第2話:暴走機関車とボール



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### 第2話:暴走機関車とボール


「帝王のタックル」事件から数日。

KINGてつこと大門 哲(65)は、日本代表合宿のグラウンドで「生ける置物」と化していた。


若手選手たちは彼に敬意を払い、「てつさん、お茶です」「腰、さすりましょうか?」と過剰なまでに気を遣う。しかしその目には「早く練習の邪魔にならない場所に移動してくれないかな」という本音が透けて見えた。


ヘッドコーチも頭を抱えていた。KINGてつの存在は確かにチームに緊張感をもたらした。だが、それだけだ。現代ラグビーの緻密な戦術論を語り始めると、てつは決まって仏頂面でそっぽを向き、腕立て伏せを始めてしまう。


「てつさん、今は連携の確認を…」

「連携?うるさい。**ラグビー?ボールをうばうのがラグビーだろ?**」


会話にならない。

その日、戦術確認のための紅白戦が行われることになった。コーチが「てつさんはここで見学を…」と言いかけた瞬間、てつはビブスを一枚ひったくり、勝手にグラウンドの中央に仁王立ちしていた。


「おい、始めるぞ。俺様は赤組だ」


赤組の選手たちが顔を見合わせる。青組からは失笑が漏れた。

コーチは大きなため息をつき、「…まあ、すぐバテるだろう」と試合開始のホイッスルを吹いた。


その瞬間、KINGてつの体から発する空気が変わった。

表情は仏頂面のまま。しかしその瞳は、獲物を狙う老いた獅子のように、鋭くボールだけを睨みつけていた。


試合が動く。

青組が華麗なパスワークで陣地を広げる。サインプレー、ダミー、オフロードパス。現代ラグビーの粋を集めたような攻撃に、赤組のディフェンスは翻弄される。


だが、てつだけは違った。

彼は戦術もフォーメーションも一切無視。ただひたすら、ボールを持つ選手の最短距離に、一直線に突き進む。


「うわっ!」

「なんだこのオッサン!?」


青組の選手がパスを受け取った瞬間に、横から突き刺さるように巨体がぶつかってくる。それは洗練されたタックルではない。ただ重く、痛く、そして執拗い。まるで、獲物に食らいつく巨大なワニだ。


**暴走機関車、エンペラーてつ!**

制御不能の鉄塊は、青組の攻撃のリズムをことごとく破壊していく。


グラウンドが異様な熱気に包まれ始めた、その時だった。

事件は、赤組がボールを奪い返した瞬間に起きた。


赤組のエーススタンドオフがボールを持ち、カウンターを仕掛けようと走り出した。味方選手たちがサポートに駆け寄る。完璧な攻撃の形だ。

そのエースの背後から、凄まじい衝撃が襲った。


**「グォッ!!」**


悲鳴と共に、エースはボールごと芝生に叩きつけられた。

チームメイトが駆け寄ると、そこには仏頂面で仁王立ちするKINGてつの姿があった。

タックルしたのは、味方であるはずの、てつだった。


「……な、何するんですか!てつさん!」

「味方ですよ!俺たち赤組でしょ!」


赤組の選手たちから非難の声が上がる。練習は完全にストップした。

だが、KINGてつは悪びれる様子もなく、地面に転がったボールを拾い上げると、こう言い放った。


「…お前がボールを持っていた。だから、奪った。それだけだ」


**誰コレ構わすタックルをかまし、ボールを奪いとる。**

彼のラグビー哲学は、敵も味方も超越していた。ボールを持つ者、全てが敵。グラウンドは、たった一つのボールを奪い合うための闘争の場なのだ。


ついにヘッドコーチの堪忍袋の緒が切れた。

「てつさん!もうやめてください!あなたのラグビーは、チームの和を乱すだけだ!グラウンドから出ていけ!」


険悪な空気が流れる。

選手たちの視線は、もはや敬意ではなく、明確な敵意と軽蔑に変わっていた。


その時、練習を見学していた風間が、静かに呟いた。

「…おい、お前ら。今のでまだわからんのか」


選手たちが訝しげに風間を見る。

風間は、呆れたように続けた。


「今のタックルで、あいつはお前らに教えたんだよ。どんな状況でも、どんな相手からでも、『ボールは奪われるものだ』という絶対的な事実をな。お前らは味方からのタックルを想定していたか?油断はなかったか?あの暴走機関車は、お前らの常識も油断も、全部まとめて轢き潰しに来てるんだよ」


選手たちはハッとした。

確かに、味方からボールを奪われるなど、夢にも思っていなかった。その一瞬の隙を、この老人は見逃さなかったのだ。


グラウンドの隅では、KINGてつが仏頂面のまま、誰に命じられるでもなく、巨大なトラクターのタイヤを一人で押し始めていた。

「フンッ…!フンッ…!」

その姿は、孤高の暴走機関車そのものだった。


若きジャパンの選手たちは、初めて理解した。

この老人は、ラグビーを教えに来たのではない。戦場での生き残り方を、その身をもって叩き込みに来たのだと。

エンペラーてつの爆誕は、チームにとって祝福か、あるいは破滅の始まりか。まだ誰も知らなかった。

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