第6話 小市民

 ダンジョンから戻ってきたこと、とんでもない力を得てしまったことを実感し、奇声とともに小躍りをかましてしまった。


 冷静になると、誰にも見られていなかったとはいえ、ちょっと恥ずかしい気持ちになってくる。夜風が身に染みるぜ……。


「……ん?」


 さあ家に戻るかと踵を返そうとした時、上空から低い駆動音が響いてきた。飛行機かと見上げてみれば、小さく細長い黒い機体が飛んでいた。目をこらせば、機体の底についたレンズみたいなものが見える。


「なんだろ、あれ?」


 そう呟いて、愕然とした。夜、月明かりがあるとはいえ漆黒の空だ。そんな中はるか上空にある飛行機の細かいディティールまで視えてしまうとは……。

 どうなっているんだ、俺の身体。そのとんでもない力にもう呆れるしかない。


 とりあえず、帰ろう。


 何かいろいろあって疲れた気がする。なんでレンズの付いた飛行機が我が家の上空にタイミングよく飛んできていたのか、そんなことにも考えが及ばないくらいには疲れていた。


 家に入ると、まず部屋着に着替えるついでにパンツ一丁で鏡の前に立ってみた。


「凄いな、これ」


 キレイに割れた腹筋。触ってみるとバキバキだ。ボディビルダーみたいに筋肉が肥大化しているわけではないので見た目は細身だが、余分な贅肉がなく全身が引き締まっている。肌にも張りがあり、確実に若返ったように見える。なぜか、ムダ毛が全て消えていた。どこに行った我がムダ毛よ。


 顔にも変化があり、年を取ることによってできてきた小さなシミやシワが消え、瑞々しい肌になっていた。既に四十を越しているにも関わらず、見た目は二十代でも通じそうだ。いや間違いなく通じる。再び感動が心の底から押し上がってきた。


 問題があるとすれば、この変化をどう誤魔化すかと、明らかにスリムアップしたため服のサイズが合わなくなってしまったことか。


 とりあえず、ぶかぶかになってしまった部屋着を着ながら明日以降どうするかを考えた。


 明日明後日は土日だから家にこもれば良い。

 月曜からの仕事は、休んでいる間に病気で痩せた作戦で無理矢理でも押し通すしかないな。うん。完璧だ。


 そんな完璧計画パーフェクトプランを思い描いていたら、ぴんぽーんとチャイムが鳴った。


 こんな時間にいったい誰だよ。腕時計を見てみるともう21時半だ。宅急便が来るにしては遅い時間だな。


「はーい」

『夜分申し訳ありません。市役所の者ですが、少しお時間よろしいでしょうか』


 市役所って……。こんな時間に……時間外労働お疲れ様です。

 同じ公務員として、ほぼ無賃と言っても過言ではない残業代しか出ない現場で働いている人に同情を禁じ得ない。


「あ、お待ちください!」


 玄関を開ければ、インターフォンのカメラに映っていた通り、スーツを着込んだ二人の男たちとカジュアルビジネス的な衣服に身を包んだ男が一人玄関前に立っていた。


「夜分遅くに申し訳ありません。瀬戸岩市役所環境課の竹林と申します。こちらは佐竹と結城です」


 竹林と名乗ったスーツの男は、後ろに立つ黒縁メガネスーツの男と、隣に立っているカジュアルビジネスの――なぜかこの夜間にサングラスを掛けている――男を紹介してくれた。


「実はこの近所でガス漏れが起こりましてね。皆さんの安全確認を行っているんです」

「ガス漏れですか?」

「ええ、それで申し訳ありませんがちょっと庭の方も確認させてもらっても構いませんか? 万一ガス漏れが広がっていたら危険ですので……」

「あ、どうぞ」


 ガス漏れとか怖いな。ちなみにガス爆発とか起こったらどうなるんだろう。今の俺なら余裕で無傷で済みそうな気がする。


「ありがとうございます」


 職員さん達がカバンから機材を取り出して、庭に入っていった。平成初期の携帯電話のようなゴツゴツとした機材だ。もう一人の職員さんがアンテナのような棒状の機材を四方に向けている。何か本格的な調査で怖いな。


「……」

「ん? 何かありましたか?」

「あっ、いえ。失礼」


 あっちこっちしながら調査している光景を眺めていたら視線を感じて振り返った。カジュアルビジネスマンがなぜかこっちをじっと見てきていた。 


「……異常ありません」

「確かか?」

「はい。間違いありません。痕跡は皆無です」


 スーツの職員達は機材を睨みながら異常を探しているが、どうやら特に問題はないようだ。


 良かった。


 ガス漏れがなさそうなのも良かったが、それよりもダンジョンの【門】が見つからないようで本当に助かった。なんたらの龍さん、ちゃんと仕事をしてくれているようだ。


 しかしこんなにタイミング良くガス漏れ調査というのはそこはかとなく怪しく感じるが、これは俺が考え過ぎなんだろうか。


「……結城さん」

「……問題ない、だろう」


 結城さんと呼ばれたビジネスカジュアルマンが頷くと、スーツ達は機材の片付けを始めた。


「どうやら問題ないようですね。どうもお騒がせしました」

「もし、何か異常等を感じたらすぐにこちらにご連絡ください」


 メガネスーツさんが名刺を渡してきた。ぱっと見た感じ、特に違和感は感じない名刺だった。


「それでは失礼します」

「あ、ありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をして庭から出ていくスーツさん達。最後に背を向けた結城と名乗る男が、ふとこちらに向き直った。


「――!?」


 瞬間、何か不思議な圧がぶつかったような気がした。どこかで甲高い鳥の声が響き、一斉に鳥が羽ばたき発つ音が聞こえる。が、特に俺の身体に何か起こったわけではないようだ。


「ゆ、結城さんッ!?」


 慌てたようにスーツさん達が戻ってきた。一体これは何事だ。


「ど、どうしました?」

「柴田さん、でしたっけ? お宅何か格闘技とかされてますか?」

「いえ、一度も……あっ部活で弓道してたけど、それって格闘技には入りませんよね?」

「ははは。結構です。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。それでは」


 そう言い残し、そそくさと路駐してあった黒塗りのセダンに乗り込む結城さん。慌てたようにスーツさん達も一礼して車に乗り込んでいった。


「……いったい何だったんだろうか」


 とりあえず、今回の調査が本当にガス漏れ調査かダンジョン発生の調査かは分からないが、今俺にできそうなことはなさそうだ。


 タイミング的にはダンジョン発生調査なんだろうなと思うが、なんとか龍さんのお陰でダンジョンはきれいに消えている。ダンジョンがそこにないなら、俺の不法侵入も問いようがないだろうし、逮捕なんてこともないだろう。


 ……ないよね?

 信じるぞ、なんとか龍さん。


 改めて庭を眺め、答えの出ない問いに一つため息をついた。


 ◇


 浩之がとぼとぼと家に戻っていく光景を見終え、モニターからライブ中継の映像が消える。


「竹林に繋げ」


 それを見届けた伊達の指示で、モニターには竹林達調査官の姿が映った。移動中の車内のためか、少し雑音とノイズが走っている。


『竹林です』

「どうだ?」


 何が、とは問わない。それは既にこの場にいる者達には分かりきっている質問だからだ。


『結果はシロです。ダンジョン波の痕跡はゼロ。皆無でした』

「馬鹿な。じゃあ、あのダンジョン波はいったい何なんだ。確かに特Sランクのダンジョンは発生したはずだ」

『……不明です。確かにスキャナが捉えた地点で調査を行ったんですが……こんなイレギュラー初めてです……』


 沈黙が降りる。

 未だかつてADAが誇るダンジョン発生を感知する装置スキャナが間違ったことはなかった。ダンジョン波の大きさ的にも間違える要素は少ない。


 ならば一体何が起こったのか。豊富な実戦経験を持つ大槻や山吹、叩き上げのキャリアである伊達にも検討はつかない。ここに、その答えを出せる者はいなかった。


『――あの柴田ってやつ。あいつがカギだ』


 その沈黙を破ったのは、車内で竹林の隣に座っている男だった。

 結城宍道。日本におけるトップ探索者エクスプローラ。ランク47位の猛者だ。年は三十後半だが、ジャケットの下に隠れている筋肉は、鋼のように堅い。


 サングラスを外しながら、震える手を握りしめた。


『なんなんだよ。あの怪物は』

「……怪物、だと?」

『ああ。俺の全力の"覇気"を完全にスカしやがった。お坊っちゃんみたいな顔して、どんな修羅場潜ったらああなるんだ?』


 庭から去る直前、結城は浩之に向けて殺気を放った。両者の関係性によっては完全に殺し合いに発展するレベルの威力偵察だが、それを浩之は完全に受け流したのだ。


 実際は、浩之にとって取るに足らないレベルでの殺気だったため、向けられたことにすら気づかなかっただけなのだが、結城のトップ探索者としての立ち位置がその真実を想像の範囲外に押しやっていた。


『あの体つきに立ち居振る舞い……違和感の塊だ。まるで幼稚園児が操作している最下層のモンスターみたいだぜ』


 一端の格闘技をかじった者なら、手足や身体のバランス、動かし方である程度の力量は把握することができるという。


 探索者として命のやり取りを積み重ねてきた結城からすれば、浩之のバランスは気持ち悪さしか感じなかった。


「つまり、柴田浩之がダンジョンを走破した可能性がある、と?」


 モニターで同時に聞いていた大槻が問いかける。


『いや、それは分からん……だが、アイツを中心に、これから何かが起こる……そんな予感はする』

「ふむ。お前がそこまで言うからには、何かがあるんだろう……。

 神碑オベリスクのランキングはどうだった?」


 大槻が顎を擦りながら、冴葉に視線を向ける。


「はっ。こちらがランキングリストとなっております」


 -------------


 Rank  Name

  1   ---

  2   J.Wick(US)

  3   I.Muratov(RU)

  4   R.Butler(US)

  5   J.Bond(GB)

  6   J.Li(CN)

  7   D.Johnson(US)

  8   E.Bauer(DE)

  9   I.Mizuse(JP)

  10   J.Chen(CN)   


 -------------


 モニターにリストが表示される。名前と登録された国がランキング順に表示されている。オベリスクの機能で生み出された最新のランキング表だ。


「ランク……1《ワン》。これは?」

「突如としてランキング一位に躍り出た謎の人物。未だオベリスクへの登録が済んでいないいのでしょう」

「つまり、この謎のランクワンが……彼だと?」

「それは不明です。ですが、上位百万位以内に消えた名前はありませんでした」


 それはつまり、全くの新星が突如として現れたということだ。再び会議室に思い沈黙が落ちる。


 しかし、その沈黙は長くは続かなかった。もう考えても仕方ないと、ある意味開き直ったとも言える。


「……暫定的に柴田浩之をランクワン保持者あるいは保持者と関係の深い者だと認定。

 伊達。柴田浩之を要注意人物としてマーク。徹底的に洗いだせ」

「承知しました。本人を召喚等は?」

「不要だ。証拠も推論もない以上、意味がない。暫くは流せ。

 また特Sランクダンジョンについての対応は保留とする。特殊警戒配備は解除とし、通常業務に戻せ。一応、ダンジョン発生地である柴田宅にはドローンからの監視を怠るな。

 山吹事務次官、申し訳ないがしばらくの間水瀬特尉のチームをお借りするが、構わないか?」

「構いません。こちらかも通達を出しておきましょう」


 大槻は一度深く頷き――


「初めての特Sランクダンジョン。そして、消失イレギュラー。これから何が起こるか予測はつかん。各自、気を引き締めて当たれ。以上」


 要件は終わりだ、と通信を切断した。彼にはこれから上層部への情報共有という面倒くさい仕事が待っていた。ここで体力を使う真似はしたくなかったのだ。


「では、私も。伊達君、気になることがあればすぐに共有したまえ」

「はっ、ありがとうございます」


 山吹も切断しモニターがブラックアウトすると、会議室が静かになった。


「……伊達部長」

「例えば…」


 暫くの間目を閉じ、空を見上げていた伊達がぽつりと呟く。


「何らかの特別な恩恵ギフトを得たとする。それが突如現れた特Sクラスのダンジョンを消滅させる程のものだった」

「そんなことが起こるとは……」


 だが否とは言えなかった。それほどにダンジョンが与える影響は大きく、特に恩恵に至っては次元の異なる力を与えることもある。

 伊達が語るような夢物語が起こる可能性はほとんど零ではあるが、零ではなかった。


「そんな神のような力があるのだとしたら。俺は願わずにはおれんよ。その力の持ち主が正しい倫理観の持ち主であってほしい、とな」


 重苦しい沈黙。冴葉は今日だけで何度この心苦しさを味わったのだろうかと自問した。隣に立っている職員は涙目で耐えていた。


「……忙しくなるぞ」


 悲壮な決意を胸に、ADAの面々は眠れぬ夜を迎えるのであった。


 だが。

 神のような力の持ち主は。

 柴田浩之は。

 そんな悲壮感満載な決意を無に返す――想像以上の、小市民だったのだ。

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