第2話 再出発

 家を飛び出してからしばらく漕ぎ続けて、幾分か頭の中の騒音も静まりかえっていった。息は随分上がっていたが、その分冷静に考えれるようになってきた。そして、今の自分の状況にも理解と実感が同時に襲ってきた。

 今は午前1時過ぎ。中学生の僕が夜中に外出しているのは不味いことは学校で嫌という程教わっている。もし今の自分を警察に見られれば、補導されるのは明確だった。思い出したかのようにブレーキをかけて、焦る様に周囲を見渡す。道の両側には田んぼが広がっており、その先には一軒家がちらほら見える程度。見晴らしは良かったので、周囲にパトカーが居ないことを確認すると、「はぁ〜」と大きく息を吐き、ひと段落する。

 とはいえ、まだ安心出来ない。僕は二車線の公道を走っていたが、何度か車とすれ違うこともあったのだ。ひょっとしたら、見かけた誰かが通報しているのかもしれない。僕は公道から生えている小道に入り、人気の無い場所まで自転車を進めた。

 道の途中に空き地の様な場所を見つけた。そこには長方形のコンクリートの塊が四角く、だが乱雑に置かれてた。ちょうど椅子になりそうな高さだった。他にも、鉄骨が数本、空き地の端に固まっている。ひょっとすると、ここは建築材料の置き場なのかもしれない。僕はそこに自転車を走らせ、コンクリートの前に停めた。塊に腰掛けて、見つからない様に自転車のライトを消す。暗闇が僕を包み込む。恐くなってライトをつけようかと思ったが、誰かに見つかる方が恐ろしいので、グッと堪えた。目が慣れて、徐々に物の輪郭が判る様になっていく。ふと見上げれば、星と月だけが頼りの、夜の世界が広がっていた。


 不思議な高揚感があった。

 夜空なんて何度も見ているのに、まるで、星空を独り占めした様な気分だった。


 夜空の端には山の輪郭が辺りを覆っている。僕の住む町は山に囲まれた山中にある。学校やスーパーなど最低限の施設はあるので、山中にしてはそれなりの大きさの町だ。北と南に公道が続いており、南の公道を車で40分程走れば駅の中心街に辿り着く。北の公道にはまだ行ったことがない。大抵のことは中心街へ行けば済んでしまうからだ。

 ふと、北の道はどこに繋がっているんだろうと思った。母曰く、北の方には何もなく、集落が点々とあるだけとのことだった。まだ何かないかとあらん限りの記憶を引っ張り出す。その中で一つの思い出が蘇った。海だ。あれは確かまだ小学生に上がったばかりの頃、両親に連れられて海まで遊びに行ったことがあった。車から見えた山の山頂が三つほど連なっていたのが印象的で覚えている。初めて見た海は、壮大で、いつまでも続く水平線はまるで別世界に来たようでそこには無限の世界が広がっているようで波打ち際を走り回ったものだった。僕が思い出せる本当に楽しかった記憶の一つだ。僕は北の方に行こうと思い立った。元々人が多いところは好きじゃない。あの海をもう一度見てみたいという好奇心が勝った。

 徐に自転車のライトをつけて、持ってきた財布の中身を確認する。中身は三千円。コンビニで安いパンと飲み物を買えば、何とか凌げるだろうと思った。

 一息ついたら、急に眠気が襲ってきた。そういえば、何処で寝るとか考えてなかったなぁ、と虚ろな頭で考える。身体は徐々に力を失い、やがて引き寄せられるかのようにコンクリートの塊に身を委ねた。此処で寝てはまずいと思いつつも、意識は一瞬で遠のいていった。



 大きな音が聞こえた気がして、僕は唸りながら身体を起こした。目は重く、大きく開かない。大きな音は車が通る音だったらしい。寝起きで頭が働かない。『あれ、僕は何でここに?』そんなことを考えたが、直ぐに昨日のことを思い出した。カバンの中にあった腕時計は午前8時。既に日は昇っており、時折遠くで人が歩いている姿も見えた。人に見つかったら不味いと思い、僕は慌てて自転車に乗った。

 小道を伝って、公道に戻って来る。北に向かう道は遠くまで行くほど家が少ないということは覚えていたので、家が少ない方に自転車を走らせた。走っている間、すれ違う車や人を見るたびに顔を下に向けてやり過ごしていた。何度かやり過ごしている内に誰も僕に気に留めないことに気づく。信号で待っている時も、道の向かいで同じように待っていた大人はこちらをあまり見ることなくすれ違う。どうして何だろうと考えたが、はっと思い出す。今は夏休みなのだ。平日の朝に中学生が自転車を走らせていても何ら不思議じゃない。まだ寝ぼけているのかなぁ、と心の中でクスクスと笑い、ペダルに力を入れる。


 胸の中にはまだ靄が残っている。またあの海にもう一度行ける、その期待が靄を押し退いていく。僕はそれに寄り縋った。

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