第2片

「いやあ。本当に助かりました」


『クソでかい犬』――のカタチをした寄星体キメラを始末したあと、依頼人たる老人から感謝の言葉を受け取った。


「ただの暇つぶしだ。礼はいらな――くもないけど。むしろもっと色々よこせといいたいけど。……ここじゃ特に意味はないからな。ちょっと気にするくらいでいいよ」

「は、はあ」


 老人、といったけど恐らく、という推量がつく。なぜならその姿は、真っ黒な影そのものだからだ。

 この世界に普通の人間は存在しない。人間以外しかここにはいない。

 この影人間は映し出されたもの。言うなればまぼろしだ。一応、こんな風に会話はできるが本人の自我が存在するわけではなく。

『もしその人物がここにいたとしたら』取り得る行動、言動をするだけの幻影。

 ときおり現れては厄介ごとを押し付けてくる、まあ、ただのみたいなもんだ。


「そうは仰いますが、心から感謝しているのは本当でございます。ありがとうございます、魔法使い様。あの子も、これで少しは前を向いてくれたら良いのですが……」

「それは本人しかわからない……いや、本人だけが解決しうる問題だ。外野は黙って、そばで見守っときゃいいんだよ。そのうち、自分から部屋を抜け出すさ」


 まあ、ここにあった家は跡形もなく吹き飛んだけどな。どこぞのクソ犬とガキンチョのせいで。影人間と同じく建物なんかの無機物も幻影なんで、『向こう』に影響は出ない、はずだが。


「う、ぐぐぐ……し、シショー……もう反省、したから……」


 声の方へと視線を向ければ、正座姿勢のまま重力場に圧し潰されそうになっている子供がひとり。

 ……恥ずかしい話だけど、あの見た目性別不詳、だけどれっきとした男性体のアイツこそが。


「いいのではないですか? お弟子様は。もう十分反省なされたかと」


 ――――この世界の魔法使いカミたるワタシの、一番弟子だったりする。


「はあ……まあ、もういいか。帰るし。ほらバカ弟子、さっさとこっちに来い」

「!! はーい!」


 バキリ、と重力場が粉砕される。とてとてと駆け寄ってくるバカ弟子。普通の人間なら命を落としてもおかしくない重圧だったはずだが、けろりとしている。

 ここには普通の人間はいないから。コイツもまた、そういうこと。……いつでも抜け出せたのに、律儀なヤツだ。


「それじゃあおじいさん、オレたちはこれで失礼します。……ごめんなさい、家、壊しちゃって」

「いえ構いませんとも。なにせ向こう側にはなんの影響もありませんから。お気になさらず、小さなお弟子さん」


 五、六歳くらいのガキンチョのくせにやけに礼儀正しく挨拶をしたあと、バカ弟子はワタシに寄り添ってくる。……しょうがないから手を握ってやる。

 子供らしい小さく柔らかな左手。まともな人間ではないが、確かに此処に存在する生命の温もり。わずらわしいことこの上ないが、そうしてやらないとコイツ、拗ねるんだよ。ホントめんどくさい。


「じゃあな。老い先短いだろうが、達者で暮らすといい」

「ほっほっほ。なに、これほどお美しい方にお目見えできましたからな。こんな老いぼれにも活力がみなぎるというもの。まだまだ、頑張らせていただきます」

「そりゃどーも。そんなん言われ慣れてるけど」


 老人の影が揺らぐ。

 まるで何もなかったかのように、ではなく。

 ――――元に戻るように、老人の影も家屋の残骸も、まばたきの内に消え去っていた。


「……よし、帰るかバカ弟子」

「うん」


 依頼の完了を見届け、一息つくとともに意識を自宅の方へと向ける。

 ここから徒歩で帰るとしたら憂鬱になる距離。この世界は直径で三十キロ近くある。別に端から端まで歩くわけじゃないが、とてもじゃないけど徒歩でなんか移動してられない。なので。


「よっと」


 ぱっと移動する。さっきまでバカでかいクレーターやら隆起した大地やらがあちこちにある草原だったのに、気づけばワタシたちは光降り注ぐ森の中に佇んでいた。

 これも、ワタシが持つ力のひとつ。この世界の中ならどこだろうと、ワタシにとってはゼロ距離だ。なんつったっけ、ファストトラベル? ってヤツ。

 本来なら自宅の中まで瞬間移動できるんだが……コイツが。


 ”シショーと一緒に散歩したい!”


 なんて駄々を捏ねるもんだから、いつも家から少し離れた地点に跳び、そこから二人で歩いて帰るのだ。ホントめんどくさいな! 言うとおりにしてるワタシ自身もだけど!


「ねー、シショー。わからないことがあるんだけど」

「あん? なにがだ」


 森の中を歩きながら、バカ弟子は問い掛けてくる。その歩幅は小さく、そしてワタシもそれに合わせてやるほど優しくはないので早歩きとなっている。……惜しむらくは、ワタシ自身もそんなに背が高くないことか。なんの苦も無くついて来やがる。


「今日の寄星体キメラってさ。生まれる前に死んじゃった赤ん坊の集合体なんでしょ? それっておかしくない?」

「ああ、そのことか。よく気づいたな」


 まあねえ、と何とも言えない顔で頷くバカ弟子。たぶん、死んだ赤子というフレーズに心を痛めてたりするのだろう。実にわかりやすい。


「人間から生まれる個体は珍しいけど。あれって周囲の環境や軋轢から精神的に不安定になった人間が、自身の魔力を暴走させた時に生まれるんでしょ。赤ちゃんからは発生しないんじゃ?」


 寄星体キメラは世界が生み出した異常バグだ。

 大昔にがあって、世界中にそれまで存在しなかった魔力――あるヤツの言葉を借りるなら、擬似事象確立因子マテリアル・フェノムスというものが溢れかえり、寄星体キメラという化け物を生み出すようになってしまった。


 汚染されたのは世界だけではなく。人間をはじめとした動植物などの生命体も、それまでは保有していなかった魔力を宿すようになった。最近ではほぼ見なくなったが、適応できていない時代には人間から発生する寄星体キメラも珍しくはなかったのだ。原因は、バカ弟子が語ったとおり。


「赤ん坊だってイヤなことがあったら泣くし、楽しいことがあったら笑うだろう。だけど当然、それが憎悪に染まるほどの情緒なんて育っているわけがない。生まれることすらできなかった命ならば、それこそ論じる必要はないってものだ。――――だけどまあ、今回のは本当に珍しいケースなんだよ」


 発生するはずのない赤子の寄星体キメラが出現した理由。それは。


「単純な話。赤ん坊じゃなくて母親だったのさ。自分の子供を何らかの理由により諦めざるを得なくなったどこかの誰か。その罪悪感が、自罰の意識が、殺意の凝縮体となって顕れたってワケ」


 あの寄星体キメラが流暢に話していたのは、そういうこと。ワタシも最初は勘違いしたけど、違うと気づいて『なーんだ』とシラけてしまった。それが真相。

 ……とはいえ母親の寄星体キメラだったというだけじゃ、『まあそういうこともあるか』くらいなんだが。

 ワタシが今回のケースを珍しいと断じたのは、あの母親のは間違いなく、赤子の寄星体キメラだったことだ。


「なにそれ? そんなことあるの?」

「知らん。そうだったんだから、そうだとしか言いようがない」


 あの怪物の体表面についていたたくさんの顔。あれは本当に赤ん坊だった。それらすべてが、核となっていた母親の殺意に呼応するように、無垢な憎悪を周囲に撒き散らしていたのだ。

 まるで、母親の真似をする子供のように。もしくは、守るように。


「この世界には魂の概念がある。輪廻のシステムもな。だから、なんらかの偶然であの母親の想念に引き寄せられていた赤子の魂が、この世界で寄星体キメラとなって一緒に顕れたのかもな。あるいは――――」


 本当に、自らの生存を認めなかった者たちを憎んでいたか。

 ワタシにはそれくらいしか説明できない。魂関連はワタシの担当じゃない……ってわけでもないんだが、本職には劣る。やってやれないことはない、と証明はできたけど。

 ちらりとバカ弟子を見ると、なにやら物憂げな顔。


「お? なんだなんだ。なんか物申したい感じ?」

「そういうわけじゃないけど。……ただ、べつに偶然とかでもないんじゃないかなって」

「あん?」


 そうして、物心ついたころにはすでにソレを喪っていた異世界の魂は。


「やっぱりさ。子供は母親と一緒にいたいんだよ。きっと、今日の寄星体キメラの人がすごく子供のことを想ってたから、そばにいたかったんじゃないかな」


 もう戻らないものを偲ぶように。

 遠くを見つめながら、そんなコトを口にした。


「……まあそれで一緒に化け物になっちゃうのは、なんか人の業的なもの感じてヤなんだけど……それはともかく。あれでしょ、別にあの人自身がどうこうなったわけじゃないんでしょ」


 あの化け物は外の世界には顕れていない。

 それが出現する前にこっちの世界で受け持ち処理することで、ワタシは人々の平和を守っている、というわけだ。基本的には自然発生する、外の世界のヤツらには対処できない寄星体キメラの相手ばかりだけどな。あの音速犬とか。あとテンシとか。


「ああ。今回の母親がどういった経緯で子供を失ったかは知らないけどな。通常の寄星体キメラならいざ知らず、人の精神から発生したものはワタシにはどうしようもない。怪物化する前に、魔力をこちらに吸い上げて鎮静化するくらいしかな。だからまあ、せいぜい少しだけ罪悪感が軽くなる程度だろう」


「そっかー。……立ち直ってくれたらいいけど」

「あの爺さんにも言ったけどね。本人の問題なんだからほっときゃいいんだよ。つーか、ワタシが手を貸してやったんだからさっさと立ち直れってハナシ。……まったくこれだからニンゲンは」


 たかが雑魚のためにかけた労力を思い愚痴を零すと、急にバカ弟子がくすくす笑い出した。


「なんだよ?」


「いや。シショーってさ、人格破綻かつ社会不適合に加えロクでもない人でなしのクセに――――けっこう優しいよね」


 とりあえず、一言どころか三言多いバカ弟子の頭をズガンとはたくことにした。

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