第2話 神の使い
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――少女の声を聞く。
静寂に包まれた世界に、一人ぽつんと立っていた。
怖さはなかった。ただ、私は完全にリアリティを失っていた。
「はじめまして、佐藤菜月さん」
私を、名前を呼んだ?……、空耳、でも。
不思議な声が続けて私に話しかけてきた。
「どうしちゃったのさ、そんな濡れネズミになって」
声色から小さな女の子の姿を思い浮かべる。
一瞬、お化けが出たのかと思ったが違和感に首を傾げた。
聞こえてきたその声に恨めしい感じは無い。
いや、むしろ弾むような抑揚があり、口調も軽妙である。
これはどういうことだろうか。
もしも本当に小さな女の子であるならば、それはこのような時間、このような場所と状況には相応しくない。
けれどお化けにしても、想像するおどろおどろしいものとは違って、声色が陽気すぎる。
私は一度強く息を吐き、ギュッと瞼を閉じて首を振った。
気を取り直して周囲を見回す。
声の主は見つからない。
「うん、当たりだ! 君にはあたしの声が届いたんだね」
「――誰?」
虚空に向けて尋ねた。
これはやはり幽霊かと思った。
「誰が幽霊だ! 失礼しちゃうな、もう。でもまぁ仕方ないか、そう易々とあたし達に出会えるものではないからね。それより上を向いてごらんよ」
言われるままに上を向くと、そこに暖かな光が見えた。
どうやら声は、その丸い光の中から発せられているようだ。
手でひさしを作り、目を細める。
光の中を目を凝らして見た。
――驚いた!!
翅を生やした小さな何かが、ふわりふわりと揺れながら宙に浮かんでいる。
「なんだこれ?」
目の前にいる不思議なモノを二度見して確認する。
頭はそれを理解しなかった。
心はぼんやりとしてしまって、まるで夢の中を漂うようであった。
二度三度と首を振った。
正気を取り戻そうとして辺りに現実的なものがないかを探した。
と、そこで更に虚構に陥る。
モノトーンの景色の中で、人も、車も、何もかも……世界が動きを止めていた。
私を照らす光が、大粒の雨をキラキラと輝かせている。
嘘だ! こんなことって!
「……ヤバいな、これは。とうとう私――」
「大丈夫だよ、君の頭も心も身体もみんな正常さ」
小さな生き物に思考が読み取られていた。
「そうだよ、あたしは、心の声も声に出すのと同じように聞き取れるのよ。もちろん、君が本心を隠したって全部お見通しさ」
「なに? どや顔? 虫のくせに?」
「ブーン、ブーンって誰が虫だ!」
「おお、ノリツッコミとかやるんだ」
「……」
「それで、虫さん、なにか私にご用ですか?」
「虫じゃないです! あたしは神の使いなのよ!」
「もしかして、よ・う・せ・い?」
神の使い、天使といえばあの姿だ。でも、これは見た感じ、天使よりも妖精に近しいような。
「まったくもう。あたし達に出会えるってことはとってもラッキーなことなのよ。特に君の様に失恋を引きずっている後ろ向きな人間が、あたし達に出会うことなんて本当に稀なの」
「……」
「――んんん。それがどうしたって思ったな今。もう、これだから近ごろの人間は……」
妖精があきれ顔で見下ろす。
その態度に戸惑いながら先を促すと、彼女はニッコリ笑った。
「よく聞きなさい。運よくあたし達と出会えたなら、特典として一つだけご褒美が与えられるの」
すごくない? これってすごくない? と妖精が腕組みをしながら自慢げに話す。
ワンピースの裾が踊り、透明な翅がキラキラ羽ばたいた。
思いがけず高揚する気分。それでも私は、あり得ないと思い直して沈黙を返した。
そのようなものは――。
「ほら、要らないとか考えない。 それでは、あたしが出てきた意味がなくなってしまうでしょ」
「――あの……それで? 何を頂けるのかしら」
呆れつつも聞き返す。妖精の青い瞳がきらりんと輝きを増した。
「それはねぇ、それは――」
「急に出て来て、特殊詐欺まがいに特典ですとかご褒美ですとかっていわれても……」
「と、特殊詐欺って!」
「違うんですか?」
「違います! まったく、神の使いに向かってなんて不敬な」
妖精は「心外だ」といって頬を膨らませた後、なにやらブツブツと独り言を始めた。
場に気まずい空気が流れる。
「あ、あの……すみません。話が先に進まないので……」
「あ、ああ、失礼」
「それで、私は何を頂けるのでしょうか? 急に欲しいものを考えろと言われても、思いつかないのですが」
「あ、そのことなら大丈夫。これは当人には選べないものですから」
「はあ……」
「言っておきますが、これは神様の力なのよ」
「神様?」
私に確たる信仰心はなく、思い浮かぶのはクリスマスケーキくらいだ。
「そう、神の使いたるあたしが、ご褒美として、君が今一番欲しいと心から望んでいるものを与えるの」
どうだ、と妖精が腰に手を当て私の顔を覗き込んだ。
「私に望んでいることなんて――」
言いかけるが、妖精はすでに私の言葉に聞く耳をもっていないようだ。
「神様から与えられるギフトは、君が今は意識していることではないかもしれないけど、ちゃんと心の底で願っているもの。だから心配は無用です」
「すみません、必要ありません」
「即答!? おい、マジか! これは神託、神のギフトなのよ、断るなんて、君はバカなの」
「押し売りなんて結構です。それに、このような場合、そのような甘言には迂闊に乗っかってはいけません。なのでお断りいたします」
これは社会人としてはもはや常識。
私は、これでも一応、以前は取締役なるものをしていたので分別はわきまえているつもりだ。
「なぬ……」
妖精は少し考え込むようにして困り顔を見せたが、すぐに気を取り直したように表情を明るくして笑顔を作った。
小さな彼女が小さな胸を反らして、私に何か告げようとする。
「あの……すみません、妖精さん」
「あたしは決めた! もうこの際だから決めてしまいます」
「ちょっと聞いて――」
まったく聞き入れてくれない。
「いいかい、これは神様から与えられたチャンスなんだ。この機会は、君にとって幸運との出会いに等しいのよ」
「そんなこと、急に話されてもね、私にも都合が」
「あたしにも、神の使いとして出てきたプライドがあるわ」
君にこの『神のギフトをプレゼントすることにする』と、妖精はまくし立てるように話した。
「また虫さんがどや顔」
「ブーン、ブー」
「あ、それ、要らないです」
「……」
妖精は動きを止める。
空中でオブジェのように固まっている姿は、まるで某電気屋街で売っているフィギュアのようでもあった。
「何度も言うけど、これは現実。それをちゃんと受け止めるように」
「そんなこと言われてもね」
これは悪い夢に違いない。私は、やけくそ半分の気持ちで妖精を見た。
見ようによっては、愛らしいと言えるかもしれない。
しかし、その不思議な生き物が、こうして私に向かって会話をしている状況は怪しげだ。
それはとても現実感に乏しい光景であった。
「あのね、あたしは可愛いの! 絶対的に愛らしいの! そんなこと決まってるじゃない!」
妖精がまた頬を膨らませる。そういえば、私の心が読めるとかなんとか……。
「……すみません」
「はぁ、呆れるわ、君って変わってるよね」
小さな溜息を聴く。妖精は、それでも仕方ないとこぼし、ともかく話を進めなきゃとボヤキながら本題に入る。
しばしの沈黙、空気が少し重たくなった。
「いいかい、よくお聞きなさい」
今度は説教を聞く羽目になった。
人は後ろ向きな気持ちでは絶対に幸せになれない。
自分の力だけが自身を幸せにするのだと。
彼女は、懇々と諭してきたが、そんなことは、教えられるまでもない。
今はどうやったって無理だけど、私だって……。
「重ねて言うけど、これは君にとって幸せになるチャンスなの。しかも最後のね」
呆然としていた。私は、彼女の言うことを上の空で聞いていた。
「おい、ちゃんと聞いてるのかい?」
注意を受けてハッとする。
慌てて言われたことを頭の中で繰り返す。
話された事の理解に努める。
「――でも、あなたがくれる力は神様の力なんでしょ?」
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