気がする。

 そう腹に意識をした瞬間、再び空腹感が腹に襲い始めた。


 

 彼の給仕が終わるまでレイリーリャは何とか我慢して凌いだ。遂に彼女の食事の時となり食堂の席に座る。

 浮かれるその前に、白身魚のクリームソースがけは出されなかった。出されたのは近海魚の塩焼きだった。頭付きで体型が楕円のような全長20cm位の、日本でいう鰺のような魚だった。


 

…………………やっぱりメイドには、ハイリアルさまが食べてたのと同じ物は……出ないよねぇ。追加でお金を払えないし……。



 落胆が微かな期待の上を上書きしながら、苦笑いがその口許に浮かんでしまう。



―――この魚、食べるの初めてだけど、この瓶に入った黒い汁をかければいいのかな?



 テーブルの上に置かれた黒豆醤の小瓶を魚の塩焼きにかける。

 焦げ目がついた青い皮の上に赤味の混じった黒豆醤がかかると、体表を伝い皿の上に流れ落ちた。


 レイリーリャはフォークを胸びれの上辺りを刺し、その周りをナイフで囲むように刃を入れる。そしてフォークに刺さった魚肉を口の中に入れると、口の中に入れ咀嚼する。


 魚肉を一口一口噛み締めると、弾力の残る身の歯ごたえが口に伝わる。

 黒豆醤独特の味わいのある塩味と深い旨味が一噛み毎に交わって口の中に拡がっていく。



「……おいしい。……」



 彼女は感動する余り、思わず言葉が口から漏れてしまう。

 口の中の身を飲み込むと、再びフォークを身に刺してもう一口、口の中に入れる。



…………………海の魚って初めて食べたけど、こんなに美味しいとは思わなかった……。



 両目を閉じたまま身を噛み締め、舌から拡がる味わいに浸る。

 生まれて初めて新鮮な近海魚を食べたのだった。


 彼女が住んでいた領都は内陸にある。その為に新鮮な海水魚が届く事はほとんど無く、市場に並ぶのは干し魚などといった加工品か、川で採れた淡水魚が大多数であった。


 今の彼女には、近海魚の塩焼きに黒パンとスープという、目の前に置かれた料理しか目に入らない。

 塩焼きをつつき、黒パンをちぎって咥え、スープを啜る。自分の料理だけをむさぼり続ける。



「さかにゃ、さかにゃ、しおしおさかにゃ~♫」



 気持ちが昂って即興の歌を小声で口ずさみながら、魚の身を刺したフォークの辺りを囲むようにナイフを入れる。



…………………なぁんか、わたし、久し振りに猫族らしい事をしているような気がする……。



 魚を食べる事に夢中になっている自分自身を省みて、思わず苦笑いしてしまう。


 彼女が座るテーブルの横を通ったおかみの女性が、そんな彼女の食べっぷりを見るとその前で立ち止まった。おかみはふくよかな中年女性でオレンジ色の布を頭に被り、横に大きく広がる口に笑みを浮かべている。



「……おねーさん、この魚、かなり気に入ったみたいね。」



 片手に複数の空いた皿を掲げながら、彼女に声をかける。その声の語尾は少し昂る。



「ええ。とっても美味しくて大好きです。」



 その目が細めると共に両口許が上がり、とろけるような笑みが浮かぶ。



「この魚、初めて食べたんですけど、名前は何って言うのですか?」



 彼女はおかみの顔を見上げながら、フォークに刺した魚の身を口に入れる。



「これはねぇ、ギナウっていってねー、この辺りの海でよく捕れるのよー。」



 おかみは大きな口の口許に笑みを浮かべる。



「ギナウだったら、包丁でとんとんとんと、細かく刻んだ生のものを黒豆醤だれをかけて食べるのが、この辺りの名物なのよー。」



 空いた方の手を包丁に見立てて何回か上下に刻む身振りをする。



「なまで食べるんですかぁ?!」



 彼女は思わず、住んでた所の食習慣ではありえない食べ方の為に驚いてしまい、語尾が昂り顔が引きつってしまう。


 領都では川魚を使った料理はあるが、いずれも煮たり焼いたりして火を通した物ばかりだった。



「当たったりしないんですか?」



「ウチのは今朝漁民ギルドから仕入れた新鮮なものを使ってるから大丈夫よ。ご安心して、どんどんご注文して食べてくださいなぁ。」



 おかみはそう言い終わると、自らが言った事がおかしかったかのように軽く笑った。



「今晩は色々食べちゃいましたので、お腹いっぱいです。これ以上食べるのは無理ですので、また今度ですね。」



 彼女はそう口にしてしまいながら、今度がいつになるかは解らないなぁと自ら思う。


 別のテーブルにいる客達の話し声と食器の立てる音が食堂内に拡がる。


 向かいのテーブルに座っている白髪を横に流した初老の丸顔をした男が目の前の料理に黒豆醤をかけた。それはいくつも角が生えている巻き貝を殻ごと焼いたものだった。

 木のピックを貝の身に刺して身を捻り出した。

 黒豆醤で褐色に色づいたクリーム色した貝の身は螺旋のように丸まる。

 青黒い身の先が左右に揺れる。

 丸顔の初老の男は上から垂らすように青黒い身の先から口に入れる。

 身を一口咥えると顔を下に俯き、味わうように両目を瞑り噛み締め始める。



「……やっぱり『サイフワスレ』の壺焼きはたまらんなぁ。」



 丸顔の男は左右に首を振り噛み締めながら、左右の口許に笑みを浮かべ顔をほころばしている。



「……そういえば、クリームソースがけに使われる魚もギナウなんですか?」



 レイリーリャはハイリアルが食べた料理を思い出し尋ねる。



「……あれはねぇ、ギナウじゃなくて、五色ダイ。この辺りでもあんまり捕れない魚なの。」



 おかみは再び大きな口に笑みを浮かべる。



「ちょっと高くなっちゃうけど、クリームソースの優しい甘みと魚の上品な味わいが合って美味しいから、大物狩ってきた女性の己立者達がお祝いとばかりにこれ頼むのよねぇ。」



「そうなんですかぁ。」



 彼女は興味深そうな顔して相槌を打つ。



「おねーさん、ちょっとぉ。」



 離れたテーブルからおかみを呼ぶ声がレイリーリャの耳に入る。



「ちょっと前に頼んだ酢の物まだぁ。」



 おかみはその声の方向に顔を向け返事すると、再び彼女に顔を向ける。



「ゆっくり味わって、ねっ。」



 そう微笑むと再び声のしたテーブルの方に顔を向ける。



「はい、ゾンビフィッシュの酢の物ですね。少々お待ちくださーい。」



 そしてその場で声を飛ばすように返すと厨房に向かっていった。


 レイリーリャは再び自らの料理に目を向ける。

 片側の身を食べ尽くし、もう片側の尻尾の付いた身だけが残る塩焼きが目に入る。



―――己立者になったら、ハイリアル様が食べてた五色ダイのクリームソースがけ食べれるようになるかな…………。



 彼女は未だ食べた事の無い料理の品の味を想像する。

 舌の上に果実のように酸味がかった甘みに、味が抜けた乳脂肪が混ざったような味が感じられるような気がする。


 そのような想像をしてしまったが、実際のクリームソースの甘みとはかなり違うような気がする。



……まずは実際に頼んで食べてみないと色々解んないか……。



 彼女は持ったフォークを塩焼きの身に刺すと、ナイフも刺してとりわけ始めた。




 レイリーリャとハイリアルの二人の間を遮る川が流れる先には、海が繋がっている。


 この海には船が浮いていれば魚も泳いでいる。


 この二人の間を繋げるつなげる事が出来るものは、あるのだろうか。



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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる

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