天使と悪魔

haru

天使と悪魔

財布を拾った。

……放っときゃいいのに拾ってしまった。

ほんのりピンク色の二つ折り財布。

「参ったな……」

今日は授業をサボってゲーセンにでも行こうと思っていたのに。


近くに落とし主いないかと辺りを見回すが、人の気配はない。

まあ、昼下がりの公園に人がいるわけないか。


一応、中身を確認しようかと財布を開けかけた瞬間、上空の雲の切れ間から、光が差こんできた。

「うぉっ、眩しっ」

思わず目を伏せた。

そして顔を上げると、そこには白いワンピースを着た女の人が立っていた。

いや、浮いていた。


絵に描いたような、金髪の美女。


「か、かわいい……」

心の声が漏れてしまった。


よく見ると、背中に白い羽根。

頭の上には光る輪っか。

(まさか、天……)

と思ったところで、彼女は心の声に被せるように話し始めた。

「そう、私は天使。

 青年よ、財布を交番に届けるのです」

(怖っ、心を読まれてる?)

俺は焦って、しどろもどろになった。

「あ、いや、俺……いや、僕も丁度そうしようかなぁと……」

天使の目が冷たい。

「届けるのです。さもなければ……」

「サモナケレバ?」

思わず片言になってしまう。

「先祖七代に渡り、この世に存在した事実すら消滅する。

 魂は未来永劫、忘却の闇を彷徨う罰が下る。

 ……いや、私が下す」

「いやいや、待て待て。重い、重すぎる。

 ただ財布を拾っただけなのに?」

「……」

天使の目が冷たい。

(ヤバい、これは本気だ)

あまりの事に混乱していると、誰かが俺の肩にポンと手を置いた。

振り返るとそこには……

「く、黒い」

むっちゃ黒い。

(松崎しげるの五倍は黒い)

つり上がった大きな目。

大きく裂けた口。

角と尻尾とコウモリのような羽根。

輪郭は燃えるように揺らめく。

そして、手にはあのデカいフォークみたいなやつ。

それは、まさしく悪魔。


悪魔は意地悪そうに笑う。

「にーちゃん、ネコババしちゃえよ」

(いや、弱い)

与えられる罰に対して、誘惑が弱すぎる。

そもそも、登場が遅すぎる。

(空気読め)

オレが困惑していると、悪魔も少し困った顔をした。

「まあ、聞け、にーちゃん。

 物を落とすってことは、管理を放棄したってことだろ?

 もう捨てたも同然だ。

 捨てられた物を有意義に再利用する……

 それはもう、SDGsだろ?」

悪魔とは思えない理論的な物言い。

(確かに、一理……)

「ありません」

天使はキッパリ言い放った。

(やっぱり心を読まれてる。怖い)

「そんなものは、悪魔の戯言ざれごと、愚者のママゴト」

(えっ? ラップ?)

「弱さは怠惰、迷いは罪。

 私の示す通りにすれば良いのだ。私こそ正義。

 私に歯向かうものは、全て悪」

(無茶苦茶だ)

悪魔は深くため息をついた。

「いやいや、弱さや迷いがあるから、人は優しくなれるし、それを乗り越えようと成長もするもんだ」

(やっぱり、良いこと言う)

すると、天使は目から光線を放った。

(いきなり? 前触れなく?)

光線に照らされ、悪魔が苦しむ。

「ぐぁ〜、消えてしまう。止めてくれ……」

悪魔の足元が薄くかすれてきたような気がする。

俺は慌てて学ランの上着を脱ぎ、悪魔を包み込むように守った。

「悪魔をかばうとは、お前も同類か?」

天使はイラついている。

「困っている人に手を差し伸べるのは、当然だろう」

「それは人ではない」

俺は心の中で(まあ、確かにそう)と思いながらも、天使に言い返した。

「いや、種族なんか関係ないだろ。違いを認め合って助け合う。

 それが……えっと……あの……何だ……」

何だったっけ? ほら、アレさ……。

「……ダイバーシティだ……ゲホッ」

(そう、それ)

死にそうなところ、スマンな。

しかし、お前、学があるな。

「例え人だとしても、私の意志に反するものなど、存在する価値はない。

 私は正しき人々を守る。正しさに多様性は不要」

恐ろしい。無茶苦茶なのに自信に満ちあふれている。

「お前、人の心とか無いんか……」

悪魔はちょっと泣いている。

「そして、私も人ではない」

(ですよね)

「全知全能の創造主の下僕である我々こそ、完全なる正義。

 正義の前では、お前らなど虫けら同然。

 消滅して然るべき。

 弱さや迷いなど一片の価値もない」

「……だって……俺だって、一生懸命生きてんだよ……」

悪魔は半べそをかいていた。

(可哀想すぎる)

すると、天使はまた目から光線を出して悪魔に浴びせだした。

(容赦ない)

えっ、何で? 今、改心しかけてたじゃん。

「あぁ〜、助けてくれ。死にたくない……」

俺はまた悪魔を庇う。

悪魔は嗚咽を漏らしている。


しかし、なんて理不尽なヤツだ。

だんだん腹が立ってきた。

退屈な日常も、分かり合えない大人たちも、報われない恋の痛みも、あの娘へのやるせない想いも、全てコイツのせいなのではとさえ思った。

(まあ、後半は全く関係無い)

俺は我慢が出来なくなった。

「ふざけるな」

「全知全能ってさ。

 何でも知ってて、何でもできるって意味だろ?


 だったら――

 どうして俺たちみたいな弱い人間がいるってことが、分からないんだ。


 全能なら、更生くらいしてみせろよ。


 ちっとも完璧じゃないじゃないか。


 しかも……

 その至らなさを、

 自分が作った弱者のせいにするなんて――

 自分勝手すぎるだろ」

言った。言ってしまった。

(ああ、俺も消されてしまう……)


「それは……」

一瞬、時間が止まった。天使は考え込んでいた。


「今だ、ヤツは正論に弱い。

 今のうちに、逃げるぞ」

悪魔はそう言うと、俺の腕をつかんで走り出した。

(えっ、走るの? 飛ばないの?)

(お前、逃げるなら何で現れたんだよ)


俺たちは走った。

公園を抜け、大通りを横切り、人混みをかき分け、路地裏を駆け抜けた。

天使は後ろで光線を乱射している。

「熱っ」

悪魔のしっぽが焦げた。

飛んでいるスズメが撃ち落とされた。

見境がない。止まったら終わりだ。


「おい」

こんな時に悪魔が話しかけてきた。

「知ってるか?

 あごを引いて、腕を大きく振ると速く走れる」

「かけっこ教室かよ」

しかし、ホントだ。足が上がる。

いつもより少し景色が早く流れた。

すれ違う人たちがスローモーションに見える。

しかし、いつまでも後ろから天使の気配がする。

俺たちは全速力で走った。


風を切って駆け抜ける。

心臓は16ビートを刻み、息をするたび肺が痛い。

ほとばしる汗。風に流れる髪。

迫りくる天使。

(――振り向いたらヤラれる)

俺たちはただ前だけを見て走った。


俺たちは沈む夕日に向かって――

ただひたすら走った。


いや、走ったなんてもんじゃない。

夕日の三倍くらい速い。

太宰も呆れるレベルだ。


しばらく走ると、悪魔のペースが落ちてきた。

「俺はもう駄目だ。お前だけでも……」

「何言ってんだ。諦めずに走るぞ」

(諦めたら、そこで――)

弱音を吐く悪魔を励ましつつ、二人で必死に走った。

悪魔は小さく笑った。

「お前、いい奴だな」

「それは、お前もだろ」

これは、そろそろポカリのCMオファーが来てもおかしくない。

どれだけ走ったのか、どこを走っているのか、もう分からなくなるほど走った。


ふと俺は気付いた。

ここは……いつもの通学路。

そうだ、あの曲がり角。

その先に身を隠せる草むらがある。


俺は悪魔を引き寄せ、角を曲がり、草むらに転がり込んだ。


――ドスッ。


そして、じっと身を潜めた。

草の間からそっと覗く。

天使は俺たちを見失ったようで、辺りを見回している。

まるで、獲物を探すように。

俺たちは息を潜めて祈る。

一体、俺たちは何に祈っているというのか。

(特に悪魔、お前は一体……)

そして、天使はしばらく俺たちの上空を旋回していたが、諦めたのか遠くへ飛び去っていった。


「行った……か?」

俺たちは腰が抜けたようにその場に座り込んだ。

(――助かった)

息が切れて、喉もカラカラだ。

悪魔も肩で息をしている。

少し冷静さを取り戻した俺は、ふと思い出した。

「お前さ、飛んで逃げれば良かったじゃん」

「……それだ!!」

悪魔は、驚きの顔で俺を見た。

(天然か!)

そして、どちらともなく吹き出して、ついには二人で大笑いしてしまった。

互いに生きる喜びを噛み締めていた。


「ところで、何で同じ方向に逃げたんだよ。バラバラの方が良かったんじゃない?」

俺は悪魔に尋ねた。

「いや、俺もそう思ったんだが、お前、財布落としてたぞ」

そう言って、俺に財布を手渡してくれた。

(お前は返すのかよ)

それは、ほんのりピンク色の二つ折り財布……。

(これは……俺のじゃねー)

俺は急に血の気が引いた。

顔が白くなった。

悪魔も気づいて少しグレーになった。

「おい、ヤバイよコレ、どうすんだよ」

俺は慌てた。

「確かに。またヤツが来たらヤバい。悪いことは言わねぇ、早く交番に届けよう」

(まさかの悪魔にあるまじき提案)


俺たちは身を隠しながら交番まで歩いた。

交番の前では小さな女の子が泣いていた。

しかし、俺の手にある財布をみると、パッと顔が明るくなった。

「わたしの財布!」

持ち主だったようだ。

俺は交番で拾得物の手続きをし、無事に持ち主に財布が返された。

お礼の一割は丁寧に辞退した。


女の子は小さな手で財布を抱きしめて、涙の跡だけ残した顔で、だけれど満面の笑顔でこう言ってくれた。

「お兄ちゃんたち、どうもありがとう」

(――まるで天使。)

(やられた。これは反則だ)

ふと横を見ると、悪魔は恥ずかしそうに身をくねくねさせている。

(キモい)

が、何かかわいい。

俺たちは交番を後にした。

少し歩いて振り向くと、女の子はまだ手を降ってくれている。

「天使だ」

俺たちは口を揃えて呟いた。

色々あったが、いい一日だった。

暫く歩いて、悪魔が俺にしみじみ言った。

「そういえば、あの子、お兄ちゃん“たち”って言ってたな」

ああ、そういえば確かに。

「見えてたのかもな。なにせ天使だったからな」

「確かに、あれこそ天使だった。

 ……俺、もう悪魔辞めようかな」

「そうだな。お前は悪魔に向いてないと思うよ」


俺たちはそのまま二人でゲーセンに行くことにした。

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天使と悪魔 haru @koko_r66-haru

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