第10話 桜

 教員の仕事は思った以上に大変だ。


 ウチの学校は部活動が盛んではないためまだマシな方だが、それでも朝から晩まで色々とやることが多い。それはこの卒業の時期でも同じで、卒業学年である3年がほぼ登校して来なくても忙しい。明後日の卒業式準備も激務に拍車をかけている。


 朝礼が終わり職員室の自席でちょっと一息入れていると、隣の席の神宮寺先生が戻ってきた。


「柴田先生……めっちゃ痩せましたよね? というか若返ってません?」


 聞き方によっては失礼なセリフを言いつつ、神宮寺先生が席につく。


 ボーイッシュな女性で生徒からも人気の高い若い教師だが、既に一児の母だ。人の懐に入り込むのが上手く、俺と違って誰とでもすぐに仲良くなれるコミュニケーションお化けでもある。


「いやー、土日にお腹下して……もうゲッソリですよ」

「それはそれは、強制的なダイエットだったんですね。ご愁傷様です」


 でも私もしたいかもーなんて言っているが、あなたこれ以上痩せる必要ないでしょうと言うくらいスリムな神宮寺先生だ。口に出したらセクハラなので言わないが。


「でも先生、イケメン具合が大幅アップですね! 生徒が騒ぐんじゃないんですか?」

「ははは。一切ノーリアクションでしたね」


 朝すれ違った生徒達は、気づいていないのか興味がないのか、特に大きな反応はなかった。良かったのか悲しいのか自分でも分からない。


「あらー。先生の魅力に気づかないとか、生徒達もまだまだですね」

「本当その通りです」


 ははは、とひとしきり笑い合ってから席を立つ。卒業式の準備のために、体育館の下見に行こうとしたのだ。


「あっ! 先生、大変! ってええ!? 先生? 痩せた?」


 ちょうど職員室のある階の階段を降りきったところで、飛び込んできた女生徒とぶつかりかけた。ウチのクラスの有栖だった。


「どうした?」

「ああっもう、そんなノンビリしてる余裕ないって! 桜がまた絡まれてるのっ!」


 それは確かにノンビリ問答している余裕はないな。


「またか。どこで?」

「体育館前の下駄箱! 松井のヤツ、出待ちしてたみたい!!」


 なるほど。また松井か。有栖を連れ、体育館に急ぎ向かいながら話を聞くと、ゲッソリする内容だった。


 松井という問題児が、俺の女になれと時代錯誤も良い迫り方をしてバッサリ断られたのが先週の金曜日。休みを挟み冷静になったかと思えば、逆に気持ちは盛り上がり続け、今日再び再アタックしようとした、と。


 普通に告白すれば良いのに、格好つけたいお年頃の少年にはそれが難しいようで。俺の女にならないと怖い先輩が黙ってないぜ、とダサすぎるお誘いをしてしまっているようだ。


 今回は結構無理やり連れ出そうともしているようで、マズイ状況みたいだった。すれ違った生徒達に応援の先生を呼んでもらうよう頼み、体育館に飛び込む。


「もう、止めて!」

「良いから来いって! 俺の凄さ知ってるだろッ!」


 玄関前で少女の腕を掴んでいた少年が、血走った目で唾を撒き散らしながら叫んでいた。


「やめろ、松井!」

「先生っ!」


 腕を掴まれていた少女が俺の方を見て、安心したような顔をする。


 柾木桜。


 どこにいてもひときわ目を引く存在の少女だった。

 長い黒髪は絹糸のようにさらさらと揺れ、陽の光を受けるとやわらかく艶めく。華奢な肩からすっと伸びる髪が、彼女の小柄な体をより一層儚げに見せていた。


 整った顔立ちは、「美少女」という言葉では足りない。そこには作り込んだ華やかさではなく、自然に咲いた花のような可憐さがある。


 大げさではなく、テレビに映るアイドルでさえ彼女の隣では色褪せてしまうだろう。


 瞳は大きく澄んでいて、微笑むたびに空気をやわらかく変えてしまう。その笑顔を見ているだけで、守ってあげたいという衝動にかられるような少女だ。


 何を間違ってウチの学校に入ってきてしまったのか。性格も優しく温厚で、とにかくモテまくり、そのせいで色々と被害に遭ってしまう可哀想な女の子でもある。


 今迫っている松井もその魅力に抗えなかった男の一人なんだろうが、180センチを超える男に迫られる小柄な桜という構図は、完全に犯罪臭がする。


「ちょっと、桜が嫌がってるでしょっ!」


 俺の後ろから顔を出し叫ぶ有栖。

 有栖くるみ。桜の友達の一人だ。愛嬌のある顔立ちと、お笑いに対するセンスの良さで、こちらもクラスで人気の少女となっている。


「ウルセェっ!! 俺の女と何しようがお前に関係ねーだろッ!」


 対して松井少年は有栖にも噛みつこうとする。落ち着きがない。


「落ち着いて、一回離そうか。ちょっと腕もつよ?」


 昨今の教育現場は、生徒の身体に触る時には必ず声をかけなければならないという、クソみたいなルールがある。体罰やセクハラになってしまうのだ。


 軽く松井の腕を取った瞬間。


「いでぇっ!?」


 大袈裟に叫んだ松井が、ばっと身体を離し、こちらを睨んでくる。


「てっ、てめえ! 柴田が!! 調子にノンじゃねぇ!!」

「ええー。何もしてないでしょ」


 軽く掴んだだけじゃないか、と思ったところで思い出した。そういえば俺のステータスやばくなってたんだ。まぁ折れてはなさそうだから、無意識に加減は出来ていたんだろう。よくやった俺。


「先生、ありがとう」

「いや、災難だったな、桜」


 男に無理矢理迫られるのは流石に怖かっただろう。俺の後ろで待機していた有栖が桜を慰めていた。俺の後ろで。


「とりあえずさ、一回落ち着こうよ。明後日は卒業式だろ? 問題起こしたら卒業式に出られなくなるぞ?」

「ウルセェ! 俺は特別なんだッ! 俺が桜に相応しい男なんだよ!?」

「いや、そういうのはさ、お互いが想いあってでないとね」

「ウルセェって言ってんだろっ!」


 松井がすぐ側の下駄箱に蹴りを入れると、木造の下駄箱が抉り割れてしまった。大きな破壊音に有栖が小さく悲鳴を上げる。松井の体格は良いものの、特に格闘技などやってきてはいないはずだ。それなのにこの威力。


「おい柴田ぁ! これを見てみろよ!」


 そう言って取り出したのは……Dカードだ。最近見まくっていたから、間違えようがない。


「それ……ダンジョンの?」

「けっ、知ってんのかよ! ツマンネぇ」


 小さな文字だが、確かにDカードには恩恵ギフトとスキルが書かれてあった。


「そうか、高3なら18歳超えるから、ダンジョン行けるのか」

「あーっ、カッコつけて冷静ぶってんじゃねぇよ! 気持ち悪ぃな! 良いか、俺のスキルは――」

「【筋力増強】、だろ? ついでに恩恵ギフトは【暴れん坊】。今のお前にピッタリだな、ジャイアン?」


 スキル名を言い当てられた松井は驚きで目を開いていたが、挑発染みた俺の言葉を理解すると顔をさらに真っ赤にさせる。


 おっと、不味いなぁ。ついナチュラルに煽ってしまった。こんなんだから、敵を増やしてしまうんだろう。でも、無理矢理襲おうとするクズな行動に、どうやら思っている以上に苛ついてしまっていたようだ。


「てっ、てッ、テメェ!!」


 大きく振りかぶった松井が、野生動物のように飛びかかってきた。

 その瞬間、意識が切り替わる。


 世界がスローモーションになり、迫ってくる松井の吐き散らす唾の一滴すら明瞭に視える。


 これなら簡単に避けられる。

 が、後ろに生徒二人がいた。


 松井の迫力に二人とも動けずにいる。俺が避けると、間違いなく松井は後ろの二人にぶつかっていくか、当たり所が悪ければ桜たちが怪我をしてしまうかもしれない。


 仕方ないよな。


 頬に松井の拳が当たり、吹っ飛ばされる俺――とはならなかった。


 松井の拳は確かに俺の頬を捉えたが、その瞬間バギン、と骨が砕ける音が響き、続けて松井のくぐもった悲鳴が漏れた。対して俺はそよ風を頬で受けたような感覚。全くダメージはない。


「ぃでえっ!?」

「あっ、ごめん……」


 どうやら俺の耐久性が松井の拳を痛めてしまったらしい。というか骨が折れるってどんだけの勢いで俺を殴ろうとしたんだ、こいつは。


「てめぇ……マジでぶち殺してやる……」


 涙目でこちらを睨んでくる松井少年。いや、全部が全部自業自得だと思うんだけど……。


「松井君っ!!」


 どう対処しようか悩んでいると、現場に新しい人物が飛び込んできた。


 今時どこで売っているのか聞いてみたい、三角眼鏡の女性教諭――高岡先生だ。松井の担任でもある彼女は、言ってしまえば俺を毛嫌いしている。理由は全く分からないが、きっと癇にさわるんだろうな。生理的に受け付けないってやつだ。俺も嫌いだからお互い様だけど。


 さらに神宮寺先生や男性教諭が数人追いかけて入ってきた。


 手を押さえうずくまる松井。怯える女子生徒二人。ぼーっと立っている俺。あれ、この状況不味くないか。


「松井君、大丈夫!? 柴田先生、貴方何したんですか!?」

「えっ、いや、僕は何もしてませんが――」


 案の定、高岡が凄い剣幕で食ってかかってくる。なんか勢いが松井に似ている。

 そんな松井少年、高岡の言葉に何か閃いたのか、額に大粒の冷や汗を浮かべつつニヤリと口元を歪めた。


「う、嘘つくな! こいつが俺の手を握ってきて、折れたんだよっ!!」


 えー。突然の濡れ衣発生。


「違う! 柴田先生は襲ってきた松井から私を守ってくれただけです!」

「そうだよ! 勝手に松井が自爆しただけじゃん!!」

「黙らっしゃい!! 今はアンタ達に聞いてんじゃないのよッ!!」

「でも――」


 桜や有栖が庇ってくれるが、高岡の剣幕に押されてしまう。

 それでも桜は食い下がろうとしてくれるが、ここで高岡をこれ以上ヒートアップさせても良い結果には繋がらないだろう。


「柴田先生? この件は管理職校長に報告させてもらいますから」

「いや、こっちの話は聞かないんですか?」

「嘘つかれても不快ですから! 弁明は校長先生にどうぞ。松井君、保健室に行きましょう」


 高岡は言うだけ言って、ニヤニヤしている松井を連れて出て行ってしまう。さすが思い込みと決めつけのプロフェッショナルだ。聞く耳を持たないとはこのことを言うんだろう。


 残された俺たちは呆然と二人を見送る。何を言っても無駄だから仕方ない。


「柴田先生……ごめんなさい……」

「いや、お前が悪いわけじゃないだろ? 気にするな」


 桜が涙を零しながら謝ってくるが、そんな姿を見せられると、こっちが申し訳なくなってくる。


「……災難でしたね、先生」

「神宮寺先生、二人をお願いします」


 どの先生も同情的な視線をこちらに向けつつ去って行く。松井の普段の非行は知れ渡っているため、普通の先生なら俺の味方をしてくれるわけだ。最後に残った神宮寺先生が声をかけてきてくれたが、本当災難でしかないよな。


 高岡は校長の中上に話しに行くと言っていたが、中上校長は高岡と直の師弟関係だ。確実に完全に高岡の言い分を信じるんだろう。


 この後に待ち受ける憂鬱な展開に、思わずため息が出る。

 まぁ桜が無事で良かったことが、何よりだろう。

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