『サンタクロースはじめました。』

朝霧いお

『サンタクロースはじめました。』

「好きな人ができたから別れてほしいとか、クリスマス・イブに言うことじゃないだろ」


 寒い冬の夜のことだった。

 三年付き合った彼女に振られた俺は、予約していたディナーにキャンセルの連絡を入れて、街路樹のイルミネーションの間を一人歩いていた。


 幸せそうに笑う恋人たち。

 美しい灯火はこの世界に沢山あるのに、その全てが、俺の心を明るく照らしてはくれない。


「……どうせなら、もっと早く言ってくれたらよかったのに」


 ぽつり、泣き言を吐いてから、俺はポケットの中のリングケースを取り出した。

 今夜、彼女に渡すはずだったダイヤモンドの指輪。

 『永遠の輝き』は、イルミネーションの光を宿して美しく輝いていた。

 

「結局これも、無駄になってしまったな」


 もしかしたら――彼女が、喜んでくれるかもしれないと思って。それを期待していた過去の自分が、今は道化のように思えた。


「……いや、違うか」


 歩きを止めて独り呟く。

 本当はとっくに、『わかっていた』のかもしれない。彼女の心が、自分から離れていたことは。 

 いつからだろう。彼女が自分の言葉や行動に、昔より笑顔を見せてくれなくなったのは。

 いつからだろう。いつから『だった』だろう――……?

 

 彼女が喜んでくれるだろうか。いつか彼女と幸せになりたい。

 はじめは、そのために頑張っていた気がする。

 いや、違う。

 今思えば、目標のために頑張っているうちは、ただ自分の現状から目を逸らせていただけだったのかもしれない。


 大学を出て、就職して、新卒で入社した会社で上司に怒られながらも、眠い目を擦りながら仕事をして、努力しているつもりだった。 

 でも優秀な同期はいつの間にか俺の上を行っていて――壁はただ、開いていくばかりで。

 自分の才能のなさを、突きつけられる日々だった。

 

 『彼女』は違う。

 どこかで俺は、そう思いたかったのかもしれなかった。

 努力が成果に繫がらなくても、想いを『指輪かたち』にして渡せば、見返りが返ってくると、俺は彼女に縋って、信じていたかったのかもしれない。


「こんな……こんなもの……っ!」

 

 リングケースを持った手を高く振り上げて、俺はピタリと動きを止めた。


 ――捨てられる、筈がない。

 大人になって、仕事をして、初めて買った高価な贈り物だった指輪それを、自分で傷付けてしまったら、俺はもう二度と、立ち直れないような気がした。


「なんで、なんで……っ!」


 涙で視界が霞んだ、その時だった。



【サンタクロース始めました】



 ライトアップされた街路樹の光が終わる頃の道に、ひっそりとその店は佇んでいた。


「なんだこれ?」

 不思議な看板を前に、思わずそう呟く。


 いや、だってそんな――【冷やし中華はじめました】みたいな。

 みんなが待ちに待った新商品!ってワケじゃないんだから。

 あまりにも軽すぎる。

 疑問に思いながらも、俺は看板の先の店に視線を移した。

 

 赤い薔薇の咲く花のアーチ。その向こうには古びた家が一軒あって、玄関の扉の上には、綺麗なステンドグラスが輝いていた。

 店までの道には不揃いな飛び石が並んでいて、石の大きさが奥に行くにつれて少し小さくなっていることで、遠近法のおかげか店はより遠くにあるように見えた。

 半円のステンドグラスの向こうからは、白熱電球温かな橙色の光がこぼれている。

 子どもの頃を思い出す、懐かしさも感じるじんわりと優しい色に、俺は導かれるようにアーチをくぐっていた。


【ご用の方は、どうぞこの紐をお引きください。】


 玄関に辿り着くと、目線の高さに小さな板がかかっていて、その少し上に、鈴のついた紅白の紐が結ばれていた。

 俺は一度深呼吸をしてから、心を決めてその紐を引いた。

 

 カランカランと音が鳴る。

 予想よりも大きな音に驚いて俺が一歩後退ると、


「ようこそいらっしゃいました! 新しいサンタクロース様!」


 扉の向こうから現われたきらきらしい金髪の男が、開口一番俺の手を取ってそう言い放った。

 

「さんたくろーす……さま?」


 俺は、思わず口をあんぐり開けた。

 ぱっと、俺は紐から手を離す。

 長い髪を三つ編みにして左肩に垂らした燕尾服の男は、見るからに胡散臭そうだ。

 ニッコリと笑っているのか目は三日月で瞳の色は見えない。いぶかしんで眉間に皺を作ると、男は口の端を吊り上げ、それから恭しく俺に頭を下げた。


「はい。サンタクロース様。貴方は看板を見てここに来られた。そうでしょう?」


 それはそう――だけど。


「人は、自ら求める情報を目に移して行動するもの。貴方がここに辿り着いたのは、この場所が貴方にとって、必要だったからということでしょう」


 物は言い様だ。俺が反論できず口を噤むと、男はふっと笑って、俺を店の中へと導いた。


「中へお入りください。温かい飲み物もご用意いたします」





 店の中は俺の想像とは違って、古い寺の、お香のような香りがした。


 『サンタクロース』だというからには、てっきり海外の、いわゆる魔女の家のような内装を予想していたのだが、店の中にはドライフラワーや大釜なんて物は存在せず、代わりに年代物の大きなソファーが置かれていた。

 室内の高い位置には神棚があって、そこには何故かいなり寿司が供えられていた。


「どうぞ。外は寒かったでしょう?」

「……どうも」


 美しい磁器のティーカップの中には、何故か紅茶ではなくお茶が入っていた。


「これは……?」

「玉露です」


 いや、だから。そういうことではなく――。

 どこから指摘していいか分からないが、案内された室内は、俺には何もかもが『ズレて』いるように思えて仕方がなかった。

 案内されたソファーに座り、怪しい男を眺めながら恐る恐るカップに口をつけると、男がとんでもないことを言った。


「ではお客様。さっそく貴方の不幸を、どうか私にお聞かせください」

「ぶふう!?」


 俺は、勢いよくお茶を吹き出した。

 急に何を言い出すのだこの男は!


「な、なんで俺が不幸、だって」


 そりゃあ、クリスマス・イブの夜に一人歩いていたらそう見えたかもしれないけれど!

 ……もしかしてこれが、占い師や詐欺師が使う『コールドリーディング』とかいうやつ?


「おや、違うと仰るのですか? では、そのポケットに入っている物を拝見しても?」


「ぽ、ぽけっと?」

「お持ちでしょう? 貴方のその、コートの右ポケットの中に」


 何故この男は、指輪のことを知っているのだろう。

 疑問に思いながらも俺がリングケースを取り出せば、男が大きな声を上げ手てを叩いた。


「まあなんと縁起の悪い! この指輪には邪な念が籠もっています。貴方がこの指輪をこのまま持っていたならば、きっと指輪は、貴方を不幸にしてしまうでしょう!」

「はぁっ!?」


 俺はまるで、新興宗教の勧誘の中で金目の物を曰く付きだといちゃもんつけられて、巻き上げられそうになる被害者の気分になった(100%偏見である)。


「そ、そんなわけ――」

「そんな貴方にご朗報!」


 男はにっこりと笑うと(元々目は閉じていたのでこれは『雰囲気』である)、大きく手を広げて声を上げた。


「今この指輪をご奉納していただくと、なんと貴方には、幸運が訪れます!」

「こううん……?」


 どう考えても詐欺師の物言いだ。


「はい! そして、この指輪を売ったお金で、サンタクロースとして良い子に子どもたちの欲しいプレゼントを配りましょう!」

「……はあ?」

「今のこの世界で、サンタクロースほど、子どもたちに愛される存在はありませんから!」


 男は、まるで笑うように軽やかな声で言った。


「貴方のようなくたびれた服を着て、ヒゲを生やしたお方でさえも、サンタクロースとなればご覧通り! 子どもたちに愛される存在となれるのです!」


 本当に、目の前の男の全てが理解できない。

 ほら、素敵でしょう? と同意を求める男から、俺は視線を反らして頭をかいた。


「本当に意味分かんねえ……。だいたい、そもそもクリスマスなんて海外の祭りなのに、なんで俺がやらなきゃなんないんだ」


「それには激しく同意します。わが国の民であるなら、祝うべきは他にある。全く嘆かわしいことです。この国の西洋の収穫祭の時は検非違使を出動させてまで、やんややんやと夜通し騒ぐというのに、この国の収穫祭はご存じない方すらいるのでしょうね。五穀豊穣。食は人を生かすものです。それに感謝の意を支えずしてなんというのでしょう? ああ、本当に嘆かわしい!」


 男は急に、妙に饒舌になった。

 しかしまあ予想通りというか、袖で目元を隠し、およよと泣く素振りを見せるのに男の目には涙一つない。


「ああいや、話がそれました」


 そして次の瞬間、男はケロリとして手を叩いた。


「まあ私も、この国の言葉も文化も、異国のものを取り入れて今を作っていることに異論はありません。ですので今年から我が社も、クリスマスという文化を取り入れることにしました。善行が報われることを知ってこそ、ふただび善をほどこせるというもの。今、自分はこの世界で一番不幸な人間だという表情かおをした貴方に、提案がございます。その指輪を売ってお金に換えて、子ども達にプレゼントを配りましょう」

「……売るんかい」

「ええ。だってお金は必要ですから。お金とは素晴らしいものですよ。なんたって、欲しいものを買うことができるのですから!」

「……」

「貴方がいらないものを欲しがる人間に売り、そのお金で、子どもたちにブレゼントを届ける。ああ! なんと素晴らしいことでしょう!」

「勝手に俺の指輪を売るな。あ、あと、別にいらないものじゃないし…………」


 俺が言葉に詰まって下を向けば、男は不思議そうに首を傾げた。


「おや? では貴方は、その指輪を売った金で何をなさるというのです?」

「それは――」


 まあ、多少の酒代くらいには――。

 俺の頭にそんな言葉が浮かんだとき、男はまるで俺の心を読んだかのように口を開いた。


「それでは貴方には、振られて悪酔いしたという、最悪な記憶だけが残る。しかし、もし貴方がサンタクロースになれば、このお金は誰かの幸福に繋がるのです。ほら、どうです? 素晴らしいとは思いませんか?」


「金金って、サンタクロースなのに夢がないな」


「お金は大事ですよ。子どもが望む大方の夢は、全てお金で買えるものです。しかし、子どもにはそのお金がない」


 はっきりと言い切られ、俺は口をつぐんだ。

 

「少子化で一人っ子の時代といえど、時代は物価高ですので。サンタクロースのお財布事情も厳しいのです」

「……サンタは自分のとこでプレゼントを作るんじゃないのか?」


「模造品を子どもたちに届けるですって!? とんでもない!!!」


 男はそう言うと、カッと目を見開いた。


「そんなことをしたら、故障した時に直してもらえなくなるではありませんか。ネットゲーム、オンラインでのデータのダウンロードの時代、シリアルナンバーや会員登録をご存じでない! 子どもが遊んでいて、ゲームを壊さないとでも?!」

「……それはわかってる、けど」


 雰囲気が古いこの男に指摘されると、少しだけイラッとするのは俺だけなのだろうか。


「勿論、サンタは本物そっくりの品をつくることはできます。サンタですからね」


 男は、それからまるで内緒話をするみたいに、コソッとつけたした。


「夢のない話だな」


「全ては子ども達の幸せのために! サンタは子どもたちの笑顔のためなら、努力を惜しみません!」

「じゃあサンタは何をして生きてるんだよ」

「おもちゃ会社の製造ラインで働いています。短期的に爆発する需要のために、人員が必要ですからね! サンタであれば、面接をくぐり抜け潜り込むことは容易。全国津々浦々、信頼できるスタッフとして職場でも歓迎されております。なんたってサンタですからね!」


 ……サンタという言葉が万能すぎる。


「雇われなかったらどうするんだよ?」

「実は、おもちゃ会社の社長は、サンタだと知っているのです」

「え?」


 俺は、男のトンデモ話に目を丸くした。


「世界中のサンタクロースは世界中であくせく働いてプレゼントの交換券を得て、それをもって子どもたちが望むゲームやおもちゃを手に入れているのです。『やあサンタさん、よく働いてくれました。こちらが今年の引換券です』『お主も悪よのう。ふぉっふぉっふぉ』というわけてす」

「どういうわけだよ」


 俺は思わず突っ込んでしまった。

 胡散臭い男の与太話。だというのに、真面目な顔をして話されるとなんだかおかしく思えてしまった。

 サンタクロースがおもちゃ会社で働いてて、時代劇の悪代官の山吹色のお菓子ネタをやるって、どういう世界観なんだ。


「素敵でしょう? さあ貴方も、サンタクロースはじめてみませんか」


 でも不思議と、馬鹿馬鹿しいこの男の言葉だけが、冷え切った今の俺の心に温かな火を灯していた。

 だからだろうか。いつもなら絶対に頷かない場面で、俺はつい頷いていた。


「ああ――分かった」





 俺が指輪の売却を承諾すると、男はいそいそと俺にとある物体を出して俺に着せようとした。


「さあ、どうぞ。この魔法のローブをお被りください」

「ローブっていうかこれ……なにこれ?」


 どうみても、俺の知る『ローブ』ではない。


「隠れみのでございます」

「なんで?」


 なんでそんな、昔話に出てきそうなものを俺は差し出されているんだろうか。

 指摘すると、男はどこか不満そうな表情をして、ブツブツいいながら違うものを俺に差し出した。

 代わりに差し出されたのは、サンタクロースの衣装でよく見る帽子だった。


「これならまあ……」

「全く、同じ機能だと言うのに貴方は注文が多いですね」


 男の、客への言葉とは思えない暴言(ひとりごと)を無視して帽子を被ると、俺の体はキラキラとした光に包まれた。


「い、今の……!?」


 まるで、本当の魔法のようで。

 俺が子ども心を蘇らせて目を輝かせると、男はどこか楽しげににっと笑った。


「これで大丈夫です。大人には見えても、純粋な子どもには見えない魔法がかかっております」


 俺の頭の中に、子どもの頃よく聞いた某アニメソングが流れた。幻聴である。

 

「いや駄目だろ! 大人にも見えちゃ駄目だろ! 住居不法侵入で俺が捕まるだろ!」

「ふふっ。貴方は実に面白い。そのように百面相される方がよろしいですよ。表情筋は使わないと衰えていきますからね」

「……余計なお世話だ。それよりこれ、大丈夫なのか?」

「大丈夫です。それより早くいきましょう。もう時間がない」


 男はそう言うと、俺にサンタの衣装を上からかぶせた。やや長めの上半身サンタ衣装。女の子向けの、スカートタイプにはギリならない微妙な長さの(多分)男物。


「なっ!?」


 年甲斐もなく、サンタのコスプレをした一般男性(俺)が完成した。

 恥ずかしいことこの上ない。


「ああ、顔を真っ赤にして。それではサンタではなくトナカイになってしまいますよ」


 男は微笑むと、ずっと閉じていた目を開いた。

 その瞬間、俺は思わず男に目を奪われた。黄金の瞳の、とろけた蜜のような色は、人を惑わすような色香を宿していた。


 こんな隠し球を用意していたなんて。こんなの、普通の人間じゃ反抗できない。この男の目で見つめられたらきっと、誰もが言いくるめられてしまうし、どんな暴挙も許してしまう。


 ――まるで、狐みたいな男だ。


「貴方もお人が悪い。私が狐顔だからって、まるで化け物でも見るかのような表情をして。紳士な私をそこらの狐狸妖怪こりようかいたぐいと一緒にしないでいただきたい」


 男は、またもや俺の思考を読んだような発言をすると、ぱんぱんと二回手を叩いてくるりとその場で半回転した。


「さてさて、準備も出来たことですし行きましょうか。『サンタクロース様』」


 そう言うと、男は俺の手をぐいっと引いた。


「さあ。夜の帳をおろしましょう」





「不法侵入……は~~あ……」

「ほらほら、溜め息つかない。次行きますよ。ほら、さっさと早く」


 かくして俺の聖夜のサンタクロースタイムが始まった――わけだが、さっそく俺は問題にぶち当たっていた。


「だって、こんなのおかしいだろ! なんで窓から入るんだよ!」


 なんとプレゼントを配る際、俺は窓から家にはいらなければならなかった。この男の不思議パワー(?)で鍵は開けられるが、俺のこれまでの価値観からすれば、空き巣と同じである。正直とても心が苦しい。


「当然です。日本の一般家庭に煙突があると思ってるんですか? もしかして暗くて狭いとこが好き何ですか? 面白い趣味ですね」


 男は飄々とそう言い放った。

 くそ腹立つ!


「ほらほら、さっさと配り終わらないと夜が明けてしまいますよ。ほーら。頑張れ頑張れ。サンタさんのちょっと良いとこ見てみたい~」

「……冷やかすな」


 俺はため息を吐いた。サンタクロースとしてのプレゼント配布。これは別に嫌じゃない。窓からの侵入と、窓の近くまで止まる移動手段を除けば。

 

「っていうか、なんでサンタの車がソリじゃなくて赤いスポーツカーなんだよ!」

「サンタといえば赤ですから」

「スポーツカーの理由なくない?」

「サンタさん。私、この車に似合うと思いませんか?」


 男は返答のかわり、助手席でワイングラス片手に黒いサングラスをかけて黄昏れてみせた。深夜にサングラスをかける意味が分からない。前見えてんのかコイツ。


「お前、ほんと手伝わないよな」


「手伝ってますよ。ほら! 違反を切られないように、私はちゃんとここに居るので! さあ! 私のことはおきになさらず!」


 いやだからさ。お前のその発言、もう完全に違法駐車じゃん。

 剣と魔法に空飛ぶ車。ファンタジーの世界が台無しだよ。


「もうほんと腹立つ」


 ため息を吐きながら108軒目の家に入った俺は、バランスを崩して床に倒れ込んだ。ついでに俺の頭から帽子も落ちる。


「あっ!」


 その瞬間、振動で学習机の上に置かれたクマのぬいぐるみが床に落ちた。


「ううん……。だぁれ……?」


 子どもは目をこすりながら、俺の方を見た。

 やばいやばいやばい! これでは、正体がバレてしまう!


「……サンタさん?」


 俺は慌てて、帽子を拾って顔を隠した。


「は、ははは。こ、こんばんは〜」


 ここで社会人、スキル・ワラッテゴマカスを発動!

 明らかに不審者な俺に、少女は微笑むと、小さな素足でとことこと俺に近付いてきた。


「本物の、サンタさんだ!」


 ぱあっと、少女はきれいに笑う。


「いつもありがとう。サンタさん。来年も、鈴にプレゼント届けに来てね?」

「う、うん……」


 袖を掴まれ子どもに抱きつかれ、俺は思わずうなづいてしまった。

 仕方ない。子どもは可愛い。可愛いは正義。守りたいこの笑顔。

 そんな俺を見て、いつから居たのか俺を見ていた男はすっと目を細めた。


「……犯罪臭」

「い……今のは仕方ないだろっ!?」

 



 すべてのプレゼントを配り終わり、男が俺を家までま送ってやると運転を代わってくれた。

「どうでした? 今夜一晩、サンタクロースになってみて」

「うん? まあ……」


 金髪金目にグラサン燕尾服の男が、赤い空飛ぶスポーツカーを運転している。

 明らかに異常だというのに、様になるのが腹が立つ。


「ほんっと、最初は意味わかんなかったけど……」


 俺は、子どもたちの寝顔や、願い事の書かれた紙を思い出して笑った。


「子ども達が朝起きたときに喜んでくれたらって思うと、案外、悪くはなかったな」

「そうですか」

「まあ、俺が振られた現実は変わんないんだけどな。あーあ。こんな俺と付き合ってくれる子なんて、もう一生現われないんだろうなあ……」


 はは、と乾いた声で笑う。


「そんなことはありませんよ。貴方なら、いい人と出会えます。いいえ。もしかしたら、もうとっくに出会っていたのかも」

「そんなわけないだろ。それにもう、クリスマスイブは終わるし」

「いいえ。聖なる夜は、まだ終わってはいませんよ」


 男はそう言うと、出会ってから一番優しく微笑んで、俺のとんと肩を押した。


「今宵はしくも異国の聖夜。他者の喜びを祈る者に、喜びは訪れることでしょう。メリークリスマス!」


 その瞬間、夜空を飛ぶ赤いスポーツカーから投げ出され、俺の体は空中を落下する。

 美しい光の大群。街を彩るイルミネーション。そんなもの、今の俺には気にならない。


 だって今は、あの男のせいで命の危機だ!


「わああああああああ!!! あああああああ! ……あ、あれ?」


 だが予想していた衝撃は訪れず、俺は顔を覆っていた手をといた。


「……あ、あれ? ここ、どこだ?」


 俺はもう、サンタの服は来ていなかった。

 あれは全部夢だったのか……?

 よろよろと立ち上がり、俺は辺りを見渡した。

 見覚えがある。

 ここは大学に通っていた頃、よく歩いたアーケード街だ。

 少しだけ古めかしい風景は、街路樹のイルミネーションの完璧な美しさとは違う、家庭的な温かな灯を宿していた。


「先輩? ……もしかして、先輩ですか?」

「え?」


 昔はよく聞いた気がする声に振り返ると、一人の女の子が俺に手を振っていた。


「あ! やっぱり先輩だ! わあ! こんなことって本当にあるんですね。サンタさんが私のお願い、早めに叶えてくれたのかな……」


 赤いサンタのワンピース。彼女はクリスマスケーキの販売をしていた。


「その、先輩! よかったら最後のケーキ、先輩が買ってくれませんか? 今ならもれなく、おまけで私もついてきます!」

「……なんで?」

「先輩と一緒に、ケーキを食べたいからです」


 サンタコスをした後輩は、そう言うと少しだけ照れくさそうな表情をしてから、俺に笑いかけた。


「……ああ」


 いつもなら頷かない。

 でも今日は、どこか幼いその笑顔が今は可愛く見えたから――俺はつい頷いていた。


「やったー! 先輩とクリスマスだ~~!」

 

 後輩は、ガッツポーズをして両手をあげる。


「今日は先輩と、夜通しゲームして沢山ケーキ食べるぞ~~!」

「えっ」


 疲れてるんだが。社会人の上にサンタまでして、今の俺はとても疲れてるんだが!?


「楽しみですね! 先輩!」

「うん。そうだな……」


 どうやら俺は、こういう圧に弱いらしい。

 後輩の幸せそうな表情に、俺は頷くことしか出来なかった。


 プロポーズの指輪は子どもたちへのプレゼントに変わり、残り物ケーキと一緒にやってきた後輩と、俺は二人でクリスマスを迎えた。


 でもまあ大人になっても昔のように、誰かと笑い合って、遊び疲れて眠るのもたまには悪くない。

 今宵は聖夜。

 何がおこるかは、最後までわからないものだ――。



 


 その後、結局俺は後輩と付き合うことになった。

 新しい彼女はとにかく可愛い。不器用でどうしようもない俺のことを褒めてくれる。

 よく考えたら、小学生の頃からの付き合いだ。

 クリスマスを一緒に過ごして、昔から俺のことが好きだったと言われたときは驚いたけれど、よく考えたら後輩は、年の差なんか気にせずに、俺の改めた方が良いとこは指摘しつつ、良いとこは褒めてくれるような子だった。だからだろうか。背伸びをする必要なんて無いのは分かっているけれど、もう一度お金を貯めて、いつか彼女の左の薬指に、俺とおそろいの指輪を贈りたいと今は思っている。


「そろそろ時間か」


 二人で初詣にいく約束をしていることを思い出して、俺はコタツから出て、コートを羽織り、帽子を被ってマフラーを首に巻いた。

 あの夜のように不思議なことは起こらないけれど、今は赤いものを身につけると、少しだけ勇気というか、力が湧いてくるような気がした。


「年賀状が届いてる」


 郵便を確認して、俺は首を傾げた。

 実家ならともかく、一人暮らしの今の俺に神社からハガキが届くなんて、初めてのことだ。


【新年謹んてお祝いを申し上げます。弊社では来年も、良い子の『サンタクロース』を募集しております。 また、新年のご祈祷につきましては】


「……ん?」


 俺は年賀状に描かれたとある絵を見ておもわずぐっと紙に顔を寄せた。

 待て。俺はこの顔に、すごく見覚えがある。

 ご丁寧なカラー印刷。狐は片目が開いており、その瞳は黄金に輝いていた。

 ついこの間のことのはずなのに、まるでずいぶん昔のことのようにすら感じられるクリスマスイブの夜、俺はとある男にたぶらかされて、サンタになって子どもたちにプレゼントを配った。


「んんんんん!?」


 弊社も『弊社』で、会社ではなく『神社』である。


 どうりで日本人の収穫祭がどうとか言っていたはずである。

 確かに収穫を感謝し来年の五穀豊穣を願う新嘗祭にほんのまつりより、現代人はハロウィンを楽しみすぎている。


「……神様も手広いな」


『紳士な私をそこらの狐狸妖怪こりようかいたぐいと一緒にしないでいただきたい』

 奴の言葉を思い出し、俺は一人小さく笑った。なるほど、あの言葉はそういうことか。

 

「おはようございます。先輩。さあ、一緒に初詣に行きましょう! ところで、今日はどこの神社にお参りに行くんですか?」


 恋人は嬉しそうに笑って、俺の手を引いた。


「ここ、かな」


 俺はそう言うと、葉書の住所を指差した。彼女はきょとんとした顔をして、俺に尋ねた。


「稲荷神社に行くんですか?」

「ああ」


 だってもしかしたら、紳士で神使の狐もいるかもしれないから。

 新年を寿ことほぐ言葉とともに、奴に似た赤い鳥居の前の狐は、にっこりと俺に微笑んでいるように見えた。



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『サンタクロースはじめました。』 朝霧いお @asagiriio

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