追憶
魚村桃
第1幕 後悔
友達は骨になって帰ってきた。その骨は腕いっぱい抱きかかえれるくらいの壺に入った。生前友達を抱き上げることができなかった私には、心に驚きと、彼女が無機物になってしまったことにただ無言で納得していた。
「今日は、娘の葬式に来てくれてありがとう。あの子友達少なっかったけど、あなたとはいつも楽しそうで、まさか自分で命を⋯。⋯いいえ、なんでもないわ。あの子は最後に何を思ったのかしら。」
友達の葬式後、ふと、記憶が蘇った。
その友達が生前読んでいた本についてだ。
タイトルは何だっただろうか。思い出すことはできない。
その本はあまりにも陰鬱で私は読む気になれなかった。
だが、友達がその本を勧めてきたので、私はかなり頑張って読み終わった。
私は小学生の頃、神童だと言われていた。
私はその頃、自分の才能についてはそこまで興味がなかった。
私は小1から小4まで母の仕事場である保育所の学童に、長期の夏休み入っていた。
そこでは毎日、午前と午後の1時間ずつ学校の勉強を学童の先生が作ってくれたプリントで行った。そのお陰で、私は小学生の頃は挫折というものを知らなかった。
本当にその時は才能の有無については考えなかったし、ただただ勉強が楽しかった。
いい点数を取ると、祖母が褒めてくれて漫画を買ってくれた。
喜んでくれた。
自慢の孫だと言ってくれた。
幼心に嬉しかった。
ことわざには
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人
というものがある。
本当にそのとおりだった。
私は中学に入学してすぐに、数学が苦手になった。
初歩は誰でもミスってしまうことも多いはずなのに私は初心を忘れ、自分は数学ができないのだと自分を責めた。
これは私の人生のターニングポイントだったのかもしれない。
私は諦めることを選んだ。
それでも数学では80点は必ず取れた。
しかし、中3の時に赤点にはならなかったものの、それに近い数字を取ってしまったのだ。
この頃はもう受験期で、自分の成績は下がり始めていた。
自分に失望した。
もう自分には何もできないと、自分に対する自信が消え始めたのは中3の秋頃だった。
この頃から自分は努力することができなくなった。
テスト期間なのに、後で後でと思い、テスト勉強を先延ばしにして、2時半まで起きていた。
その次のテストでは勉強への気力がわかず、テストの当日の朝にギリギリ勉強できる程度だった。
その冬前に私は塾をやめた。
ただただ、虚しく家でも家族がいるのにずっと一人だと感じていた。
また、なにか大切なものを失ってしまったような喪失感があり、雪が降る真っ青な夜を見て溶けていく雪に憧憬を抱いた。耳のピリピリとした寒さと、新鮮な空気の匂い、寒い風にまるで世界に自分一人がいるみたいで落ち着く事ができた。
私は、高校に入学したことができたがその後学校にあまり行けなくなった。
T先生の証言
彼女はとても優秀な生徒でした。
成績も良くて、問題も起こさない模範的な生徒でした。
教育相談も行いましたが、「何かあったのか。」と聞くと
彼女は、「もとから体調を崩しやすいのです。そのため学校に来るのが億劫で⋯。」と話した。
M先生2の証言
彼女は学校を2週間も休んだ。これはどういうことだ。彼女は真面目な子だ。ないかあったのではないか、2回目の教育相談でその子は「何か困ったことでもあるの。」
彼女は「気を遣いすぎて人と話すのに疲れてしまいました。」と話した。
その先生は「そうだね。そういうこともあるよね。気にしないようにしていこうね。」と、優しくおっしゃった。問題は解決したはずだった⋯。
その後、彼女はまた学校に通うようになった。
しかし、その後2週間するうちに、彼女はまた、学校に来なくなった。
次は、一ヶ月と長い期間だった。
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