片耳のモーフェ

一条志築

第1話

「片耳の動物には、神様がモーフェの称号を与えることがある」


「モーフェになれば、死後神様の下で永遠に幸せになれる」


 そんな噂話がまことしやかに囁かれる、ここは動物の世界。


 猫の国に住んでいたララは、それを聞いては「死んだ後のことなんてわからないでしょう」とつんとしていた。


 ララは生まれつき片耳がなかった。母親は「うちの子がモーフェになるかもしれない」とワクワクしてその日を待った。だが、一年経っても、二年経っても、ララがモーフェになることはなかった。


 幼いララも、自分がモーフェになれば母も喜ぶかもしれないと、その日を待っていた。けれど、その日はなかなか来なかった。


 母親はララに愛想が尽きたように離れていった。猫の国では大人になった我が子を手元に置いておく方が稀だが、ララは「母親はきっと、自分を見捨てない」と思っていた。


 ララは裏切られた気持ちになり、港町を歩いた。町では魚売りの声や喧嘩の声が響いていた。片耳のララには、どこから聞こえてくる声なのかわからない。


「結局、不便なだけじゃん。モーフェなんてならなくていい。だから、すぐにでも普通の耳が欲しいよ」


 そう言ってララは泣きだした。憎らしいほどに明るい日差しが、ララのぶち模様を温めた。


 しばらくして、ララは空腹を覚えた。かけ鞄から小銭を取り出して、魚売りの元へ向かった。


「魚ください。そうだなぁ、一番安いやつで」


「一番安いやつは脂がのってないよ。少し高くてもこの時期うまい魚にしな」


「いいんです、お金ないし」


「なら、うちで働かないかい。俺は魚が目の前にあっても食えないのが苦痛だけど、そこを除けば最高の職場さ。なんてったって、船の上じゃ取れたての魚が食べ放題!」


 ララは呆れたようにため息を吐いた。


「商品でしょう、食べ放題なわけがない」


「まあ、そりゃあ売るものだけさ。売れないくらいの大きさの魚は食べちまうのさ。小さい魚は海に帰すが、大きすぎる魚は食べちまう。だって、俺達が食べる分までその海の魚を全部食っちまうからな。どうだい」


 ララは少し考えて、どうせ働く場所もないしと思って、「じゃあ、あなたのところで働かせてください」と言った。


 ララはその日から、船に乗るようになった。船で湾内の漁場まで行って、網を全力で引く。そうして活きのいい魚を大量に引き上げる。網に絡まった魚を取っては生け簀へ放り込み、大きさによっては海に帰した。


「釣り竿で釣るのかと思ってた」


 船で港へ帰る途中、ララが言うと、船長のダンは笑った。


「釣り竿じゃあこんな量は取れねぇな。俺たちは魚しか食えない。鳥も食えなかないが、鳥は猫の国には降りようとしないからなぁ。知ってたか、昔の猫はネズミも食ってたんだぞ」


「ネズミを?そんなぁ、国交問題じゃないですか」


 そうして穏やかな会話をしながら一行は港に着いた。片耳でも自分を普通の猫として扱ってくれる船員に、ララはとても安堵していた。


「じゃあ、ララはオズたちと一緒に飯でも食ってこい。俺はまだまだ仕事だ」


「はい、船長。なあ、どこに食いに行く?」


 そうして魚を持ち込める飯屋を探していたララたちの元へ、馬が走ってきた。郵便を届けるために各国を回っている、伝書馬だ。


 伝書馬はララを見つけると、「ララ様ですね」と言った。


「森の叡智、オランウータンの国より伝令です。ララ様がモーフェとなりました」


 周囲の猫たちは一瞬固まり、ララを見た。ララは目を大きく見開いて、信じがたいという表情をしていた。


「お、おい、ララが、モーフェだって!?そりゃあ、片耳なのは見ればわかるさ、でも、でも、ララはどうなっちまうんだ!?」


「それはこちらの書簡に。大丈夫です、辛いことは何もないとオランウータンの国の大統領は言っていました」


 ララは震える手で書簡を受け取った。開くとき、船員が書簡を一緒に見るかどうか騒いでいるのが聞こえた。


「…一人で、見ていいですか」


「お、おう、そりゃあ、ララの自由だ。でも、なんかあったらいつでも言えよ、俺たちはララの味方だ!」


ララは少し離れたところで、書簡を開いた。


『親愛なるララ様へ。そちらの国にジャコウネコの部族が住んでいるのはご存じでしょうか。ジャコウネコは霊猫れいびょうとも呼ばれ、猫の中でも非常に鋭い感覚を持っております。我々動物界の重大な吉兆について、彼らが様々な占いをしております。

 その占いの中で、この度、猫の国、緑の港で漁師をしているララ様が、モーフェになったとありました。

 モーフェは神の寵愛を受けた存在です。モーフェに万が一のことがあってはならないのです。モーフェとして、安全な生活を送っていただきたいのです。漁師の仕事は危険が多すぎるので、どうかおやめくださいませ。代わりに、安全な仕事をご用意しましょう。』


 つまり、今の仕事を辞めろということだ。せっかく、船員と仲良くなったのに。ダンの温情に触れて、一緒に頑張ると決めたのに。


 モーフェになったというだけで、なぜこんなにも簡単に日常が崩壊するんだ。


 こんなことなら、モーフェなんてならなくてよかった。片耳でなどいなければ良かった。


「…そうだ、もう片方の耳もなくなれば、片耳じゃないな」


 ララは呟いて、耳をひっかき始めた。鋭い爪が、耳を何度もかすめる。血が出ている感覚がある。痛い。涙が出始める。


「何してるんだ!やめろララ!」


 止めてくれたのは、ダンだった。


「…船長。僕、モーフェになったから、船辞めなくちゃいけないみたいです。でも、辞めるくらいなら、こんな耳なくていいと思って」


「馬鹿野郎!モーフェがなんだ!他国の大統領が言ってるからなんだ!占い師が言ったからなんだ!お前はもう俺の船の一員だ!」


 ダンはそう言って、ララを抱き締めた。ララは温もりを感じて、耳がいっそう痛く感じて、ぼろぼろと泣いた。


「そうだ、船の上がダメなら、陸で魚を売ればいい。それなら誰も文句は言えない。お前が耳を千切る必要はないんだ。お前は俺たちの誇りだ。どうか、どうか、そんな辛いことはしないでくれ」


 ダンがまるで自分のことのように泣いていることに気がついて、ララは普通の親みたいだ、と思った。ダンは男だし、子供もいないけれど、まるで昔母親に抱きしめられた時のようだと思った。


「船長、僕、皆といたいです」


「ああ、そうか、一緒にいよう。俺に出来ることはなんだってする。だからもう、自分を傷つけるな」


 ララは船長を追いかけてきた船員たちを見て、笑顔になった。



 それから数か月後。「直接話せるモーフェがいる」として、港町のある魚屋が人気になった。


 ララは今日も船の帰りを待っている。


「神様の隣に行くより、もっと温かいものがあるって、僕は知ってるんだ。でもまあ、皆の悲しむ顔は見たくないから、モーフェでいるよ」


 ぴる、と一つだけの耳を動かして笑うぶち猫がそこにいる。

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