虹望の席と七彩の魔術師―赤の席の継承―

椎名千紗穂

第1話「名前なんてーの?」

 帯広空港を出てすでに数時間が経過した。そこからさらに移動し、釧路まで辿り着いた頃にはかなりの猛吹雪になっていた。このドカ雪では地元の人間もロクに出歩くことはないだろう。


 いや、この一帯に関して言えば違った。出歩く人間どころか暮らしている人間ももう今やいない。


 話には聞いていたが、例のヒグマはやはりすでに魔獣の域に至っていた。すでに普通の人間が猟銃を担いで束になったところで、人間の死体が増えるばかりだろう。


 だからこそというべきなのだろうが、このレベルの魔獣になると俺のような並み程度の腕しかない魔術師でもそう簡単に駆逐できる相手でもなくなる。ただの野生動物であっても、いくつかの条件が重なったりすることで先祖返りよろしく魔獣になることもあるそうだ。


 もっとも、これはただの受け売りなのだが。


 「どわあああああああ!?」


 忍びの端くれにしては随分情けない悲鳴だと自分でも思った。魔術師と忍者のハイブリッドといえば聞こえはいいかもしれないが、いいとこ中途半端なのが小太刀左介という忍者なのか魔術師なのか分からない男のスペックである。


 現代人にしてはまあまあ身体能力に恵まれてはいるが、相手が推定3メートル級のヒグマともなると生半可な爆薬程度でも簡単には仕留めることは叶わない。


 見上げるような体格のヒグマの腕が一瞬前に立っていた場所へと振り下ろされ穴を開ける。


 「ぐっ、るぁぁぁっっっ!!!」


 「チッ、くそ……!」


 舌打ちをしながらベリーは魔獣と化したヒグマの振り下ろされる腕を回避する。吹 雪の中、本来であれば冬眠しているはずのヒグマがこれだけ動き回れるのも驚きだが、そのヒグマが地域一帯の人間を食い荒らしたと聞けば納得のなれ果てだ。


 「本当にこいつがやったんだよな!? 熊違いとかないよな!?」


 「見りゃわかるだろ、こんなデケェ熊がゴロゴロ街の中に出てくる時代じゃねぇ!  余計な心配してる暇があったらてめぇの命の心配の心配をしてろ!」


 俺の問いかけに、ベリーの怒声が吹雪の中響き渡る。


 見ればベリーはタンクトップにファーのついたレザーのジャケットを羽織っているだけだ。流石は竜の心臓を持つ魔術師なだけはある。魔術臓器の働きだけだとは言えないが、常に活性化した魔力が全身を巡っているおかげでこの寒さの中にも関係なく適応できているのだ。


 反面、俺はさっきからジワジワと寒さで動きが鈍くなってきている。指先がジンジン痺れ、肉体の位置と認識がズレ始めている。


 (環境適応訓練も散々やってたはずだけどこのレベルになるともう関係ないな……)


 襲い来る眠気をどうにか誤魔化しながら、真っ白な視界の中に浮かぶ赤い双眸だけを目印に苦無を投げつける。


 幸いにも血走った眼球は魔力を帯びているせいか、ホワイトアウトの中でも目立ちやすい。効果がないことは百も承知だが、目的の人物であるベリーにやっと北海道くんだりまで来て邂逅できたというのに死んでしまっては元も子もない。


 「……自分が死んでも世話がねぇ、けどなぁ!」


 当たっているのか当たっていないのかよく分からないが、吹雪の中のエイムではたかが知れている。おまけにヒグマの肉は分厚く苦無程度の刃ではさして効果もないように見える。


 「おいコラ、援護するならちゃんと援護しやがれ! なんだそのやる気のないナイフは!」

 「やってるだろ! あんたみたいにホイホイ動けねぇんだこっちは!」

 「ハッ、それでも灰の席の魔術師か。虚色の三原色<カウンターカラー>が聞いて呆れるぜ」

 「うるせぇ、下っ端なんだよこっちは……って、おい前!」

 「っ、ぬぐ!? この……!」


 吹雪の中からヒグマの身体が突っ込んでくる。分厚い毛皮は荒れ狂い、肌を刺すような吹雪さえものともせずにベリー目掛けて前足を振り上げた。


 「ベリーっ!!!!」


 目の前でベリーの左腕が飛ぶ。肘から先の部位が、血飛沫を上げながら宙を舞った。


 一瞬の出来事。


 俺に気を取られていたせいか、ベリーの反応がコンマ数秒遅れてしまった。


 「………! っ、がっああああ!!!」

 「ベリー!? し、止血を……ああ、クソ! こんな辺境にくるなんて想定してなかったから装備が……」


 反射的に懐に隠してある簡易装備パックに手を当てるが正規装備には入れてあるはずの応急セットの感触がない。こういう時に治癒系の魔術が使えればいいのだが、己の非才さを嘆くばかりだ。


 しかし、嘆いてばかりはいられなかった。持てるもので、その場を凌がなくてはいけない。忍びであるなら、道具に頼るばかりではいけない。そう思い、ベリーに向かって駆け寄ろうとした——


 「ぐっ、いっ、ってぇ……」

 「な、何が……腕が……再生……!?」


 生命力の活性化、治癒魔術は橙や緑の魔術師たちの専売特許だ。しかし、彼女を竜たらしめる魔術臓器は並外れた回復力のオプションまでついているらしい。古来竜の血には不死身の逸話がつきもの——


 失ったはずの左腕、その肘から先が赤い煙を上げながら耳障りな不協和音が響く。


 メキメキ——

 バキバキ——

 ゴキゴキ——


 肉と骨が擦れるような音。

 

 思わず耳を塞ぎたくなるような音と、ベリーの呻き声。一瞬目を逸らした次の瞬間には、ベリーの左腕は何事もなかったかのように元通りになっていた。


 「っ、ってぇな本当に。再生するはするがよ、こういうのってのは再生した後の違和感がすげぇんだよ。爪が剥がれたとかいうのとは訳が違うんだぜ熊公。それとも、アタシに対しての宣戦布告だったか? だったらそいつは悪かったな、ちゃんと正面から受け止めてやれなくてよ」


 ベリーは赤い髪を翻し、不敵に熊に向かって笑みを向ける。 


 「ぐ、がっ……ぐるぉぉぉぉ!!」


 腕を飛ばしたはずの相手が、何事もなかったかのように目の前に佇んでいる。あまつさえ、その牙は間違いなく自分の命に狙いを定めている。


 この大地においては人間でさ止めることのできなかった食物連鎖の頂点。それが今、得体のしれない人間に狼狽えていた。


 「ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 魔獣が吠えた。

 それに答えるようにまた人間台の竜も猛り狂う。


 「はははははははは! 悪く思うなよ、お前が弱いんじゃない——アタシの方が強いだけだ。いくぜ熊公、あの世があるならまた喧嘩だ」


 「灼熱せよ我が竜の心臓、抜き貫く―—スカーレット・ドラグル・ホーン<紅蓮の片竜角>!!!」


 その言葉よりも早く、ベリーの右腕が灼熱に包まれる。薄っすら右腕に浮き上がった竜の鱗が大気と擦れ加熱された右腕は炎熱の槍と化し、容易くヒグマの胸部を貫いた。


 「す、素手であの化け物みたいなヒグマの胸を……」

 「……ふん」


 大きく腕を振り、指先から真っ白な大地に血飛沫が散る。その血も、瞬きするうちに吹雪に覆われて見えなくなってしまった。


 暴れくるっていたヒグマも、流石に胸を貫かれては生きていることはままならなかったらしく、最初は細かく痙攣していたがしばらくするうちにそれも静かになる。


 怪物だと思ったヒグマは、それ以上の怪物にこうして呆気なく打倒されたのだった。


 古来英雄といえば怪物退治の逸話がつきものだが、怪物が怪物を打倒すパターンは思えば珍しいものかもしれない。


 「……すげぇ」

 「ハッ、どうってことねぇよ。それより、こんな吹雪の中で間抜け面晒してるとあっという間に死ぬぞ。ほらよ」

 「あ、ああ」


 へたりこんでいた俺はベリーから差し出された手を取り、立ち上がる。


 指先がすでにまともに感覚がないせいかもしれなかったが、ヒグマを屠ったにしてはあまりにも女性らしい柔らかな指先だった。


 おとぎ話の中に入り込んでいたような状況も、終わってしまってみればあまりにも現実感がない。手助けするつもりが、気づけば状況は既に終わっていた。


 ベリーは鬱陶しそうに赤い髪のまとわりついた雪を払いながら、俺の方を振り向くと惚けたような顔をして今さらながらにこう尋ねてきた。


 「そういやお前、名前なんてーの?」


 これが後に赤の席次に名を連ねることになるベリー・ガーネットと、俺こと小太刀左介の出会いだった。

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