第2話 僕の気持ちは


今日もまた名前も知らないあの人に会いに行く。



あの人の事を知りたい。

そう思いながら僕は、仕事終わり

またあの食堂に向かった。


「いらっしゃいませ」


店主がいつものように迎えてくれた。


いつもと同じメニューを頼み

端の席で待っていた。


今日はやけにお客さんも少なくお店が静かだな。

そう思っていたら店主が初めて声をかけてきた。


「お兄さん最近よく来てくれますね。

この辺の人なの?」


「はい。仕事終わりでここを見つけて 」


まだ数回来ただけだが、店主が話してるのをあまり見た事なかったから驚いた。


「そうなんだ。ゆっくりしていってね」


「あのいつもの女の人は居ないんですね」


僕は、いつのまにか口を開いていた。

気になる人には話しかけることなんて出来ないのに、こうゆう事は普通に聞けてしまう自分は一体なんなんだ。


「ああ、わたしの娘なんですよ。

今日は休みなんだ」


「え、あ娘さんだったんですね」


僕は焦った。

まさかお父さんとお店をやってたなんて。

変なことを聞いてしまった。

どこを見ればいいかもわからない。


「あんまりあの子は、強いほうじゃないからたまにいないけどごめんね」


強い?気になったがそれ以上は聞けなかった。



何かを悟られたかのように謝られた。

僕は、狙っている客の1人だと絶対に思われた。

申し訳ないし失礼なことを聞いてしまった。


「ご飯が美味しいので食べに来てるだけなので気にしないでください」


僕は、まるで興味が無いように、平然と嘘をつきその日の会話は終わった。


帰りながら考えていた。


大丈夫なのかな。

何が強くないんだ、体かな。

次はいつ来れるんだろう。


そんなことを考えながらお父さんに言ってしまった失言にも反省をしていた。


今週は週末だけ行こう。



あんな発言をしてしまったから少し時間を

置かなきゃ気まずくて行けない。

そんな事を考えながら、眠った。



いつもと変わらない朝なのに、あの人に会っていないせいかやる気が出ない。

小さな事でも綺麗に見えていた世界が、昨日会えなかっただけで汚く見えた。


彼女に会えないだけで、濁って見える。


そんな長い一週間が、ようやく終わった。


今日はやっと会えるかな。

少しだけ期待をした。



またあの人は居なかった。



あれから時間だけが妙に早く過ぎていった。

何度かお店へ行ったけれど、

あの人には一度も会えていない。


どうしても会いたい。

聞きたいことがある。


会えない日が続いてからどんどん、頭の中はあの人で埋まっている気がした。



もう居ることを期待しない。

居るかも。そう思って居なかった時、心のダメージが大きすぎるから。



金曜日。

まだ-汚い世界の社畜の1日を終え、


僕は、食堂へ行った。



「いらっしゃいませ」


久しぶりだ。


この声を聞いて、汚れていた自分が綺麗に洗われるようなそんな気分だった。

胸の鼓動が大きくなっていく事を当たり前のように隠しながら、


いつものメニューを頼んだ。


「生1つと焼き鳥です」


絶対に話しかけると決めた僕は、

自分の緊張をごまかし、少し目線を逸らして話しかけた。


「休みが続いていたみたいだけど、大丈夫なんですか?」


お互い何も知らない僕に、こんなことを聞かれても怖いし気持ち悪いよな。

言った後にまた後悔しながら返事を待った。


「えっと、もう大丈夫です!心配してくれてありがとうございます」


その表情は初めて見る優しい顔だった。



「それならよかった。お大事に」



自分がどんな態度をしているのかすらも

分からないほど、その笑顔に惹かれていた。


少しの時間。本当に少し―

それしか過ごしていないこの時間が

僕にとって大事だった。


もし友達にこの事を話したら

情けないな。くらいに笑われるだろう。

僕は、いつも何も動じないみたいな顔で、格好つけて生きてきた。


この姿は、まさか誰も想像できないだろうな。


本当だったら皆みたいに


綺麗ですね。お名前は?


そんな風に簡単に聞けたら僕の人生

また違ったんだろう。


そんなことを考えている暇があるなら

話しかけろ。

自分に呆れ、笑ってしまった。


「お会計お願いします」


絶対にこれだけは言うと決めていた。


「美味しいご飯ありがとうございます。

いつもここに来るの楽しみにしてます。」

今の僕の精一杯の言葉はこれだけだった。


彼女はその言葉を聞いて、顔を赤くしながらこう言った。


「あ、あそれはよかったです。また待っています。」


「また来ますね。」


「あの、お名前は?」


その一言に頭は真っ白になった。


「え?」


「ごめんなさい。突然。名前を」


「奏です。あなたは?」


「澪っていいます。また来てくださいね」


「また来ます」


そう言って店を出た。

僕はどうしようもなく嬉しかった。

誰かに話したくてしょうがない。

顔から嬉しさが滲み出ているだろう。


それと同時に、ずっと聞きたかった言葉を彼女から言われるまで、言えなかった自分に情けなさで今にも崩れ落ちそうだ。


外は冷たく白い息が出るくらい寒くなっていた。

顔が冷たいはずなのに、すごく熱い。



彼女も、もしかしたら僕が思ってるみたいに同じことを…


けどまさかあんな綺麗な人がそんなことあるわけないだろ。

都合いい妄想をしている自分につっこんだ。


眠る前に何度も頭の中に

澪。―この名前だけが繰り返される。




それからは週に2回ほど食堂に、通った。

本当は毎日行きたい。

そんな気持ちを抑えながらキモがられないようにと、決めた曜日だけ行くことにした。


週に2回たったそれだけ会える日々が楽しくて幸せで、何も進展がなくても

それが―頑張れる理由だった。


名前を知ってからの日々は、

前と違うそんな気がした。

店に行く度お互いなんとなく感じているような

暖かい時間が流れていく。



-この時間は少しづつ変わっている気がする。



「いらっしゃいませ」


どこでも聞ける言葉。

誰にでも言う言葉の中には、僕だけの

暖かさを感じていた。

それと同時にその声からはどこか寂しく

胸に痛みが走る日もあった。



そんな幸せを噛み締める日々。

いつの間にか、本格的に冬がはじまっていた。


今日は何を食べよう。

緊張で少食になっていた僕は、少しづつ食べれるくらいには、慣れてきたみたいだ。


だからいつもと違うものを注文した。


「生姜焼き定食お願いします」


「今日はいつもと違うんですね!」


彼女が笑顔でそう言った。


「たまには、と思って」


「すぐ作ってきますね 」


そう言った語尾だけ、少し沈んで聞こえた。



僕は静かに待った。


「はい。生姜焼き定食です」


僕は、食べたと同時に

声がもれ、彼女の顔を見上げていた。


「すごい美味しい 」


「あ!初めて目が合った!」


僕はまた息が止まった。


「え?」


「何度来てくれても全然目が合わない方だなって思ってたんです 」


僕は全身から汗が出ているんじゃないかと思うほど恥ずかしかった。



「いや、あ、いつも美味しいけど、

本当に美味しいよ。ありがとうございます。」


僕は、ご飯の話で遮った。

言葉になっているか分からない言葉を喋っていた。


「よかった…こないだ美味しいご飯をありがとうって言ってくれましたよね。いつもはお父さんが作ってるんです。これは私が作ってみました。」


「そうなんだ。ありがとうございます。」


僕はお礼ばっかりで、ちゃんと答えれているんだろうか。



「なんだかそろそろ、雪が降りそうですね。

見れたら嬉しいな 」


彼女は嬉しそうな顔をした後、時々見せるどこか冷たい表情で

下を向きながら戻って行った。



見れたら嬉しいな。それは1人でなのか

僕となのかちょっと期待してしまった。


その後見せた顔も、忘れられなかった。



僕はまた、ここに来ると綺麗な世界を見ることが出来る。

嬉しい気持ちと、痩せてしまう僕がいることに

少しだけ恥ずかしくもなる。


―こんな幸せな時間が続けばいい。

心から思った。




目が合った時。

近くで微笑んでくれたあの笑顔。

頭から焼き付いて離れない。


でもどこかで僕の胸が痛む瞬間は

少しづつ増えていった―




彼女との時間は、流れが早く感じる。



今日は、いつもより早く仕事が終わり

早く会えると舞い上がりながら外に出た。


すごく土砂降りが降っていて

人も全然歩いていない街並みはいつもとは

見る景色が全く違った。

胸の奥に広がる痛みも、いつの間にか強くなっていた。



―もしかしたら今日はこの雨が雪に変わるかもしれない。


そしたら一緒に。



「いらっしゃいませ 」


前にもこの感じがした。


僕はご飯を食べ終わるまで何も聞けないままでいた。


気になったままじゃいられない。

帰り際に聞いてみた。


「今日は娘さんお休みですか?」


あの日散々後悔した言葉をまたいつのまにか言っていた。


「…」



この空気の重さに耐えられない逃げたくなるように、時間が遅く感じていた。


「あの子は昔から少し…弱いところがあって」


お父さんは言葉を止め、もう一度口を開いた。


「すぐ元気になりますよ 」


沈んでいた表情が消えいつもの顔で笑っていた。


「そうなんですね。お大事にとお伝えください 」


「ありがとう 」


お父さんの優しい笑顔とありがとう。

その一言で店を出た。



いつも優しいまた来てね。

が無かったことに気づかないふりをした。



いつも汚かった世界を僕に、明るく綺麗に見せてくれた―澪さんが待っているあの食堂。



あの日から食堂が照らされることは一度も無かった。



張り紙もなく、理由も書かれていない。



僕は、まだ澪さん。そう呼べてない。

幸せが壊れるのが嫌で、

行動に移さなかった自分をこの先ずっと呪うだろう。


澪さんは、僕に沢山見せてくれたのに

まだ何も見せてあげられていない。


お父さんが言った弱いという言葉も、

澪さんの少しどこか曇って見えたあの表情も

僕の心に引っかかるように、嫌な予感がずっとしていた。


僕はまだ何も知らない。


知っているのはあの時聞いてくれたから

知ることのできた名前だけだ。



どんだけ自分に語りかけても、もう会えない気がして怖くて仕方ない。


何かが始まったわけでもない。

僕一人が勝手に心の中で、生きる意味にしていただけなのに。

胸が、こんなに締め付けられていく。



それとともに、雪がどんどん振り続けていった。



今じゃないだろ。今じゃない...



一緒に見たかった。




僕は、振り続ける雪を見上げることは、もう出来なくなっていた。

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