第3話 フィズ

 それは、小さな小さな手首だった。


 ありあは、狂ったように叫んだ。


 フィズが背負っている、ビルの中から持ち出してきたバズーカ砲が目に入った。

 ありあは、無我夢中でそれを肩に担ぎ、天から舞い降りた殺人機械を捜した。


 地獄の天使の白い翼が、砂塵の中に見え隠れしている。

 ありあは奥歯を噛みしめると、息を詰めてトリガーを絞った。

 肩に担いだ筒が、前後に真っ赤な矢火を噴出した。


 耳を裂く発射音が辺りに響く。


 その瞬間、辺りに流れ星のように光る影が降り注いだ。

 一瞬、ありあには、それがなんだか判らなかった。


「ありあっ!」


 フィズの絶叫がバズーカの発射音で痺れた鼓膜に、くぐもって聞こえた。

 同時に、再び体当たりしてくるフィズを感じた。

 後ろに吹っ飛んで地面に落下する。


「ばか! 自分を護りなさい!」


 とっさにそう叫んでいたありあは、揺り起こそうとしたフィズの体が異様に重いのに気づいた。


「フィズ? フィズ!」


 ありあは、必死でフィズを呼んだ。

 空に炎が上がって、ちらりとそれを見上げると、死の天使の片翼が炎に包まれていた。姿勢制御を失って落下してくる。


「やった?」


 ありあは、知らずつぶやいた。

 そのとき、ようやく、ありあの体の上で、フィズがちいさく身じろいだ。


「無事……? ありあ……」


 ありあは、慌ててフィズを見た。

 フィズの声は苦しげにかすれていた。どこかに怪我をしているのだ。


「フィズ! どこ、やられたの?」


 フィズは、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔が近づいて、フィズの唇がありあの唇にふわりと触れた。

 ありあは驚いて、全身を硬直させた。


 フィズは、苦痛に歪んだ顔で微笑んだ。

 それは、一瞬の、触れるだけのキスだった。


「よ……かった……。ありあが無事で……」


 急に、フィズの重みが全身にかかった。

 ありあは、茫然とその少年の体を受け止めた。

 かすかに触れた唇の暖かさも、服に大量に染みこんでくる生暖かいものの正体も、全てが現実味を帯びていなかった。


「フィズ……?」


 ありあは、少年の名を呼んだ。


「フィズ! フィズ!」


 ありあは悲鳴のように叫んだ。

 少年は、ピクリとも動かない。


 フィズの背中には、無数のナイフのような手裏剣が突き刺さっていた。

 長さ十センチ程度の、細いスローイング手裏剣だ。


 その悲惨な姿は、まるでハリネズミのようだった。


 ありあは、溢れる涙を拭いもせず、自分を庇って死んだ少年の名を絶叫した。


 ふと。全身に、殺気を感じた。


 フィズの亡骸を抱きしめて目の前の瓦礫の山を仰ぐと、燃える夕陽を背に受けたシルエットが浮かび上がっていた。


 マラークではない。

 そのシルエットは、背に、天使の羽根を背負ってはいなかった。


 でも、その手に、無骨に光るショットガンを携えているのが判った。


 ジーンハンター?


 子供の遺伝子は高く売れる。

 戦闘の匂いを嗅ぎつけて、子供の命で大儲けするジーンハンターが出没してもおかしくはない。

 あるいは、あのマラークの雇い主か?


 ありあは、対峙する人影にピリピリと眉間が緊張するのを感じていた。

 全身が粟立つほどの、凄い殺気だった。

 そっと、手をさぐった。

 フィズの腰に、マラークの放ったスローイング手裏剣が刺さり込んでいる。


「フィズ……。ごめん」


 ありあは囁くと、フィズの腰からスローイング手裏剣を引き抜いた。

 それを人影に向かって放とうとした瞬間。

 人影の左手に持った拳銃が、オレンジ色のマズルフラッシュを閃かせた。


 ――遅い!


 ありあの反応が、数秒遅かった。

 ありあは、フィズの亡骸を抱きしめ、子供たちと同じ場所に行くことを覚悟した。


 次の瞬間。ありあの背後で、何者かがドサリと地に伏す音が響いた。

 ハッとして体をねじると、マラークの白い翼が、視界に入った。


「カ……ルサグ……」


 マラークがなにかつぶやいて、動かなくなった。


 ――普通の銃でマラークを倒した?


 ありあは、驚いて男を振り返った。


 確かに、男が携えているショットガンでは、ありあの背後のマラークだけを倒すことはできない。あれを撃たれていたら、散弾の何発かはくらっていただろう。


 男が撃ったのは、普通のリボルバーだった。


 ――通常弾でマラークを倒すことが出来るなんて……。


 ありあが、恐怖と疑問の入り混じった表情で男のシルエットを仰ぐと、男は、ありあに向かって口を開いた。


「ここで諦めたくなければ、立て」


 意外と、若い声だった。

 ありあは、その声の絶対的な迫力に、思わず息を詰めた。

 従うか、死か、そんな強さを持った声音だった。


 フィズの体をそっと横たえ、頬に別れのキスをした。

 ありあは、クッと顎を引くと胸を張って立ち上がった。


 立ち上がると、シルエットだけだった男の顔が見えた。

 初めて見る男の顔は、ありあとそう変わらない、少年といってもいいくらいの若さだった。

 額にふわりとかかった黒髪がどこかあどけなさを感じさせるが、瞳は異様に鋭い蒼い光を放っていた。

 深い深い蒼の瞳をした、全身に殺気をまとわりつかせた男だった。


 男はショットガンを肩に担ぐと、左手の銃を腰のホルスターに収めた。

 長いコートが翻って、腰に巻き付けた無骨なベルトにたくさんの物騒な武器が仕込まれているのが見えた。


 男は、血でぐしょぐしょになったありあを一瞥して、誘うように顎をしゃくった。

 そして、ありあに背を向けて歩き出した。


 ありあは、フィズの腰から引き抜いたスローイング手裏剣を握りしめた。

 視線を巡らせて、マリールゥと子供たちが隠れていたあたりを見やる。

 そこは、鮮血と肉塊の海だった。

 命ある者が助けを求めているような状況ではあり得なかった。


 終わったのだ。なにもかも。

 楽園なんて、どこにもない。


 全身の力が抜けて、崩れ落ちそうだった。

 ほんの数分前まで、チョコレートを欲しがって頬を紅潮させ、手を伸ばしていたあの子たちは、もういない。

 ありあには、もうなにも残されてはいなかった。


 ありあは、握りしめていたスローイング手裏剣を腰のベルトにさした。

 そして、誘われるように足を踏み出した。


 必死で護っていた全てを失ってしまったありあには、その男についていくことしか出来なかった。

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