アルゴリズム

赤城ハル

第1話

 真壁警部補は目の前の女上司である緑川忍が自分よりかなり年上であると知っていたが、自分より見た目が若い者から子供や警察の卵扱いされて二、三言い返してしまった。けれど経験の差か、すぐに一蹴されて真壁は指定された席に着いた。

「気ぃつけな。うちのボスは容赦ねぇからよ」

 隣席の両眼がボトルキャップの男がアドバイスを送る。

「そりゃあ、どうも」

 真壁は礼を言って、机にノートパソコンを置く。

「俺は土佐半次。よろしくな」

 手を差し出されたので、真壁は握手した。

「お前さん、生身なんだって?」

「ええ。銀歯以外は」

「そこ! 私語は慎め。それと早くパソコンを立ち上げろ! お前待ちなんだよ」

 真壁以外は全身サイボーグ。今から始まる捜査会議は電子情報で行われる。

 真壁はすぐにノートパソコンを起動させて、専用アプリを使用する。

『よし。では、これこら事件の説明を始める。被害者は水亀大板高校2年生の板垣幸弘。未来の卵だ。授業中に脳内チップのウイルス汚染で発狂し、クラスメートを危害を与えたもよう』

 ノートパソコンから緑川の音声が聞こえる。

 画面には高校と被害者の板垣、そして現場の写真が映し出される。

『被害者? 加害者でなくて?』

 土佐の声もノートパソコンから聞こえる。

 真壁以外はすでに意識がオンライン接続。

『原因はウイルス……と言いたいが、怪我を負ったクラスメートや学校が被害届を出していない』

『そりゃあ、またどうして?』

『怪我が軽かったからだ。だから穏便に済ませたいのだろう。しかし、今回は脳内チップのウイルス汚染。このまま何もしないというわけにはいかない』

『なるほど。だからうちに回ってきたのか』

 ここは警視庁捜査一課サイバー犯罪捜査8係。主にサイボーグ系の事件を捜査している。

「ウイルス系なら1係では?」

 真壁は意見を述べた。

『ただのウイルスならね。調べによるとウイルスはGAVZ-08。坊やも知ってわね?』

「坊やはやめてください。GAVZ-08ですね。知ってますよ。脳に大量の興奮物質を作らせるドラッグウイルスですね」

 日本ではドラッグは薬という意味で使われるが、海外では覚醒剤という意味で使われている。

 そしてドラッグウイルスGATZ-08はアングラの人間が覚醒剤代わりに使っているものだ。

『そのドラッグウイルスをいち高校生が使ったの。しかも暴力を振るった』

 アッパー系で気分は高揚したとしても、いち高校生が授業中に暴れるだろうか。

 そもそもどうして授業中にドラッグウイルスを使うのか。

『これより捜査の班分けをする。塩見は──』

 緑川が指示を出す。

『──では、真壁は学校に行き、関係者から話を聞いてくるように』

「あのう……」

 真壁は返答の代わりに疑問の声を出す。

『なんだ?』

「自分一人なんですか?」

『なんだ? お守りが欲しいのか?』

「いえいえ、普通は二人一組でしょ?」

『これくらい一人で十分だろ。一応、運転用のアンドロイドを付けておく』


  ◯


 水亀大板高校は前時代風の進学校であった。

 真壁はまずは校長室に通され、校長と教頭、担任に事件のことを聞いた。その際に被害者である板垣幸弘のことも聞いた。

 その後、クラスメート一人一人に話を聞く旨を要望すると彼らは困った顔をした。

 断られることはなかったが、「生徒の心身を考慮して」とのことで担任が付き添うという形となってしまった。

 担任は中川という三十代の女性。論理的でいかにも硬い教師というイメージを真壁は受けた。

 そして生徒指導室で2年D組の生徒達に話を聞く。

「無理に話さなくてもいいから。苦しくなったらいつでも言うように」

 生徒一人一人に話を聞く前、必ず担任の中川が生徒に告げる。

 そのせいかどうかは不明だが、たいした情報は得られなかった。さらには真壁の質問に中川教師の方が答えるということもあった。

 最後の生徒に話を聞き終えて、真壁は中川教師に話を聞くことにした。

「私……ですか?」

「ええ」

「初めに校長や教頭と共にお答えしましたが」

「いくつか聞きたいことがあるのです。手間はかかりませんよ」

 中川教師の返答を聞く前に真壁は質問を開始する。

「中川先生は2年間、板垣君のクラスを担当していますね」

「ええ。偶然にも」

「中川先生は英語を教えているようですね」

「そうですが」

 だから何だという視線を真壁は感じた。

「板垣君はクラスは理系ですよね。文系の先生が理系クラスの担任を務めているのはどういったわけで?」

「何を言っているのですか? 私が生まれる前からグローバルの時代ですよ。理系文系関係なく、英語を教えるのはおかしくはないでしょ?」

「しかし、中川先生は文系よりの授業内容だとか? 現に理系クラスの英語は担当していないですよね?」

「理系でも英語が好きな生徒はいます。時折、文系レベルの英語に関する問いを理系の子もします。それに大学入試も文系レベルの実力が必要なときもあります。理系だからといって英語が不必要なわけではありません」

「そうですか」

 真壁は次に現場となった教室を見てみたいと中川教師に求めた。

「今は生徒が……」

「構いませんよ。なんでしたら廊下から見るだけでもいいので」

 そして真壁と担任の中川と共に現場の教室に向かう。

 現在、自習中で生徒達は真壁と中川教師を見るや、課題を真剣に取り組み始めた。

「あちらに板垣君の席がありました」

 右から縦二列目、横四列目に空白があった。

「空白なのはなぜですか?」

「……事件に関するものなので、現場保全といいますか、物証を保管しておくべきかと……」

「今はどちらに?」

「別室に」

「見せてもらえますか?」

「ええ」

 板垣幸弘の机と椅子は空き教室に置かれていた。

 真壁は机の中を調べた。中は何もない。鞄掛けにも何も掛けられていない。

「荷物がないですね」

「鞄はご家族の方にお返ししました」

「机の中は空ですが?」

「ブック型学習タブレット授業がほとんどなので」

 ブック型学習タブレットは右画面が教科書、左画面がノート代わりとして使われるタイプ。


  ◯


『どうだった?』

 乗車してすぐに真壁は緑川に報告した。

「担任の中川が生徒への質問に邪魔をするので生徒からの話は全く」

『で? まさか報告はそれだけとは言わないわね?』

「いえ、知り得たことはまず……学校からの板垣幸弘は大人しく、物静か、温厚な生徒と聞いております。そして生徒達からもそのような性格だと聞いてます」

『友人関係は?』

「ありません」

 板垣幸弘は友人が一人もいないぼっちだったらしい。

『襲った生徒とのトラブルは?』

「それを聞こうとしたら担任が邪魔をして」

 真壁は肩を竦めた。

『どうして担任を同席させた?』

 今日会ったばかりの緑川の顰めっ面が頭に浮かんだ。

「それが条件だったもので。でも、これで学校が何か隠しているって分かりますね」

『何を隠している?』

「いじめですかね」

『根拠は? まさか刑事の勘なんて言わないよな? それとも学校だからいじめか?』

「根拠はあります」

『ほう? 言ってみろ』

 どこか挑戦的な発言だった。

「まず板垣幸弘に怪我を負わされたクラスメート池谷に話を聞きました」

『登校しているのか?』

「はい。普通に。怪我も軽微だったからでしょうね。そして話を聞く限り、池谷は焦りと苛立ちを持っていました。怖がることもなく、不安に感じることもなく」

『フッ、心強い少年なのかな?』

 緑川が笑みこぼしながら言う。

「見た感じヤンチャ系ですね。猛禽類のようなガラが悪いというよりも冷笑系で狐のような人間です。楽して生きたい、一度見下した相手はずっと貶すタイプ。もしかしたらドラッグウイルスも彼からでは?」

 板垣幸弘は暗めで弱そうな子だ。そんな彼がアングラのドラッグウイルスを手に入れたとは考えにくい。

『人を見かけで判断してはいけないぞ』

 見た目年齢が実年齢の三分の一くらいの緑川が言うと真壁は言い返せない。

「以上……っと、そうでした、もう一つあります」

『なんだ?』

「現場の教室を見ました。すでに通常通りに使われていますね。そして板垣幸弘の席だけは念のため、空き教室に置かれていました。それで板垣幸弘の机と椅子を確認したのですが、あれはたぶんですが、あの机と椅子は別の物ですね」

『理由は?』

「シンプルに埃が付いてました。それと机と椅子の高さがあってませんね。急遽ありあわせた感じです」

『そうか。次は板垣の家に向かえ』

「了解です」


  ◯


「いじめです」

 板垣の母親は開口一番に言い放った。

「どうして?」

 用意していたのだろう。ノートとプリントアウトした画像を板垣の母親はテーブルの上に広げた。

「拝見します」

 板垣幸弘はいじめに関してきちんと纏めていたらしく、イニシャルではなく、きちんと誰それから被害を受けたことが細かく書かれていた。中には板垣自身も確固たる加害者が誰か分からないケースもあるようだ。プリントアウトした画像には被害を写し出したもの。

「これらをお預かりしても?」

「ええ。よろしくお願いします」

「貴女は息子さんのいじめについて、いつから存じておりましたか?」

「異変は半年くらい前に。いじめを知ったのは1ヶ月前です。学校にも相談しました」

「学校に……ですか?」

 それは悪手だなと真壁は感じた。

「はい」

「相談して何か変わりましたか?」

 板垣の母親は首を横に振る。

「何も。というかむしろ悪化しました」

「悪化。暴力が増えたとか?」

「いいえ、より巧妙にバレないような。悪質な嫌がらせが」

 板垣の母親は下唇を噛んだ。

 だろうなと真壁は心の内で呟いた。

「その後は弁護士の方にも相談して……そしたらこんな事件が」


  ◯


 車は運転用アンドロイドがハンドルを握り、真壁は助手席で緑川に報告中。

「板垣幸弘はいじめ問題を弁護士を通して解決しようとしていたらしいです」

『その弁護士は?』

「村田晴人。データをそちらに送ります」

 真壁は電子名刺のコピーを送付する。

『ウイルスについて母親は何か知っていたか?』

「そちらは全く知らないようですね」

『半グレとの繋がりは?』

「ありませんね。外出も少ないですし。買い物も通販が多いです」

『通販系はこちらも追っているが、怪しいサイトを使った記録もない』

 ここで土佐からのキャッチが発生。

『おや? 取り込み中かい?』

『終わったところだ。何かあったか?』

 真壁は通信を切らず土佐の報告を聞く。

『板垣幸弘の脳内チップはメモリー系だ。型番はHIPPO-M3EX』

『メモリー? 記憶障害持ちか? 若年性アルツハイマーか?』

『いや、そうじゃねえな。一時的にメモリーをたくさん保存するタイプだ。一夜漬けにはぴったりだな』

『どうせ忘れるなら初めからおぼえておかなくてもいいものを』

『暗記系テストは好成績だぜ』

「そのチップは学校でも推奨しているやつですね」

『学校まで不正に手を染めるとは』

「不正ではありませんよ。結局、本人が勉強して憶えるのは事実ですし」

『けどな……』

『今はそんなことより、このチップではドラッグウイルスによる効果はないってことだ』

『メモリー系だからな』

『でも、メモリー系なら容量も多いし。ドラッグウイルスも入れられるだろ?』

『入れたからなんだ? へそで茶を沸かすようなものだぞ』

「けど、板垣幸弘はドラッグウイルスGAVZ-08により異変を起こしたんですよね」

『ああ』

「ならそれは埋められた脳内チップがメモリー用ではなく、もっと別の……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る