神様のギフト「最高の恋」は期間限定イベントです

楠 冬野

第1話 妖精さん

       -1-


 この世にファンタジーは実在する。


 ……まずは、どこから、どう話せば信じてもらえるだろうか。


 あれは、昨年の桜が散りはじめた頃――。


 あの日、あの雨の中で私は「神の使い」に出会った。


 この最悪の出会いが運命を変え、結果、私の人生はリライトされる。


 私は神様の啓示により、まるでロールプレイングをさせられるかのようにミッションを課された。


 しかし、どうなんだろう……、


 神様より授かったそれは、祝福というよりも試練に近かったように思えるのだが。

 

 人生どん底のときに「恋愛」を強要する、このおふざけも過ぎるイベント。


 後に、これは神様がくれたとっておきのギフトだったといわれた。


 ――、というのは、彼女の言葉だが……。


 言い得て妙、はいはい、そうね。


 私の目の前に突きつけられた究極の二者択一。


 啓示に従って恋愛を遂行するか、止めて永遠に恋ができなくなるか。


 本当に目まぐるしい一年を、私は駆け抜けた。……いや、駆け抜け


 ともかく、私は確かに神様のギフトを授かり、それはもう全力を尽くした。


 期間限定の、神様のイベント、その名は「最高の恋」


 あれが最高であったかどうか。この際はひとまず他所に置いたとして……。


 一年を振り返れば、例えそれが、痛みを伴う激動の日々の積み重ねであったとしても、私は自信を持って胸を張ることができる。


 私の、あの最後の選択は、決して間違いではなかった。


 結果はどうあれ、私は彼に出会い、恋に落ち、いろいろあって今に至る。



 ――そう言えば、彼女の名前すら聞いていなかった。


 ビジュアルを言えば、あれはまさに「妖精」だった。


 現に、私が「妖精さん」と呼ぶことを受け入れていた。


 だから、彼女はもう“妖精”で良いだろう。


 しかしながら……「私、妖精に出会ったのよ」なんて、


 そんなこと聞かされても誰も信じない。


 当然、私もそうだった。非現実ファンタジーなどあり得ない。


 三十路を越えた大人が、こんな話を真顔で語れば、誰もが訝しげに眉をひそめるだろう。


 けれど、それでもかまわない。


 話をしよう。私の、あの、かけがえのない一年間の出来事の。



◇◇◇


 

四月五日


 まだ肌寒さを残す春の夕暮れ。


 霧雨に湿る歩道を進む。


 この日は直帰のため、帰宅の時間はいつもより早く、だからいつも以上に時間を持て余してしまう。


 悲しいかな、私の日常は仕事以外に特にやることがない。


 ――そう、あの日からずっと。


 雨が強くなった。


 世界から音を消すほどの雨、早足で進む人々に置き去りにされながら、独り歩く。


 もうどれくらい時が経っただろうか。


 傘を打つ雨音を聞きながら歩いていると、行き交う車の一台が、路肩に溜まった雨水を跳ね上げ、私をずぶ濡れにした。


 巻き上がる水煙、身に打ち付ける雨が、痛い。


 ……なんでこんなにも。


 三か月前のことだ。


 帰宅すると届いていた、一通の内容証明。


 これがことの始まりだった。


 私は、唐突に債務を押し付けられて会社から切られ、失業し、婚約破棄の憂き目にも遭う。


 突き落とされた人生と崩れ落ちる未来。


 抜け殻になってしまった私には、もう何もない。


 胸の痛みはもう麻痺していた。


 我が身の不遇を噛み締め、悲嘆に暮れる。


 どうにもならないことだ。そんなことはもう、分かりきっている。


 ……それでも、頭では分かっているのに、時折こうして、自傷するように記憶を反芻させてしまう自身のことを、どうにかすることは出来なかった。


 私は凍えながら息を吐いた。


 傍らには、手元を離れて地に落ちた傘。


 激しく打ち付ける滝のような雨音――。 


 私は、降り注ぐ雨に溺れそうになっていた……それでも。


「負けないわ。負けるもんか……」


 半ば強引に言葉を吐き出す。


 私は苦い記憶を強制終了させ、ずぶ濡れのまま髪を掻き揚げ唇を噛んだ。


 半歩踏み出す。――と、そのときだった。


 土砂降りの雨の中でノイズのように聞こえていた雨音がフェードアウトしていく。


 ――音が消えた。


「こんにちは、あれ、もう、こんばんはかな?」


 妙に明るい笑い声が辺りに響き渡った。


「なに……? ――誰?」


 それは唐突に、目の前に現れた。


 私の気持ちを他所におき、駆け抜けていった非現実ファンタジー現実リアル


 私を非現実ファンタジーに誘った存在。


 彼女は、悪びれもなく言い放った。「私は神様の使いよ」と。


 しかしながら、あれが天使などというものか。


 その自称・神の使いは……なるほど、身なりは整っていた。


 綺麗にまとめ上げられた金色の髪。頭の上には小さなお団子の髪型。


 純白のワンピースは清楚で、その存在は凛としていた。


 ――今思えば、神々しさはあったかもしれない。


 たぶん、だけど。


「はじめまして」


 声を聞いて見上げると、そこに愛らしく微笑む少女がいた。


 身の丈十五センチほどの肢体は、さも当然と宙に浮かんでいた。


 この時がまさに、現実リアルの境界を越え、非現実ファンタジーに踏み込んだ瞬間。


 私は、澄んだ青い瞳に見つめられて息をのみ、光を透過し閃く翅の美しさに見惚れた。


 けれど彼女は、幼い頃に絵本の中で見たものとは違った。


 まるで可愛げなどなかった。


 純粋無垢なイメージとはかけ離れており、気ままに振る舞う。


 おしゃまな少女は、自分を“神様の使い”と称しながら、ちょっぴり意地悪だった。


 あの出来事は、夢ではなく現実。


 この妖精とのめぐり逢いにより、私のファンタジーの幕が上がった。

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