界蝕

@kan-pan

プロローグ ようこそ、異界管理局へ

第1話

天井が白い。

壁も床も白く、空気には匂いがない。

長く見ていると、どこまでが現実で、どこからが自分なのか、わからなくなってくる。

いや、そんなことを思っている時点で、もうだいぶやられてるのかもしれない。


ベッドの上で、私は横になったまま目だけを動かしていた。

音も色も温度も、すべてが均されている。

きっちりと計算された“管理された無”が、この部屋には満ちていた。


ここは、異界対策庁の保護施設。

表向きは治療や支援が整えられ、ここで過ごすあいだだけでも心身を休められるように設計された、安心のための施設。

しかし、実態はそうではなかった。


越境者、VP-4、個体番号05。

この施設の私は、それ以上でもそれ以下でもない。


──カチ、と小窓のロックが外れる音がした。


「VP4-05、移動。手を、小窓に」

無機質な声。


私は起き上がり、ベッドから降りる。

いつも通り、扉の小窓に両手を差し出す。

冷たい金属が手首に触れ、カチリ、カチリと締まる音。


数秒後、扉が開く。


普段なら、この時間に呼び出されるのは検査か実験だ。

来るのは研究員と、最低限の警備。


扉の先にいるのはいつもの顔ぶれ──のはずだった。

白衣の研究員。無言の警備員。

この施設で、私に関わる人間はいつもこの二種類だ。


けれど今日は、そこにもう一つ、見慣れない影が混ざっていた。


スーツの職員。濃紺の生地に、対策庁の識別章が光っている。

皺ひとつなく整えられた服と、真っ直ぐな姿勢。

この手の人間が、ここに現れることは滅多にない。

それだけに、ただ立っているだけで場の空気が違って見える。


私は何も言わず、通路に出る。


背後で扉が静かに閉まる音がして、

そのまま、いくつかの足音が廊下に並んだ。

整ったリズムだけが、白い空間にくっきりと刻まれていく。


歩いている間、スーツの職員と一度も目をあうことがなかった。


こちらに関心がない、というより、職務に忠実という印象だった。

決して意識していないわけではない。

その眼差しの奥には常に警戒があった。

私を人間として接してはいないようだ。


一方で研究員や警備員はいつもと変わらない。

研究員は健康状態の確認、警備員は一定の距離からこちらを見ている。

むしろ、それが余計に気味が悪い。

何も変わっていないように見えて、ほんの一ヶ所だけ、別のルールで動いている。

その違和感だけが、じわじわと足元に染みてくる。


そしていくつか角を曲がった先で、足が止まった。


銀色のドア。中央には文字が書かれたプレート。


《面会室》


見慣れた白の中に、その言葉だけが異物のように浮かんでいた。

ここにそんな部屋があるとは思わなかった。

この場所で“誰かに会う”という行為自体、現実味がなさすぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る