第3話

 何とか、おいていかれずに師匠について走り切った頃には、息も絶え絶えで、これ以上動くことができないくらいだった。

 そんな中、ここがどこかと周りを見てみれば、そこは開けた場所で湖のようになっていた。水は澱んではいないが、澄んでいるとも言えない。


 俺が息を整えるのを待ってから、師匠が口を開く。


 「ここは水精霊の泉だ。機嫌が良ければ出てくると思うんだが」


 そう言ってから、泉を一望し、出てこないとみるとため息をつく。


 「まぁ悪くたっていいんだ。“まな板婆”って言――――――」


 「誰が“まな板婆”じゃボケぇ!!!!!んの山羊カスがぁ!!!!」


 師匠の後ろの水が盛り上がり、水を大きく飛び散らせながら、女が出てくる。

 水色の、川の流れを感じさせる艶やかな髪に、澄んだ青い瞳。目鼻立ちはすっとしていて、だれが見ても美しいというだろう顔だ。

 スタイルは、腰はくびれていて、足は長く、肌は白い。胸部は好みが分かれるだろう……。

 少なくとも、師匠は“それ”をいじるタイプらしい。

 そして、おそらく水精霊と思われる彼女はそれを気にしているらしく、その顔を話に聞くオーガのようにゆがめられている。


 師匠の奥に俺がいることに気付くと、ゆがめられていた顔は、元へと戻る。


 「あらごめんなさい。あなたこいつのお弟子さん?変なとこ見せちゃってごめんね?変なことされたらお姉さんに言ってちょうだい?保護まもってあげるからね?」


 「何がお姉さんだ。お前確かさんびゃ―――――――――」


 師匠が後ろに飛びのき、師匠がいた場所には、水でできた刃が回転している。

 またも、精霊は怒っているようだ。


 「なんて言ったかしら?変な言葉が聞こえた気がしたのだけど?」


 「いやだから、さんびゃ―――――――――」


 またも師匠が飛びのき、その場に刃が生成されている。

 まったくもって変わらぬ光景。保存して、もう一度再生したかのようだ。


 「師匠がた。仲がよろしいのは分かりましたが、時間もないので……」


 「「仲良くない(わよ)!」」


 どこがだ。言っていることも、タイミングも完璧に一緒なのに。

 ほのかに俺の口から笑みがこぼれる。

 それを見て師匠も水精霊も顔を見合わせ、そっぽを向く。


 「ん゛ん゛っ。まぁその笑いについては後で問い詰めるとしてだな。時間が押しているのも確かだしな。今日の午後はこいつの出す『魔力で固めた水』を叩いてもらう」


 「は?聞いてないわよそんなの。なんで私があんたに協力しなきゃなんないのよ?あと、『魔力で固めた水』じゃなくて『水障壁ウォーターウォール』よ!」


 「そいつは悪かったな。それに今初めて言ったんだから知らんだろう。俺の頼みを聞くのは嫌だろう。だがそこをどうかやってくんねぇか?」


 師匠が頭を下げる。

 そんな光景は珍しいのか少し精霊が目を見開く。


 「俺からもお願いします。俺、強くなんないといけないんです!」


 俺も頭を下げる。


 息をのむ音とともに笑い声が聞こえてくる。


 「アハハ!わかったわかった。珍しいもんも見れたし、あなたたちの熱気も伝わったわ。顔を上げなさい。やってあげるから」


 顔を上げてみた顔は、今まで以上の笑顔だった。

 師匠は頭を下げたのが相当嫌だったのか、少し耳を動かしている。

 そんな姿を見て、さらに精霊は上機嫌になったみたいだ。


 「じゃあ、自己紹介しましょうか。私は、水精霊『マーキュリア』。少なくともあなたの師匠のとこの精霊ぐらいには強いわ。水と冷気を司っているの。お姉さんって呼んでね……ああ、ネームプレートが見えないのは気にしないで。隠してるだけだから。よろしくね」


 ネームプレート?

 俺の背筋に電流が走る。

 そうだ。何かおかしいと思ったら頭上に表示されるはずのプレートがないんだ!

 よくよく考えれば師匠や、リプロにもなかった気がする。


 「俺はヴァンディールって言います。昨日からレプロ師匠のとこにお世話になってます。何とか強くなる必要があって、これからもお願いするかもしれません」


 「いいのよ。どんどんお姉さんに頼って頂戴。何か質問とかある?」


 「その、ネームプレートを隠してるってどういうことですか?」


 「それはね―――――」


 マーキュリアが何かすると、その頭上に、赤い文字で【水精霊lv.??】と表示される。


 「見えた?一定以上の強さになるとね、私たちはプレートを隠せるようになるの。あまりに強さに開きがあるとレベル表記も見えなくなるんだけど、それ以上に開きができるとこんなこともできるようになるのよね。あなたの師匠もそうじゃない?」


 「なるほど。そうなんですか?」


 ちらりと師匠のほうをみる。

 ゆっくりとうなずく師匠。


 「そうだ。当面の目標はプレートを俺らが隠してても見えるようになることだな。多分、こいつの本気の『水障壁ウォーターウォール』を切れるようになったら見えるんじゃないかな」


 そうか。わかりやすい目標があって何よりだ。

 目標が明確化されると、やる気がまた出てくる。


 「質問は以上かしら?―――――大丈夫そうね。早くやりたいって顔してる。いいわ。やる気のある子は好きだから。早速やりましょ。硬さはどのくらいにする?」


 師匠が横から身を乗り出し答える。


 「一番柔らかいのからやってくれ。切れるごとに硬さを一段階あげていくように頼む」


 「あんたの意見は聞いてないのよ。ヴァンディールくんはそれでいいかな?」


 「ええ。自分も順番にやってくれたほうがありがたいので」


 しっかりと頷けばマーキュリアは満足したように口角を上げて壁の生成を始める。

 何か、二三言呟けば半透明な水の塊が生成される。

 大きさは自分の背丈と同じくらいだ。


 「これが一番柔らかいやつね。一回私は泉に戻るから。壊れたら一つ上の固さになって再生成されるようになってるから。じゃ頑張ってねヴァンディールくん!」


 ニコニコとした表情を保って、泉の中へ入っていく。


 「じゃ、切ってみな。最初はできなくても大丈夫だからな。さっきの素振りはいい感じだったからよ。あれを思い出して切ってみな」


 はい、と一言反応を示してから集中する。

 肩を落として、力を抜く。木剣を絞って持ち、息を吐いて目を閉じる。

 涼しさを感じる風が肌を撫でるのが感じられ、剣の重さが抜けてくる。


 目を開く。

 師匠の動きを思い出して、木剣をなんとなしに構える。


 葉がひらりと落ちる。


 今―――――――――!


 自分ができる今までで一番最高の一振りだったと断じれる。

 しかし、俺の木剣はガッという音とともに、弾かれてしまう。


 もう一度、もう一度と剣を振る。一回一回を今まで以上に昇華させるように。

 ガッ、ガッと同じような音が響き続けていたのが、少しずつ、重いガンッといった音が響くようになったころには日が沈みかけていた。


 「そろそろ戻るぞ。切れなかったのは残念だったとは思うが、まだ初日だぜ?切れなくて当り前さ。しばらく、午前に素振り、午後には壁切りをやっていくことになる。切られちゃ困っちまうね、キヒヒヒ!さ、行くぞ」


 悔しさをにじませながらも、行きと同じように全力疾走で師匠についていく。

 ずいぶんと疲れていたので、師匠にたまに止まってもらいながらも、日が落ちきる前にはリプロのところへ着くことができた。


 『おうお帰り!どうだった、初日は?あの水精霊にあってきたんだろ?こいつら仲良すぎて、いっつも喧嘩してるからよ。鼻で笑ってやりな』


 「変なこと吹き込んでんじゃねぇよ。仲良くねぇから!」


 いやずいぶんと仲がよさそうだったが……。認めて、付き合ったらいいのに。お似合いだとは思うけどな。


 『そんな意地張んなくていいと思うけどな?まぁいいや。今日の飯は、虹彩魚のムニエルだ。たまたま、手に入ったからよ。めったに食えない虹彩魚を楽しみな』


 虹彩魚は、うろこが虹色で、味はたんぱく、十年に一度、鉄魚メタルフィッシュに混じって生まれる、変異種といわれていて、その希少性は高い。

 しかし食材をどうやって入手しているんだろうか。ここのちかくに川などは無いはずだが?


 「ありがとうございます。リプロさんが作るんだからきっとおいしいと信じていますよ。しかし食材はどこから入手しているんです?」


 『それは自ずと知ることになるさ。どうせ修行を手伝ってもらうことになるだろうからな。ま、風と森に感謝しときな』


 ふむ、まぁそういうなら今度の楽しみとでも思っておこうか。今はありがたく虹彩魚を頂こうじゃないか。


 さすがに高級なだけあって、リプロさんの調理技術と相まって、とてもおいしかった。バターも魔牛のミルクを使っているんだろうか、香りが強く、ハーブもいい味を出していた。ここにずっといるとずいぶん舌が肥えてしまいそうだな。


 その日は、飯を食べ終わって、体を水濡れタオルで拭いて、師匠が教えてくれたストレッチをやってみてから、床に就いた。

 疲れていた体が伸ばされて、少し疲労が取れた気がする。

 明日からも、水障壁ウォーターウォールを切ることを目指して、頑張ろうじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る