第45話 晴子の過去
晴子は下級武士の家系で煕子の双子の妹として生まれた。
明智光秀と煕子が結婚した年は1550年、そして光秀が煕子と晴子と出会ったのは3年前である。当時19歳の光秀は美濃の斎藤道三に仕える若き将であった。
彼らが出会うきっかけは煕子の父親が光秀に学問を教えて欲しいと依頼したことがきっかけであった。
「光秀殿、すまないが私の娘2人に学問を教えて欲しいのだ。武士の娘たるもの教養が必要だ。」
「え?急に言われましても。」
光秀は困っていた。新しい主人を見つけて最初の仕事が家臣の娘の教育係とは思っていなかった。煕子の父は頼み込む。
「お願いだ!もう教養を教えられる人間はこの国はあまりいないのだ。光秀殿、私の娘の将来の為に一肌脱いでくれ!」
「え、えええ!?」
こうして光秀はほぼ強引に教育係をすることになった。そして翌日、
「いやあ、よくいらしてくれた。ささ、入ってくれ!」
「お、お邪魔します。」
光秀が部屋に入ると顔が瓜二つの女性が座っていた。光秀は初めて見る双子に驚いていると、
「紹介します。私の双子娘の煕子と晴子です。」
「明智光秀と申します。本日からお二人の教育係を務めさせていただきます。」
光秀が挨拶をすると、晴子が口を開いた。
「父上、勉強は嫌じゃ!私は外で遊ぶ方が好きなの!」
晴子はそう言って晴子は屋敷を飛び出して言った。煕子は慌てて妹を呼び止める。
「こら晴子!」
晴子は姉の静止を無視して屋敷を飛び出して言った。
「教育係がいないのではなく、引き受ける人がいなかったのでは?」
光秀は睨みつけた。煕子の父は頭をかきながら答えた。
「いやあ、煕子は素直でおとなしい子なのですが、晴子は正反対でやんちゃな子で。花嫁修行は煕子がいたからどうにかなったのですが。」
煕子の父は光秀の肩を掴む。
「しかし、これは斎藤様のご命令!光秀殿頼みました!」
そう言って煕子の父は足早に去っていった。煕子はそんな様子を見て光秀に頭を下げる。
「父と妹がご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
「いや、良いのだ。まあ晴子殿はゆっくり信頼を築いていくよ。」
こうして光秀と2人の姉妹の慌ただしい日々が始まった。
そして1ヶ月が経った時、いつも通り煕子に勉強を教えていたら、晴子が珍しく、2人が勉強している様子を覗きにきた。
「2人とも勉強しているのになぜ笑っているの?」
「あら晴子。今ね、枕草子を学んでいるの。貴族の生活って面白いのよ!」
煕子は晴子に枕草子を見せる。光秀はその様子を嬉しそうに眺めていた。
「ええ、好きすぎて死にそうと言ったら、死ねって言われたの?この人可哀想!」
晴子は煕子と笑い合っていた。
「学問って面白いのかも。」
晴子はそれ以降、煕子と光秀と一緒に学問に打ち込んだ。煕子の父は娘の変化に驚いていた。
「なんと、あのやんちゃな晴子がこんなに真面目に勉強するようになるとは!」
「晴子殿は、ただ楽しいものが好きなだけです。だから学問を学んで私と煕子殿が楽しんでいる様子を見せました。子供は押し付けたものは全て嫌いになりますからね。」
晴子はたまたま近くにいた。父と光秀の話に聞き耳をたてる。光秀の声がする。
「晴子殿の奔放さは、裏を返せば世界を面白がれる才能ですよ。私は、そんな晴子殿の瞳が好きですがね。」
ドクン、と晴子の心臓が跳ねた。
(私のことを、そんなふうに見てくれていたの?)
今まで誰もが「姉のようになれ」と言った。けれど、この人だけは、泥だらけで屋敷を飛び出す自分を「才能だ」と笑ってくれた。
その瞬間、晴子の中で学問は「苦痛」から「光秀と同じ景色を見るための道」に変わった。
しかし、その後光秀が襖の奥から、
「まあ煕子殿の様に素直で良い子もいますが。」
その言葉を聞いた瞬間、晴子は勢い良く襖を開けた。
「ちょっと、光秀様!私も姉様と同じくらい良い女です!」
「ははは、すまない。悪かったって。」
光秀は優しく笑った。
そんな幸せな日々を過ごしていたら、あっという間に3年の時が過ぎた。
光秀は煕子の父に呼び出される。
「光秀殿、おかげで娘達は教養を身につけられました。そして提案なのですが。」
煕子の父は煕子を呼び出す。
「煕子、入りなさい。」
煕子が恥ずかしそうに入ってくる。そして父の隣に座ると、煕子の父は咳払いをして光秀に言った。
「煕子を嫁に貰ってくれませんか?煕子も光秀殿のことが好きだと申しておりますが故。」
光秀は戸惑っていたが、光秀も煕子に好意を寄せていた。
煕子の素直な所、優しい所、そして美しい心を持っている所。
光秀は床に頭と両手を伏せた。
「お受けさせてください。私も煕子殿を愛しています。」
「おお!良かったな煕子!」
煕子は涙を流して喜んでいた。そしてその様子を陰で見ていた晴子は、静かに涙を流していた。
しかしある日、煕子は疱瘡(今の天然痘)を患ってしまう。それにより顔にアザができてしまった。煕子はずっと布団にくるまって泣いていた。
「はあ、晴子。もう煕子を光秀殿に嫁に出すのは出来なくなった。しかし、婚姻の約束をなしにはできん。」
父は晴子を見る。
「たまたま見た目は瓜二つだ。すまないが光秀殿に煕子として代わりに嫁いでもらえないか?」
父からの提案に煕子への罪悪感もあるが、晴子はこれで自分が光秀と一緒になれるならと思った。
「承知致しました。煕子姉様には申し訳ございませんが私が光秀様と結婚させていただきます。」
晴子は父に頭を下げる。心には複雑な思いが巡っていた。
「すまない。煕子は寺に出して出家させるよ。」
そして結婚式当日、
「大丈夫かな、光秀様にバレないよね?」
晴子はドキドキして光秀を待つ。襖の奥から父の声がする。
「煕子、光秀様が入るぞ。」
そして、光秀が部屋に入ってきた。晴子は礼をして光秀を出迎える。
「光秀様、お待ちしておりました。」
晴子は顔を上げて光秀を見る。しかし光秀は目を見開いていた。
(あれ光秀様、どうしたのだろう?)
そして光秀は口元を緩めて、優しく答えた。
「私は煕子殿を妻にと決めています。申し訳ございませんが煕子殿を出していただけますか?」
光秀はそう言うと父に向かって深々と頭を下げた。
奥から煕子が飛び出してきた。
「光秀様!」
煕子は光秀に抱きついて泣いていた。そして顔を上げる。
「私の顔は疱瘡で醜くなりました。こんな私でも良いのですか?」
光秀は笑って答えた。
「見た目は関係ない。私は其方の美しい心に惚れたんだ。」
2人は抱きしめあった。
その言葉は、晴子の胸にも鋭く貫いた。
光秀は、外見が同じなら誰でも良いわけではなかった。姉の、あの清流のように澄んだ魂を愛していたのだ。
(ああ、かなわない。光秀様は、私のずるさも、姉様への嫉妬も、全部見抜いておられたんだ。)
嘘をついてまで手に入れようとした自分が恥ずかしくて、けれどそんな残酷なほどに誠実な光秀が、やはり狂おしいほどに好きだった。
そして結婚式が終わって数日後、晴子は父に出家する旨を伝えていた。
「何だと!晴子、お前は結婚しなくて良いのか?良い人もきっと見つかるはずだぞ?」
「父上、御心配をお掛けして申し訳ありません。ただ決めたのです。」
「ならせめて理由を教えてくれ!」
父は晴子に尋ねると、晴子は落ち込んだ様子で答えた。
「父上、私には光秀様以上に好きになれる男性はいません。」
「え、晴子?」
父は驚きのあまり固まった。晴子は続けた。
「私も光秀様が好きでした。学問を教わる中で光秀様の優しさに惹かれていって。正直姉様には嫉妬しています。」
「晴子、そしたら悪いことをしてしまった。申し訳ない。」
父が謝罪すると、晴子は首を横に振る。
「いいえ父上、おかげで私は吹っ切れました。光秀様は姉様の美しい心に惚れたと言っていた。あの一言で光秀様が姉様を選んだ理由も分かったし、私に何が足りなかったのかも分かりましたから。」
晴子は空を見上げる。
「父上、私ね。光秀様と結婚できると思って嬉しかったの。でもそれを喜んではいけなかった。私は幸せになるけど、姉様は不幸になるもの。そして光秀様にも嘘つくことになる。誰かが不幸になる幸せなんて望んだらいけなかった。」
晴子は目に涙を浮かべながら笑顔で父の方に振り向いた。
「姉様と見た目は同じだけど、心の美しさで負けちゃった。光秀様の目は誤魔化せないわ。」
娘の悲しい笑顔に父は優しく抱きしめる。
「晴子の心も美しいよ。そこだけは信じてくれ。そしてこれからは、自分が望む幸せを手にしなさい。私もできる限りの手助けはするからな。」
父の言葉に晴子は太陽の様に輝く笑顔で御礼を言った。
「ありがとう。父上!」
こうして晴子は出家して、子供達に学問を教える様になった。
光秀が教えてくれた枕草子の情景、万葉集の歌。
あの日々は嘘ではない。たとえ妻になれずとも、彼から授かったこの「知恵」と「思い出」だけは、誰にも奪えない宝物だ。
「光秀様。私は、貴方が教えてくれた世界を、気づかせてくれた美しさを、もっと色んな人に広げていきます。」
そして場面は今に戻る。
羽柴秀吉が晴子と光秀に向かって刀を突き刺そうとする。
「死ね!」
「ぐふっ!」
刀が晴子に貫通し、口から血を吐いた瞬間だった。秀長の声が響く。
「兄上、危ない!」
何者かが斬りかかってきた。秀吉は慌てて刀を引き抜いて、紙一枚でかわす。
秀長も刀を抜く。
「何者だ!兄上に何をする!」
しかし、その瞬間、何者かの蹴りが秀長を突き飛ばした。
晴子と光秀から秀吉と秀長が離された。
秀吉は前を見ると、その視線の先には、
「ほう、どう言う風の吹き回しだ?家康殿!」
彼らの前に立っていた人は徳川家康、そして秀長を蹴り飛ばしたのは本多忠勝だ。家康は晴子の状態を確認する。
「くそ、遅かったか!半蔵、急いで2人を運べ!」
奥から徳川家家臣の服部半蔵が光秀と晴子を回収する。それを許す秀吉ではない。
「秀長、光秀だけでも始末しろ!」
家康も忠勝に振り向いて指示を飛ばす。
「忠勝、半蔵を援護せよ!」
そして本多忠勝、服部半蔵、羽柴秀長はその場を去った。
家康は秀吉と向かい合う。
「家康殿、裏切り者の逆賊を庇うとは。お主も信長様に世話になっているだろう。この不届きものが!」
「気持ちは分かるが、光秀殿の力はまだ、この乱世を終わらせる為には必要なのだ。手を引け秀吉殿。」
家康の言葉に秀吉は激怒する。
「あの裏切り者など必要あるものか!道を開けろ。俺が始末する。」
家康も反論する。
「黙れ、これ以上手出しをするなら私も容赦しない!」
徳川家康と羽柴秀吉、歴史には残らなかった2人の天下人の戦いが始まった。
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