第1話
突然、ドアが開き、白い手が伸びてくる。
抵抗する間もなく、俺はあっという間に車内に引きずり込まれた。
次の瞬間、ドアが静かに閉まり、車は発進する。
……静かすぎる車内。
黒革のシートはひんやりと冷たく、体を優しく受け止める。
窓はすべて深いスモーク。天井に散らばった小さな照明が、薄暗い室内をぼんやり照らしているだけだ。
中央の肘掛けには銀のティーポットとカップが置かれ、ほのかに紅茶の香りが漂う。
外の音はほとんど聞こえず、エンジン音すら遠い。
まるで夜の空を閉じ込めたような、別世界だった。
「おはようございます、日向様。とても良い朝ですね」
目の前の少女が、丁寧すぎるほどに頭を下げた。
突然車の中に引きずり込まれた俺だったが、その声を聞いて一瞬で冷静さを取り戻す。
そして、いつもの展開に得心がいった。
「おはよう、結月。たった今、その朝は二度寝のために沈んでいったよ」
挨拶と一緒にため息をひとつ吐く。
彼女――黒羽結月(くろば ゆづき)。
これから向かう白銀家のメイドであり、俺の幼馴染の一人だ。
思わずじっと見つめてしまう。
端正な顔立ち。
凛とした声。
烏の濡れ羽色のような黒髪を白のリボンで高く一つに結い、
そして何より――あの服装。
メイド服だ。
最近流行りのミニ丈などではなく、ロングスカートのクラシカルな本格派。
「メイド服とはかくあるべし」と教科書に載せたい、まさに王道の姿。
そんな彼女を凝視していると、結月は小さく首を傾げた。
「……どうかしましたか?」
うん、めちゃくちゃ可愛い。
ごほんと咳払いして、ようやく言うべきことを思い出す。
「ところでさ、毎回毎回こんな拉致みたいな真似、なんでやめる気がないんだ?
前にも言っただろ、自分の足で向かうからって」
少しだけ非難するような口調で伝えた。
「お嬢様からの指示です。それと──」
結月の瞳がすぅっと鋭くなる。
「今朝、お嬢様が日向様にメッセージを送ってましたが?」
氷のように冷たい視線が俺を貫いた。
おや? そんなの来てたっけ?
スマホを取り出し、メッセージ画面を開く。
…………あ。
大量に届いていたメッセージの中に、確かにあった。
『やっぱり今日も迎えに行かせますわ♪』
目をこすって何度見ても、同じ文字がそこにある。
ふぅと深く息を吐いて、結月に向き直る。
「……あー、ごめん。今朝、ろくに見ないでスタンプだけで返信したわ」
「考えうる限り最低な行動ですね。ほんと何をやってるんですか」
全く、と怒りを通り越して呆れた声をため息と一緒に吐き出す。
すまない。ただ、問題はこれだけじゃないんだ
「それとな………このおざなりなスタンプ返信でお嬢様がご立腹なんだ……どうしよう」
「はぁ……屋敷に着いたらお嬢様に誠心誠意謝って下さいね」
諦めて腹をくくれと言った感じにおざなりに対応してくる。
それはそれとして、と結月は続ける。
「日向様、分かってるとは思いますけどお嬢様を泣かせでもしたら………わかってますよね?」
彼女は今日1番の笑顔で───否、目だけが笑ってなかった。
さっきの冷たい視線なんて可愛いものだと思えるほど、空気が一瞬で氷点下まで落ちた気がした。
俺はごくりと唾を飲む。
「…わ、わかってる。絶対に泣かせない」
結月は小さく頷き、笑顔のまま、静かに紅茶を入れ始めた。
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