第7話 (音楽が記憶を紡ぐ)

夕暮れの柔らかな光が、カフェの窓越しに二人を包み込んでいた。リナの穏やかな声が、雨音とともにひかりの心に染み入るようだった。



「おじいちゃんが作った曲、お母さんが歌ってくれた歌…。その音楽が、私たち家族をいつも繋いでくれてたの。」


リナは遠い目をして話しながら、小さな幸せの記憶を一つ一つ辿るように紡いでいく。

ひかりは目を閉じ、リナの言葉が生む情景を心の中で描いていた。

赤々とした夕陽が照らす村の風景、家族が寄り添い奏でる音楽。そして、それが日々の疲れや寂しさを癒していく…。


「音楽には力があると思う。見えないけど、とても強い…。」


リナの言葉がひかりの心の奥底に触れ、静かだった記憶の扉をそっと揺り動かす。



  (心の奥で閉ざされていた風景が蘇る。)



ひかりの胸の中に、ある冬の日の記憶が溢れ出した。それは児童養護施設での実習の日々だった。

彼女は自分の指先に、少女の小さな感触を思い出す。

髪留めがなくなり、困り果てた少女が「赤い花の髪留め」を探し続けた場面。


「手伝ってくれてありがとう」


と微かに笑った少女の顔。

その笑顔の裏には、彼女が日々向き合っていた孤独の影が透けて見えた。


覚えたばかりの手話で伝えた賛美歌の歌詞。


「もっと歌おう」


と心を込めて語りかけてくれた少女の声。

それはまるで彼女の涙の裏に隠された願いを込めた響きのようだった。


リナの「音楽の力」という言葉が、ひかりの記憶に音楽を蘇らせ始める。

賛美歌の旋律、共に歌った瞬間、そして少女の瞳に揺れる希望...、すべてが彼女を今へと繋ぎ、生きている証のように脈打ち始める。


しかしその記憶とともに胸を刺すのは、果たせなかった「約束」だった。


「もっと歌おう」


と言われた言葉。しかし、彼女はそこで足を止め、彼女自身がその言葉を遠ざけてしまった。


ひかりは瞳を閉じたまま、小さく息を吐く。心の中で少女の声が、未だ響いていることに気づく。



その夜、窓の外に叩きつける雨がひかりの胸を重たく覆っていた。リナの語った家族の絆、音楽の力、そして自身の記憶に触れた痛みが、静かだった心を深く揺り動かしている。


ひかりは無意識に歩き出していた。雨に濡れた街を彷徨いながら、目指す場所はただ一つだった。教会...。

音楽と記憶がひかりを導き、胸の奥に封じた過去と向き合わせようとしている。



教会の扉を開いた瞬間、外の嵐の轟音がかき消され、静寂がひかりを包み込む。ずぶ濡れの身体が寒さに震えるのも忘れ、彼女はゆっくりと中央の祭壇に歩み寄る。


ピアノが、彼女の目の前に佇んでいた。施設の子供たちが歌ってくれた賛美歌、それに合わせて響いていたピアノの記憶が蘇る。


ひかりは無意識に、ピアノに手を伸ばしていた。冷たい鍵盤に指を置いた瞬間、心の中で旋律が崩れるように流れ出す。自然に賛美歌の調べがひかりの指に宿り、音符が一つ一つ、記憶と感情を紡ぎ出していく。


少女の顔、約束、そして失った時間…。

ひかりは涙をこぼしながら演奏を続けていた。


教会内に響く旋律は、嵐に打ち消されることなく、彼女の中で未来への灯火となり始める。


「音楽は、生きる希望を結びつけてくれるかもしれない。」


そう心の中でつぶやき、ひかりは演奏を終えると静かに息をついた。教会の静寂の中、自分自身の心を暖かく包む何かを感じながら、ひかりは初めて


「また歌いたい」 


という気持ちを抱いていた。失った少女との約束を胸に、彼女は立ち上がった。


ひかりが歩み出した未来はまだ不確かだ。

しかし、音楽は彼女を過去から解き放つ鍵となり、再び心を繫ぐ力を彼女に与えた。


教会を出て降る雨の音に耳を傾けながら、ひかりはそっと笑みを浮かべる。彼女の心には確かな炎が灯っていた。


(続く)

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 光の居場所 king of living water @satoshimizujp

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