藤本紗夜の隠し事 

@UesannU

第1話 厄介な盆の客

          約束だ。


 ・・・約束? ・・・なにか、わたし、やくそく、した?


 固定電話の音が鳴り響く。離れの2階で寝ていた紗夜さやはうっすらと目を開けた。頬には開いたノートと伸びっぱなしの長い前髪の跡がくっきりと残っている。

 あれ?寝てた。誰もいない?相馬そうまは?

 紗夜はおもむろに起き上がると、リビングにある鳴り止まない子機を手に取った。

「はい、藤本ふじもとです」

 電話ごしの聞き覚えのある声に紗夜は落胆した。その時、弟の相馬そうまがスマホを片手に廊下から顔を出した。「だれから?」と、口だけが動いている。

 お前!いるなら電話に出ろよ!、と言いたいところを飲み込んで、紗夜は相馬を睨みつけた。

 相馬はニヤリと笑って紗夜の眼光を逸らすと部屋に戻って行く。

 くそ。あいつ、わざと電話にでなかったな?

 電話の向こうから「ちょっときいてる?」と催促される。ミカコ叔母ちゃんからの電話は長くなるから出たくなかった。早く終わらせたい。

「う、うん?今じいちゃんたち呼ぶから待って!」

 紗夜は子機を保留にすると、2階の出窓から外を見下ろした。ちょうど祖父母たちがビニールハウスで修繕作業をしている。階段を駆け下りて庭に出た。ビニールハウスは離れと母屋の間にある。


「じいちゃん!!」

 紗夜の呼び声に祖父が振り返った。

「何だ紗夜。お、ほら、蝉だ」

 そう言って、祖父は皺だらけの日焼けした手でちょうど肩に止まった蝉をつかみ、紗夜の方に腕を伸ばした。

 正直、蝉は好きじゃない。小学生の頃は裏庭の杉林で虫取りしたけど、もう・・・興味ない。

「なーに言ってんだか!紗夜はもう高校に上がったんだ。蝉なんていんねべぇ」

 先日の嵐で壊れたビニールハウスを直しながら、祖母が呆れたように言う。

 珍しく意見がばあちゃんと合致した。でもじいちゃんの伸ばした手を断るのも、なんだか寂しい。

「見せて」

 薄く透明な羽はきっとミンミンゼミだ。体には薄い白い線、緑色の縁取られた羽は逃げたくて仕方なさそうだ。

「いんねなら、逃すぞ?」

「うん」

 じいちゃんが手を離すと、素早くミンミンゼミは飛んで行った。

「父ちゃん早く!その紐、こっちさ、くくってけろ!」

「どれ、どこさ?」

 祖母の呼びかけに祖父がビニールハウスに戻る。

 その時、上から相馬の声がした。

紗夜姉さやねぇ!電話!保留のまんま!俺、友達のところ行くよ!?」

 そうだ、ミカコ叔母ちゃんから電話だって呼びにきたんだった。

「じいちゃん!ミカコ叔母ちゃんから電話だった!どうする?後でかけ直す?」

「なぁに!?なしてそれ早く言わねの?!」

 聞いていたばあちゃんがすかさず反応した。ビニールハウスの修繕作業をじいちゃんに任せると、首にかけた手拭で汗を拭き、手袋をハウスの骨組みにかけて母屋に急足で歩く。曲がった腰とガニ股の足では思うように早く歩けないようだ。そこに相馬が急いだ様子で自転車にまたがり「行ってくる!」と振り返ることなく出て行った。


 2階へ戻ってしばらくしてから窓から下をのぞくとビニールハウスの修繕を終えた祖父が汗だくの下着を井戸水で洗い流していた。祖父は作業を黙々とこなすタイプだ。そこに祖母が戻ってきた。

「いやー、まいった。ミカコの長話は!」

 どうやら話はついたようだ。迷惑そうに言っているけど顔は笑っている。母屋に向かってもう30分以上は経っていた。

 祖父は手を止め、顔を上げた。

「んで、ミカコはなんだって?」

「なにって、ほら、お盆!けえーってくるって。車で!まったく、いっつも急でまいったもんだぁ」

「わかった。んならあとで用足しにいってくっか。家の中、なんもねぇべ」

「父ちゃん、行くならもう行ったほうがいい。日が暮れちまう。ついでに仏壇にあげるお菓子も買ってきてな?」

「わかったぁ。せんべいでいいな、せんべいが長持ちすんだ。」

 叔母は祖父母の養女で、祖父母は若くして亡くなった弟夫婦の娘である叔母に実の息子よりも甘かった。弟の娘だから責任もあるし、祖母は娘を産めなかったから叔母に甘いのだと曽祖母の法事の時に親戚たちがヒソヒソと言っていたのを紗夜は聞いたことがある。

「紗夜!紗夜ぁ!じいちゃんと小泉こいずみに用足しいけ!ジュースでも買ってもらえ?」

 祖母が声を張り上げながら見上げる。小泉は駅前にある祖父御用達の老舗スーパーだ。近くには郵便局やレストランもある。最近は小さいコンビニもできた。

「はーい」

 紗夜は一向に進まない宿題を閉じて、学校のジャージを廊下に脱ぎ捨て、買ったばかりのワンピースに着替えた。

 こんな小さな田舎じゃどこでクラスメイトに出くわすかわからないし、少しでも見栄えは良くしとかないと。

 走って離れの階段を下り、サンダルを履いた。外に出ると、すでに祖父は先月の敬老会主催のスポーツ大会でもらった名入りのTシャツに着替えて軽トラに乗っていた。祖父の名前が背中に大きくはっきりと書かれている。

 じいちゃん、それでいいんだ。

「紗夜、行くぞ?」

「ちょっとまって」

 急いでシートベルトをすると、じいちゃんはエンジンをかけた。

 雨が上がった後の特に暑い夏の日の軽トラは、いつも土臭い。

 

 ふと、紗夜が母屋の玄関を見ると何かが立っているのが見えた。眉をひそめる。私とは正反対のストレートヘアらしきよく見る背格好。


 相馬のかげだ。


 影だけがこっちを向いて立っている。影は話さない。そして見える者にしかその行動をみせない。普段はいつもの影だ。

「相馬、なにやってんだろ。」

 影だけ帰ってくるなんて、何か、相馬に嫌なことが起こるかもしれない。

「相馬は友達と出かけたんだろ?どこの友達だ?」

「・・・わかんない」

 紗夜には見える。はっきりとではないが、俗に言う幽霊やあやかしというものが物心ついた頃から見えた。

 妖は至るところにいる。家の隅や物陰、生き物の側や物の側など、様々だ。そして妖たちは互いを認識しない。妖たちは個々に世界があるようでその世界に干渉しなければ引っ張られることもない。見えない者には見えないが見える者には見られている。そいうものだと紗夜は小さい時の経験から学んだ。

 あの影は私を見ていた。とりあえず相馬を探さないと。自転車で行ったから、家の近くの友達じゃない。なら町かな。


「ついたぞ。」

 祖父がエンジンを切る。

「じいちゃん、買い物終わるまでその辺、見てきていい?」

「いいけんど、30分ぐれぇでけえっかんな。」

「うん」

 紗夜は車から降りると小泉の店の前の大通りに向かって歩き出す。そこで相馬の影がこっちを向いて立っていたからだ。

 きっと案内してる。

 この辺に相馬がいるのかも。

 「影」は、霊とは違う。その人の影のような形をしていて、顔が見えるわけじゃない。でも見える者に危険を知らせてくる。そして影は他人に近寄らない。だから紗夜の近くにも寄りつかない。

 しばらく影を追って商店街を歩き回ると、コンビニの前で相馬を見つけた。すると追っていた影もすっと消えた。

 「相馬!コンビニで何してるの?友達は?」

 相馬がいないはずの姉の声に驚いて紗夜の方を向いた。

 「紗夜姉さやねぇ!え?なんで?」

 「じいちゃんが小泉に用足し。だからその辺ふらふらしてた。相馬はなんでコンビニ?友達は?」

 「いやー、なんか、コンビニで待ち合わせ」

 そう話す相馬は落ち着きがない。こう言う時は大抵嘘だ。でも何が嘘なのか。友達と会う?会わない?そもそも友達じゃない?でも出かける時は嬉しそうだった。

 「本当に?」

 「あー。なんか、えーっと。彼女。お、俺は友達がいいっていったんだけど!か、彼女じゃなきゃいやだって言われて!ひっつかれてさ!!」

 はぁ。弟が照れてる姿なんて見たくなかったな。小6で彼女かよ。私はいまだに彼氏いないけど。

 「何それ。押し切られてつきあってんの?同じ学校?何年生?」

 「同じ学校じゃない。多分同じ年だと思う。付き合ってるっていうか、よくわかんね。」

 「何それ。さっき彼女だって・・・」

 そうか。なんか、訳ありか?これは、姉の私が彼女さんに会って、説明する必要がありそう。そもそもこいつと彼女さんの間に付き合うことについて誤解がありそうだ。

 相馬の影がまた現れた。間近でみると首が妙に細い。やっぱり何かを伝えようとしてる。

 「相馬、あんたさ、」

 「何?」

 紗夜はギョッとした。姉を見上げた相馬の首に手が巻き付いている。そしておぶさるように女のようなものが憑いている。顔が歪んでいて、相馬を悲しく睨んでいるような、そんな顔で見上げている。

 女・・・だな。これが彼女か?なら生霊か?生霊にしては・・・いや、あまり見たくないな。

 「最近、彼女と喧嘩した?」

 「え?いや。してない。というか、いつもくっついてくるし、俺が何を話しても、笑ってるだけだし。よく話聞いてくれる」

 「え?」

 それは、なんか、嫌な予感がする。

 突然、相馬に憑いてるものが消えた。

 「あ、あの子」

 相馬がコンビニの後ろの公園から歩いてくる少女を指差した。相馬の首にまとわりついていた女と同じ背格好だ。間違いない。

 少女が相馬を見つけて手を振る。同時に向こうが紗夜に気づいた。驚いた顔で立ち止まる。

 「あ、ねぇちゃんだって説明しないと。」

 「そりゃ驚くよね」

 相馬には悪いけど、あれは人間じゃない。人に化けたり憑いたりする系の妖だ。相馬に見えてるのが不思議。すれ違う人たちがあの彼女に気付いてない。それに影も無い。きっとあの顔の意味は相馬と彼女の世界に私が入ったことに驚いたんだ。でも、なんで何も見えないはずの相馬に彼女が見えてるのかってことだ。どこかで繋がりができたのか?

 「せっちゃん。これ、俺のねぇちゃん!」

 相馬が紗夜を紹介すると妖は相馬の腕を引っ張るり、弟のうしろに隠れた。

 結構執着されてる。このままはまずい。こういうのは生き物を弱らせる。でもきっと私には簡単には触らせないだろうな。

 「ねぇ相馬、家に呼んだら?小泉でじいちゃん買い物してるし、お菓子もたくさん買ってるって!ね!そうしな!ね!!」

 「は?え?どうする?うちくる?せっちゃん?」

 相馬が彼女の顔をみる。女の視線が泳ぐ。紗夜とは目を合わせない。相馬の顔をじっと見るだけだ。

 「せっちゃん、ねぇちゃんの言うとおり、うちならクーラーついてるし、お菓子あるし、公園で会うよりいいかも!」

 女は少し困ったようだが、微かに頷いたように見えた。

 相馬の話なら聞くのか。恨みで憑いてる訳じゃなさそうだ。でも、相馬の影が首を絞められているには変わりない。これはよくないものだ。

 紗夜は相馬たちと一旦別れ、祖父の軽トラで家に帰った。しばらくして相馬が彼女を連れて帰ってきた。

 「じいちゃん、相馬、帰ってきた。」

 紗夜が2階の出窓から庭でトム(我が家の番犬の豆柴)の世話をしていた祖父に声をかけた。祖父が相馬を見る。トムが吠える。

 「んだな。どれ、あとで自転車みてやるか」

 じいちゃんには相馬のうしろにいるが見えてない。やっぱそうだよね。

 「相馬!2階にお菓子準備してるからおいで!」

 「わかったー」

 相馬は返事をすると自転車を祖父に預ける。彼女を祖父に見られたと思っている相馬は気恥ずかしそうだ。

 離れのリビングに相馬が足を入れた瞬間、ドアの後ろに隠れていた紗夜は相馬の後ろにいる彼女に素早く触れた。その瞬間、紗夜がおんなの世界に入った。女は相馬の後ろに戻ろうとするが、もう相馬には見えていない。見えない者に妖は無力だ。

 「あれ?せっちゃん?ねぇちゃん、せっちゃん下かな?ちょっと見てくる」 

 「待って相馬、私がみてくるから」

 そう言って紗夜は離れのリビングをでる。女はリビングに入ろうとしても紗夜に掴まれて入れない。

 紗夜が目を合わせると少女の顔が歪み始める。その顔に紗夜は見覚えがあった。

 紗夜は相馬の部屋に入る。そして部屋中の引き出しをひっくり返し始める。女が紗夜の腕を引いて必死に止めようしているが、紗夜の方が力が強い。

 あった。これか。

 相馬の机の引き出しの奥にあったのは小さいお菓子の箱だ。紗夜がそれを取り出すと、女の顔だけではなく体も歪み始めた。背中からは羽が生え、手足が脇腹からも生え始める。

 紗夜が箱を開けるとミンミン蝉の死骸が入っていた。

 あいつ、生き物の死骸をこんな箱に入れっぱなしにして。ここが墓場になってるじゃん。この彼女さん、蝉の妖か。そりゃ相馬の側にいつくわ。でもここまで大きくなるまで全然気づかなかった。

 紗夜が振り返ると女は大きな蝉に変貌し、相馬の元に行こうと必死で部屋の扉を開けようとしている。それを相馬の影が必死に止めている。蝉が相馬の影の首を細い足で絞める。

 コイツ。相馬のことも一緒に連れて行く気だったな。でもコレが話せないでよかった。人の言葉を話す妖は危ない。

 紗夜は妖を操れるわけではない。ただ、妖の世界の元を断てば、繋がりを絶てることは知っていた。蝉の死骸が入った箱を持って部屋の外へ出る。相馬の影も出る。蝉もそれにつられて引っ張られるように出される。

 そして紗夜は急いで母屋にある仏壇の線香を取り、箱に火をつけ、庭の砂利の上に放った。蝉の死骸の入った箱がみるみる燃えていく。蝉の妖は姿を保てなくなったのか、影から足を離す。そして死骸が燃え尽きると、蝉の妖は煙のように消えていった。

 「ねぇちゃん!せっちゃんいない!迷ったのかも!」

 相馬は焦った顔で母屋に走ってきた。家の周りを一周しても見つけられなかったんだろう。

 紗夜は燃えカスを指差した。

 「あんたさ、引き出しに蝉の死骸とってたでしょ?なんで?」

 「え!?引き出しにあった!?んで、なんで燃えてんの!?俺の蝉は!?今年初めて見つけた蝉だったのに!!」

 初めてって。もう八月だけど。

 「これ。あんたの彼女。」

 「え?何言ってんの?」

 砂利の上で黒焦げになった箱を相馬はポカンとした目で見つめた。


 紗夜は相馬の彼女が妖だということを伝えた。紗夜と相馬以外は彼女を見えていないことも。

 紗夜が昔から何か見えていることは相馬も知っていた。ただ自分は見えないからそういうものがやってこないと、たかを括っていたようだ。

 「これが俺の初恋になるってこと!?でも彼女だって思ったけど、なんだか告白された記憶がない。・・・何で?」

 きっと蝉の世界で話したんだろう。でも世界から出れば、夢の中にいたような感覚になる。うろ覚えなのも仕方ない。

 「恋というか、単なる興味だったんじゃない?蝉だし。」

 「興味を持つことが恋の始まりって悠太がいってた!」

 「おっ、悠太(相馬の幼稚園からの幼馴染)小6で気づくか。そして相馬、生き物は死んだら土に埋めるか燃やせ。」

 紗夜は少し落ち込んでいる相馬を見て笑う。


 翌日、3年前に亡くなった叔父をつれて今年も千葉からミカコ叔母ちゃんが帰ってきた。

 「ただいま紗夜!元気だった!?明日は誉田家ほんだけ(叔父の実家)で3回忌だから、先にこっちに寄ったの!」

 「うん、いつもどおり」

 「相馬は!?」

 「失恋で落ち込んでる」

 「なにそれ面白い!相馬〜!?」


 すまんな、相馬。

 盆は妖も人間も騒がしい。

 今年のお盆も、何事もなく過ぎればいいな。


 「そうだ紗夜、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 「・・・何?」

 改まってどうしたんだろう。

 





 



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