旅情

兼穂しい

第1話

列車がゆっくりと速度を落としはじめた。


山の奥にひっそりと建つその駅は、時代から取り残されたような木造で、夕陽を浴びて柔らかな琥珀色に染まっている。


この駅には長時間停車するらしい。


目的の駅はまだ先だが、時間を持て余してホームに降り立つと珍しい光景が目に飛び込んできた。


駅弁売りだ。


腹がすいていたので財布から千円札を数枚取り出し駆け寄る。


地元の食材を使った個性的な弁当があればいいのだが、無ければ普通の幕の内弁当でも構わない。


お茶も売っているだろうか。


懐かしい光景に心がはやる。


だが近づいてみると、それは駅弁売りではなかった。


全裸の男が、対面立位で全裸の女を抱きかかえている。


("売り"じゃなくて"ファック"か。)


すごすごと車両へ戻ると、ほどなくして列車が動き出した。


二度とこの駅に降り立つことはないだろう。


さよなら。駅待合室の老婦人たち。


さよなら。錆びた駅名標。


さよなら。ファッカー。


女のほうが身体をのけぞらせて喘いでいるようだった。


列車はトンネルを抜け、険しい山間を駆け抜ける。


山の中腹には家々の小さな光が瞬いていた。


こんな奥まった場所にも、人々の生活が息づいているのだ。


列車の揺れに身を任せ、そう思わずにはいられなかった。



~ Fin ~

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旅情 兼穂しい @KanehoShii

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