一人の少年、深き山に入りてあやしき少女に逢ふこと

白瀬るか

一人の少年、深き山に入りてあやしき少女に逢ふこと

「まあ。こんな真冬の夜中に、一体何をなさっているの?」

 とうとう、死ぬのだと思った。

 雪が降り積もる山の中。凍る寸前の川に入り、玉掬いを始めてどれくらいの時間が経っただろう。笊を持った右手の感覚はとうに無く、水に浸かった足は冷たさより痛みを感じている。

 目の前の川原に、見たこともないくらい豪奢な装束を纏った少女が立っている。満月の灯りに照らされた姿は神々しくて、父が見せてくれた絵巻物に出てくる天女のよう。こんなお迎えが来るのなら、あの世は悪い場所ではなさそうだ。

「石を掬っていらっしゃるの?」

 父と同じところへ行けるのだろうか、ぼんやりと思いを馳せる少年の許へ、いとけない天女は裾が濡れるのも構わず歩み寄る。静かな、まるで足などないかのような歩みだ。

 近くで見ると、最初の印象より幼い。自分より少し年少だろうか。しかし夜更けに、そんな娘が山中にいるはずがない。本当にお迎えかどうか知らないが、徒人ではないのだろう。

「……ええ。この川の砂利には宝玉が混じっていて、それを玉掬いといって近くの者はよく採りに来るんです。俺は、この籠を一杯にするまで戻ってくるなと、殿さまに言いつけられていて」

 細身の少年が腰に下げるには不釣り合いな、米だったら一升は入りそうな籠。底には色とりどりの半透明な石が三つ四つ、月光を反射して転がっていた。

 宝玉は山の神の恵みとされ、初夏には祭りも行われ村の男衆が総出で玉掬いを行う。それだけ人が集まっても、この籠の半分が埋まるかどうかだ。つまり殿の命令は、ただただ少年を苦しめるためだけに下されたというわけである。

「ひどい」

 少女の形の良い眉がぎゅっと寄る。こんな綺麗なひとを悲しませるのは、とても罪深いことに思えた。

「でも、しょうがないんです。父が殿さまを裏切ったから、僕が、その償いをしないと」

「償い?」

「父は侍で、近くの城で働いていたんです。でも、農民が苦しんでいるのを見て、陰から蜂起するのを手伝ったそうです。一揆が鎮められた後、それが殿さまに知られてしまって……」

 気弱かつ温和で、困っている人を放っておけない、侍らしからぬ父。もし、農民を虐げる主を諫める度胸があれば、あるいは罰を受けても処刑されることはなかったかもしれないのに。

「だって、あなた自身は何もしていないのでしょう?」

「これでも、まだ子供だからって庇ってくださった方たちがいて、どうにか打首は免れたんです。本来であれば一族連座……といっても、家族は父と僕だけでしたが。主君を裏切った者の家族としては、幸運な方ですよ」

 こんな扱いを受けているのを見て、あの時庇ってくれた人たちはどう思うだろう。時折、そんなことを考えてしまう。やはり命あっての物種だとか、死ぬよりましだとか説教されるのであろうか。

 恩人のような、そうでないような人たちの顔が脳裏を巡っている間にも、少女はじっと少年の顔を見つめていた。やがて考え込むような仕種をやめると、つややかな桃色の唇を開いた。

「決めた。私、あなたがほしいわ」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。ほしい、とはどういうことだろう。あの世に連れて行かれるのではないのか。

 少女は華奢な指で、赤く腫れた手をそっと包んだ。感覚なんて疾うに失われているはずなのに、白い皮膚が磨き上げられたようにすべすべとしていることが分かった。

「私のおうちに置いてあげる。そんな酷いところになんていることないもの」

「でも……」

「でも? なにか困ることがあるのかしら?」

 殿や世話になった人々が一瞬だけ浮かんで、淡雪のように跡形もなく消えていった。

 少年は上手く動かせない手で、それでも力強く少女の手を握り返した。


 昨夜の雪が嘘のように、快晴の朝だった。城内では、ちょっとした騒ぎになっていた。

 城主が目を覚ますと、枕元に大層立派な漆塗りの箱が置かれていたのである。

 侵入者があったのは明かで、何者の仕業かと大騒ぎになった。城主の剣幕に見張り番たちは狼狽えながらも、誰も近づいた者はいなかったと訴えた。

 一通り怒鳴り散らかして機嫌が一段落すると、今度は例の箱が気になり始めた。

 とろりとした表面の、漆黒の箱。一升枡ほどの大きさであろうか。模様は描かれていないが、その必要も無い美しさで、きっと中身も素晴らしいのだろうと連想させる。

 何某かの罠かもしれない、それでも城主は誘惑に勝てず蓋を開けた。

 箱の中には、あの川で取れる宝玉がめいっぱい、輝きを放ちながら詰まっていた。

 城主は、瞼を下ろすことができなくなったかのように、しばらく目を剥いたまま動かなかった。

 やがて煌めきに瞳を灼かれた城主は、奇怪な叫び声を上げ城を飛び出した。日が沈む頃、城下の畑の中で見つかった城主は以後、正気に戻ることはなかった。

 ――これ以降、例の川で宝玉が採れることはなくなった。


 少年がどうなったかは誰も知らない。だが一度だけ、とある農民が山でそれらしい者を見かけたそうだ。

 彼は薪拾いをしている内に道に迷い、山中にあるとは信じられないほど豪勢な屋敷に辿り着いたらしい。庭も立派で、身形の良い子どもがふたり遊んでいた。農民はその内の片方、少年のほうに見覚えがあった。

 声を掛けようとすると、周囲に少女の笑い声が響いた。甲高くどこか冷たい響きに、俄に背筋が寒くなり慌てて山を下りたそうだ。

 屋敷はその後、いくら探しても見つからなかったという。


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