第186話 黄泉の国のドクター・ファーマー①

 特殊ダンジョンである【ヒュギエイアの書庫】での激闘から数日後。

 場所は変わり、島根県東出雲町。

 切り立った崖の下に位置する【黄泉比良坂よもつひらさかダンジョン】の入り口前に、俺たちの姿はあった。


 今回のメンバーは、俺とティア、そして柾木諒まさき りょうさんの三名体制だ。

 桜は大学の講義と課題に追われ、白雪さんはギルドに殺到する取材依頼の対応でてんてこ舞いのため、今回はお留守番である。


 陰キャかつコミュ障の俺からすれば、諒さんみたいなイケメンと二人きりで旅行とか拷問過ぎるので、ティアに頭を下げ——それでも渋るのでお菓子抜きの罰は即刻解除させられた——三人旅と相成った訳だ。


「……ふむ。窒素、リン酸、カリウムのバランスか。酸性土壌における石灰の重要性は理解していたが、魔力伝導率との相関関係については、こちらの論文の方が詳しいな」


 探索者向けの更衣室で着替えを終えて来ると、入り口のベンチに腰掛けた諒さんが、タブレットを片手にブツブツと独り言を呟いている。

 どうやら土壌に関する電子書籍を読んでいるらしい。

 その姿を見て、俺は思わず苦笑した。


 彼が身に纏っているのは、いつもの高級スーツではない。

 ホームセンターで新調した、深緑色の作業用ツナギだ。足元には泥に強い長靴、首にはタオル、そして頭には麦わら帽子という、完璧な農家スタイルである。


 だが、素材が良いせいか、あるいは醸し出す知性のせいか。彼が着ると、まるでパリコレの「ファーマー・コレクション」の新作のように見えてしまうから不思議だ。

 ちなみにここまでの道中、ずっとこの格好だった。集合の時には既に着替えていたのだ。ヤバいヤツだ。

 

「随分と熱心ですね、諒さん。まだダンジョンにも入ってないのに」

「当たり前だ。代表、予習は全ての基本だぞ」


 諒さんは真剣な眼差しで俺を見上げた。


「オペも農業も、準備が八割を占める。対象の構造を理解せず、道具の特性を把握せずして、どうして命が育めようか。

 私は昨日、徹夜で『図解・初めての家庭菜園』から『最新・魔力土壌学概論』まで読破してきた」

「……ガチ勢ですね」


 この人、何をやらせてもトップを目指そうとするタイプだ。

 誰かを救うためなら農業すら極めようとするその姿勢には、感服すると同時に一抹の狂気すら感じる。

 でも、こういう人が『主人公』なんだろうな。


「主よ。あやつの目が据わっておるぞ。獲物を狙う狩人の目じゃ」

「そっとしておいてやれ。あれは『やる気』の過剰分泌だ」


 ポテチの袋をガサガサ揺らしつつ、ティア——こちらは山吹色の可愛らしいワンピースという普段着だ——が呆れたようにあくびをする。

 俺はリュックの位置を直し、立ち上がった。


「さて、行きましょうか。目指すは第3階層、『黄泉の国』エリアです」

「お待ちください、柴田さん!」


 俺たちが立ち入り、立ち入り禁止の黄色いテープを潜ろうとした時、背後から慌てた声が掛かった。

 振り返ると、ADAの制服を着た、少し小太りで人の良さそうな中年男性が、汗を拭きながら小走りで近づいてくるところだった。


「はぁ、はぁ……。間に合ってよかった。

 お久しぶりです。ここの統括官の佐渡さわたりです」


 最初の黄泉比良坂ダンジョンへのアタックから、何度か顔を合わせている職員さんだった。

 俺のやらかしに胃を痛めている、可哀想な人でもある。


「お疲れ様です。今日は何か手続きの不備でも?」

「いえいえ! 滅相もありません! むしろ感謝をお伝えしたくて参ったのです」


 佐渡さんは顔を上げ、安堵の表情を浮かべた。


「知っての通り、この黄泉比良坂ダンジョンの入り口が謎の結界によって封鎖され、我々職員ですら一歩も入れない状態が続いておりまして……。調査隊を派遣しても弾き返されるばかりで、ほとほと困り果てていたのです」

「ああ……それは、すみません」


 原因を作ったのは俺だからな。

 ついつい謝ってしまう。


「何を謝られますやら。

 正式に、このダンジョンの管理権限を【空飛ぶ大福】ギルドに委託するという契約が締結されたそうで。

 本日はさっそく調査に?」

「ええ、まぁ、はい。そんなところです」


 さすがにダンジョンを閉鎖したのは私です、それも自分の不労所得のために閉鎖しました。なんて言える訳はない。


「さすがですな。

 ところで、そのスコップや鍬はいったい……?」


 背負っているリュックから覗く農耕道具の数々に、疑問顔になる佐渡さん。

 そりゃ、ダンジョンに調査を来たはずの連中が農業の道具を持っていたら疑問に思うよな。俺でもそうだ。


「ああ、これはですね……。そう、武器なんですよ。彼の」

「おい」


 まぁ、こういう時は、端から見れば完全に農家の装備を完璧に着こなしている諒さんに被っておいて貰おう。


「な、なるほど……さすが一流の探索者となるとひと味違いますねぇ。

 いやはや、しかし、一流と言えば、さすがは白雪さんです。あの鮮やかな交渉術、そして迅速な契約締結……我々ADAにとっても、彼女が窓口になってくれるのは非常に心強い」


 佐渡さんは「ほっほっほ」と好々爺のような笑みを浮かべる。

 だが、次の瞬間、彼の表情が少し引きつり、声を潜めた。


「……それにしても、柴田さんは凄いですね。あの『氷の処刑人』と呼ばれた白雪さんを従えているとは」

「……はい? 処刑人?」


 聞き捨てならない二つ名が出た。

 隣で諒さんも「ん?」と眉をひそめる。


「おや、ご存じない? 彼女がADA本部に監査官として出向していた頃の伝説を」


 佐渡さんは、どこか遠い目をして語り始めた。


「数年前、ある悪徳ギルドがADAの立ち入り検査を拒否し、武装した探索者十名で本部に立てこもるという事件がありましてね。

 警察も機動隊も手が出せない中、白雪さんはたった一人で、クリップボード一つ持って突入したのです」

「……一人で?」

「ええ。そして一時間後、立てこもっていた十名の屈強な男たちが、全員顔面蒼白で震えながら、一列に並んで出てきたのです。

 彼らは口々に『すみませんでした』『もう二度としません』『田舎に帰って農業をします』と泣きながら、自主的に廃業届を提出しましてね」

「な、何をしたんですか……」

「詳細は不明です。ただ、部屋の中から聞こえてきたのは、白雪さんの冷徹な声と、ホチキスを打つ『カチャン、カチャン』という音だけだったとか……。

 あと、救出された人質が言っていました。『彼女の笑顔が一番怖かった』と」


 ヒュオォォォ……。

 心なしか、吹き抜ける風が冷たく感じられた。

 俺と諒さんは顔を見合わせた。


「……なぁ、代表。我々のギルドの出向職員は、魔王か何かか?」

「……深く考えるのはやめましょう、諒さん。俺たちの平和のために」


 白雪さんの有能さの裏には、底知れない闇があるらしい。

 今度から彼女に書類仕事を頼む時は、もう少し感謝の気持ちを込めよう。俺はそう心に誓った。


「と、ともかく!」


 佐渡さんが咳払いをして、話を戻した。

 彼は真剣な表情で、ダンジョンの入り口――その空間を歪めるように展開されている、半透明の結界を指差した。


「管理権が移ったとはいえ、この『絶対不可侵の結界』は依然として健在です。

 ADAが誇る解析班がお手上げ状態だった代物ですよ? 物理攻撃も魔法も一切通じない、神域の断絶です。

 いかに柴田さんといえど、これを解除するのは骨が折れるのでは……」


 彼は本気で心配してくれているようだ。

 ADAの総力を挙げても傷一つつけられなかった壁。

 それを前に、俺たちが立ち往生することを危惧しているのだろう。


 だが。


「ご心配なく。慣れてますので」


 俺は軽い足取りで結界の前まで歩み寄ると、無造作にその「壁」へと身体を預けた。


「えっ!? 柴田さん、危な——!」


 佐渡さんが悲鳴を上げかけたが——


 ヌルンッ。


 衝突音も、衝撃もなかった。

 俺の身体は、まるで水面を潜るかのように、その絶対的な結界をすり抜けていた。

 続いて、諒さんとティアも何食わぬ顔で通り抜ける。


「は……?」


 佐渡さんが口をあんぐりと開けて固まった。


「け、結界が……反応していない? 認証プロセスすら見えなかったぞ!?

 な、なぜだ!? あれは高ランク探索者の全力攻撃すら弾き返した鉄壁の……!?」

「その原因を探ってきます」


 俺は結界の向こう側から、呆然とする統括官に手を振った。


「それじゃ行ってきます。お土産は期待しないでくださいね」


 俺たちは佐渡さんの「ひえぇ……」という引きつった声を背に、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れた。

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