第一章第四節

静寂。

 あれほどの魔力嵐が吹き荒れた丘は、まるで時間が止まったように静かだった。


 アレンは崩れ落ちた身体のまま、かすかな呼吸だけを繰り返していた。

 闇の魔力は霧散し、赤黒く染まった瞳も元の蒼色へと戻っている。


 ただ――彼の中に、ひとつだけ変わらないものがあった。

 胸の奥に、黒い炎の“残響”がくすぶっている。


『……すぐに分かる。

 魔族とは何か……悪魔とは何か……

 そして、この世界の“嘘”がどこにあるのか』


 意識の底に残った悪魔の声が、ゆっくりと消えていった。



 気づいた時には、アレンは村の医療棟にいた。


 天井は見覚えのある木造、窓から朝の光が差し込んでいる。

 身体は重い。骨の中まで鉛が詰められたような感覚。


「……ここは……」


「気がついたのかい!」


 扉が開き、村長と数人の村人が飛び込んでくる。

 誰もが安堵と驚愕の混じった顔だった。


「アレン……お前が……あの魔族の群れを……!」


「嘘かと思ったが、本当に……あの丘が……」


「神々か……いや、それ以上の……」


 彼らはアレンを見る目を、

 “落ちこぼれ”としてではなく、“何か得体の知れない力を持つ者”として向けてきた。


 アレンは戸惑いながら上半身を起こす。


「ま、待って……俺は……何を……」


 記憶の断片はある。

 だが、戦ったのは“自分”ではない。

 黒い炎、闇の魔力、世界を引き裂くほどの破壊力――

 それらはアレンの魔力ではありえなかった。


 あれは――悪魔。


(……俺は、本当に……契約したんだ)


 胸がざわつき、体温が急に冷える。


 村長がアレンに近づき、静かに言った。


「アレン……魔族を一掃した時、お前の身体を包んでいたあの力……あれは一体……?」


 アレンは答えられない。

 ただ、胸の奥に残る“黒い炎”が微かに疼く。



 その時、村の外から蹄の音が近づいてきた。


 鎧を纏った騎士団が到着し、先頭の男が村人たちに向けて声を上げる。


「王命である! 魔王軍小隊が撃破されたとの報告を受け、調査に来た!」


 騎士たちは丘へ向かい、焦げた大地を見た瞬間、沈黙した。


「……これは……何が起きればこんな……」


「魔族の死骸が一つも残っていない。蒸発……か?」


「いや、それだけではない。この“魔力痕”……何だ、これは……?」


 騎士団長はしばらく黙り、アレンの前に立った。


「これをやったのは貴様か」


「……はい」


「名は?」


「アレン・リュース」


「アレン・リュース。

 王都より正式に告げられた」


 彼の声は固く、厳格で、しかしどこか畏怖の色があった。


今回の騒動を治めた者の功績を認め

「今回の騒動を治めた者の功績を認め

 王立魔法学園・特別入学者としての推薦が出ている」


 医療棟が一瞬静まり返る。


「お、おい……王立……?」


「そんな……村の若者が……」


 アレン自身が、一番理解できなかった。


(俺は……中級魔法しか使えないのに……

 あの戦いは……俺自身の力じゃないのに……)


 村長が震える声でアレンの肩に手を置いた。


「お前は……“世界を救った”んだよ」


 その言葉に、アレンは胸を締め付けられた。


 救った?

 本当にそうなのか?


 あれは本当に“正しい力”なのか?


 あの黒い炎は、確かに魔族を消し飛ばした。

 だが――同時に感じた、あの破壊の喜び。


 悪魔の声。


『我らは魔族とは違う。

 だが同じ根を持つ存在だ。

 いずれ……その意味を知るだろう』


 契約の瞬間、確かに悪魔はそう言った。


(……あれは何を言っているんだ……?

 悪魔と魔族は……同じ「根」……?)


 世界では古来、

 魔族=悪魔の眷属

 と語られている。


 しかし悪魔は、自らを“魔族とは違う”と断言した。


 矛盾。

 常識を裏返すような言葉。


 胸に広がる黒い疑問が、アレンの心に影を落とす。



 騎士団長は続けた。


「アレン・リュース。

 王都へ来るのだ。王は、貴殿が人類にとって重要な存在と見ている」


(……違う。

 俺は“強いから”呼ばれてるんじゃない。

 あの異常な魔力……悪魔の力……それが理由なんだ)


 アレンは悟った。


 世界はまだ知らない。

 魔族の侵攻の裏で何が動いているのか。

 悪魔の声が示した“根”とは何なのか。


 そして――


 自分が何に巻き込まれようとしているのかも。



 村を旅立つ朝。

 丘の上に立ち、アレンは黒く焦げた大地を見つめた。


 風が吹き、土埃が舞い上がる。

 その中で小さな影が揺れた。


 ――あの時、魔族たちを消し飛ばした瞬間。

 闇の魔力の嵐の中で、一瞬だけ“人の形”をした黒い影がこちらを見ていた。


 まるで嘲笑うように。

 まるで、

 「やっと見つけた」と囁くように。


 アレンは目を細めた。


(……あれは……悪魔?

 それとも――魔族?

 いや……それとも……)


 胸がざわつく。


 彼の中に宿った黒い炎が、

 “答えに近づくほど、自分が後戻りできなくなる”と告げていた。



 馬車が王都へ向けて動き出す。

 アレンは振り返り、村にそっと手を振った。


 村人たちは笑顔で応えた。

 誰も知らない。


 その背中に、

 悪魔との契約という巨大な闇と、この世界の“嘘”が絡みついていることを。


 ――こうしてアレンの旅は始まった。


 中級魔法しか使えない、落ちこぼれの青年。

 だがその胸には、

 魔界の“始祖”が選んだ火種が宿っていた。


 この火種が、のちに世界の全てを焼き尽くすか――

 あるいは救いへ導くのか。


 それを知るのは、まだ誰もいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

中級魔法までしか使えないけどスキル同時併用《マルチ・インヴォーク》で世界最強 五月雨 @20110814

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る