第9話 強いでしょ
少女が立っていた。
背は高くない。エルフィより少し低いくらい。でも、存在感がある。
目が輝いている。好奇心に満ちた目。挑戦的な目。負けず嫌いな目。怯えがない。恐れがない。さっきの試合を見ていたはずなのに。壁が消えるのを見たはずなのに。それでも、真っ直ぐこちらを見ている。
「さっきの試合、見てた」
少女が言った。明るい声。遠慮のない声。真っ直ぐな声。
「あんた、強いでしょ」
エルフィは答えなかった。
少女を見ていた。若い。百五十歳くらいだろうか。魔族としてはまだ子供に近い。でも、体つきは戦う者のそれだ。筋肉の付き方が違う。毎日鍛えている者の体。剣も飾りではない。柄が擦り減っている。何度も握られた跡。何度も振られた跡。
強くなりたいのだろう。この少女は。
「ねえ、聞いてる?」
少女が一歩近づいた。怯える気配がない。あれだけのものを見たはずなのに、怖がっていない。
変わった子だ。
「強いでしょって聞いてんの」
「……さあ」
「さあって何よ。見たんだから。あのギルド長を膝つかせたの、見たんだから」
少女の声が大きくなる。広場にいる人たちがこちらを見ている。子供たちが水遊びの手を止めている。老人がベンチから顔を上げている。
「静かにしろ」
「じゃあ答えてよ」
「……何を」
「強いかどうか」
エルフィは黙った。
答える必要を感じなかった。強いかどうか。そんなことは自分で決めることではない。他人が決めることでもない。ただ、生き残ってきた。それだけのことだ。
少女はエルフィの沈黙を気にしなかった。
「あたしはネルフィア」
名乗った。唐突に。脈絡なく。
ネルフィア。
その名前を聞いて、エルフィの心が少しだけ揺れた。ほんの少しだけ。顔には出さなかった。
ネルフィア。あの方の母の名前。あの方が自分に名前をくれた時、その由来になった名前。「ネルフィア」の名は母方で継がれると聞いたことがある。この少女も、その血を引いているのだろうか。
「あんたは?」
少女が聞いた。名前を。
「……エルフィ」
「エルフィ。変わった名前」
少女が笑った。悪気のない笑い。ただ珍しいと思っただけの笑い。
「エルフなの? 魔族なの? どっち?」
「両方」
「混血か。珍しいね」
少女は気にしていない様子だった。混血だからどう、という反応がない。ただの事実として受け止めている。
「で、強いんでしょ」
「……しつこいな」
「だって気になるんだもん」
少女が腰の剣に手をかけた。抜かない。ただ、触れている。無意識の仕草だろう。剣が体の一部になっている。それだけ長い時間、剣と共に過ごしてきた証拠だ。
「あたし、毎日ここで鍛錬してんの。朝から晩まで。強くなりたくて。でも、なかなか強くなれなくて。壁があるっていうか。限界っていうか」
少女の目が真剣になった。さっきまでの明るさが消えて、別の光が宿る。切実な光。渇望の光。
「あんたを見て思った。あれが本当の強さだって。あたしが目指してるものだって」
エルフィは黙って聞いていた。
こういう目を、昔も見たことがある。ミゼルナの目。あの子も同じ目をしていた。強くなりたいという、純粋な渇望。でも、この少女の目はミゼルナとは違う。ミゼルナの目には、どこか歪んだものがあった。執着。依存。崇拝。そういうものが混じっていた。
この少女の目には、それがない。
ただ純粋に、強くなりたい。それだけ。
「ねえ、一回だけでいいから」
少女が言った。
「あたしと、立ち合ってくれない?」
エルフィは少女を見た。真っ直ぐな目。曇りのない目。嘘がない。打算がない。ただ、挑みたいだけ。試したいだけ。自分がどこまで通用するのか、知りたいだけ。
「断ったら?」
「諦めない」
「しつこいな」
「そう言われる」
少女が笑った。悪びれない笑い。開き直った笑い。
エルフィは少し考えた。
断る理由はない。でも、受ける理由もない。この少女と戦っても、何も得るものはない。時間の無駄だ。さっさと立ち去って、宿を探した方がいい。
でも。
この少女の目を見ていると、断れない気がした。なぜだろう。分からない。ただ、この真っ直ぐな目を見ていると、無視できない。背を向けられない。
昔、自分も同じ目をしていたのだろうか。あの方の前に立った時。試される時。認められたいと願った時。
覚えていない。もう、遠い昔のことだ。
「……場所を変える」
エルフィは言った。
少女の顔が輝いた。太陽のように。
「いいの!? やってくれるの!?」
「一回だけだ」
「一回で十分! ありがとう!」
少女が飛び跳ねた。子供のように。喜びを隠さない。抑えない。そのまま表に出す。
変わった子だ。本当に。
「どこでやる? ここじゃ狭いよね。人もいるし」
「どこか広い場所はあるか」
「あるある! 城壁の外に空き地があるの。いつもそこで鍛錬してる」
「案内しろ」
「うん!」
少女が歩き出した。足取りが軽い。弾んでいる。嬉しくて仕方ないという様子。
エルフィはその後に続いた。
広場を抜ける。路地に入る。石畳の道を歩く。少女は時々振り返って、エルフィがついてきているか確認する。そのたびに笑う。嬉しそうに。
「ねえ、さっきの魔法、何重だったの?」
「……七重」
「七重!? 嘘でしょ!?」
少女が立ち止まった。目を丸くしている。
「三重でも天才って言われるのに。七重って。聞いたことない。いや、絵本では見たことあるけど」
「絵本?」
「うん。魔王様の絵本。小さい頃から読んでた。魔王様の側近が七重の魔法を使うって書いてあった」
少女の目がきらきらしている。
「あんた、もしかして側近だったの?」
エルフィは答えなかった。
少女は気にしなかった。答えを待たずに、また歩き出す。
「まあいいや。どっちでも。強いのは本当だし」
城門が見えてきた。大きな門。石造りの城壁。兵士が立っている。槍を持っている。鎧を着ている。だが、緊張感はない。平和な時代の門番。少女が手を振った。兵士が手を振り返す。顔見知りらしい。
「よお、ネルフィア。今日も鍛錬か」
「うん! 今日は相手がいるの!」
「相手?」
兵士がエルフィを見た。怪訝な顔。見慣れない顔だからだろう。
「旅の人?」
「うん。すっごく強いの。楽しみ」
少女が笑った。兵士も笑った。
「ほどほどにしとけよ。また骨折るなよ」
「大丈夫大丈夫」
門をくぐった。城壁の外に出た。
空が広い。城下町の中とは違う。開放感がある。風が吹いている。草の匂いがする。土の匂いがする。遠くに山が見える。鳥が飛んでいる。雲が流れている。
少し歩くと、空き地があった。広い。周りには誰もいない。草が生えている。所々、土が剥き出しになっている。何度も踏み固められた跡。何度も転がった跡。剣を振った跡もある。斬りつけられた木の幹。焦げた石。魔法の練習もしていたのだろう。
この少女は、毎日ここで一人で鍛えてきたのだ。来る日も来る日も。強くなりたいという一心で。
「ここ。あたしの鍛錬場」
少女が振り返った。
目が変わっていた。さっきまでの明るさが消えている。真剣な目。戦う者の目。遊びではない。本気だ。
「お願いします」
頭を下げた。礼儀正しく。深く。
エルフィは少女を見た。
さっきまでふざけていたのに。軽口を叩いていたのに。今は別人のようだ。切り替えが早い。戦いに対する姿勢がしっかりしている。誰かに教わったのだろうか。それとも、自分で学んだのだろうか。
悪くない。むしろ、好感が持てる。
「来い」
エルフィは言った。
少女の目が光った。剣の柄に手がかかる。腰が沈む。構えを取る。
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