2025/11/29 12:24
つまるところ私は自分の文体が欲しかった。小説を書く上での顔という顔がほしいのだ。物語にしてもその構造にしてもありきたりになった現代において、数文読んでこれは私であるとわかるほどの強さが欲しいのだ。
今日はいささか嫉妬に狂っていた。というのは七色の同名の壁のことである。私はここを通るたびにそれらを目にして、いま中国がやっているプロパガンダと同様の同調圧力じみたものに気圧されてしまう。これが人気だからこれが正しいと迫られれば、必ずしもそうではないにもかかわらず、説得力があるのも事実だ。個人の好みは誰のものでもないが、それが集まったランキングというのはどうしてあそこまで存在感があるのか。その陰に埋もれている人間からすれば嫌な存在だ。しかしながらあれがなければここもないので感情は感情のままだ。ましてやどう足掻いても私は私のままで、、テンプレはできない。不可能なのだ。
されども嫉妬は強いようで、さきほどXの投稿上限に掛かるまで小説を投稿しまくってしまった。こんなことをしても心持ちは変わらないのに。
最終的に行き着くのは書くべきものを、どうであれ書くしかないというもの。自分に書けるものしか書けない。そこに利益はもちろん、読者がなくとも完結させること。何のために投稿しているのかわからなくなるが、自己満足にしては如何せん空虚だ。しかしそれくらいしか書けるものはないのだ。私は精神論が嫌いであるが、それ以上になろう系が嫌いで、そのせいでこの有様だ。
このように自分は自分であると認めると素直な気持ちになる。ならば先ほど言った、文体も悩むことではない、、と言い切れないのは単にプライド、翻訳すれば嫉妬なのだが、ともかく文の顔が欲しい。
私が文体を文の顔と呼ぶに至ったのは、三島の文体が計算されたものであると知ったからだ。およそ大半の作家の文体は自然のものらしいが、三島は完全に作り込んでいたらしい。あの強靭な文章が再現可能とわかったとき、私の科学的好奇心が擽られたのだ。それと幻想的理解もだ。顔というのはまさしくそれである。
文体のことをリズムという人がいる。たしかに漱石の文章は心地が良いし、川端も似たようなけれども違った癖があった。実際に文章を読むとき、朗読せずとも頭の中で発音しているのだからリズムがある。冗長表現は、、でさえその一種だ。
そこからリズムだけでなく音楽とさえ言い切る人もいた。たしかに三島の文章はなんとなく読んでもすぐわかる。リズムと音色、すなわち声だ。楽器でもいいが。
金閣寺の文章は章によって文体が異なるらしい。私は言われて驚いたが、たしかに前半と後半では違う気もした。彼は美しい文体そのもので金閣寺を表現した。金閣寺を比喩した文体だっだのだ。一冊がまるまる金閣寺の模型のごとく存在感を放っているのもたしかに感じられた気がした。この冗長は、、読み直したい気持ちにならないのは、ちょっと分厚過ぎるからだ。また今度。
私は文体を音楽ではなく、そういった姿で捉える方がおもしろくおもった。それにわかりやすい。想像するのに音では抽象的すぎる、具体的となれば視覚が適する。何が言いたいかといえば、文章には見た目があるということだ。イデアや人間の認識の世界の中で文章の”内容”が想像されるのではなく、文章そのものが見える、わかるということだ。見ただけで分かる。現実で物を見るのと同じようにそこにあるのだ。
却って難しくなった気もするが、内容ではなく、文章そのもののことだ。先ほどの通り文章を読んでそれが誰と分かることからこう行き着いたのだが、現実世界でその人と出会うのと同様だということだ。文体という顔があるんだから誰かわかる。
私はなろう系のタイトルを見るだけで嫌な気持ちになるほどに毒されている。まるで他人と同じ小説があることに共感ができないのだ。私にとって同じ人間がずらっと並んでいる光景があれらランキングなのだ。気持ち悪くもなる。私が文体を求めるのはたしかに嫉妬かもしれないが、その点での差別化ともいえる気がした、となれば至って正常な機能ではなかろうか。
ならばと文体を構築しようと考えたものの、多くの作家がそうしない、あるはできないのには理由がある。すなわちその行為は顔面整形したいかどうかの話だ。自分を破壊する行為になりうる。文体を作る上でやはり理想がある、読みやすく、華麗であること、すなわち美だ。ただそれは結局、自分ではない誰かの顔だ。完全になれるはずもないし、なったところで心地いいとは限らない、いやきっと窮屈だろう。その窮屈はつまり、ランキングの人気取りに似た、人気が美に変わっただけの願望に過ぎない。これは自然ではない。
というのは私は今、適当にこう書いていてそれほど不快ではないからだ。そもそも文章を書く意義について考える必要がある。べつに書いていて楽しいからという理由だけでも構わないのだ。読みやすいかは知らない。なぜなら私は読まないし、もとよりPVが取れる話は私に書けないのが現状だからだ。
無駄な話になってしまった。さりとていつか、自分の望む文体を構築してもいい気もする。するが、恐らくそれは漱石であり、決して近づけないものだ。私は小説を書くときに鼻くそをほじらな、、、、ほじったとしても原稿に付けたりしない。
とにかくPVに依存するあまりとち狂うのはやめにしよう。自分の書きたいものないし、書くべきものを書く。できればそれを読んでほしい。その程度の気持ちでいい。あとは書くことを愉しむ。それ以上に何もいらないのだ。文章は顔と云ったが、楽器でもいいようだ。楽器を適当にいじっても案外楽しいものである。
PARTICLE VIOLENCE OBAMBULATE 緋西 皐 @ritu7869
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。PARTICLE VIOLENCE OBAMBULATEの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます