【短編】白無垢の生贄は、あやかしの神に愛されすぎて帰してもらえない
malka
第1話 『雪葬の白無垢』
しん……と。世界が音を失っていた。
さらさらと流れる清水の音。はらりはらりと舞う雪の儚さ。
頬を撫でる風は刃物のように鋭く、体温を容赦なく削ぎ落としていく。
けれど、寒いとは思わなかった。
感覚はとうに凍り付き、指先の位置さえもはや定かではない。
ただ、重い。
ずしりと肩に食い込む、幾重にも重ねられた絹の重みだけが、私がまだこの世に繋ぎ止められている事を教えてくれていた。
白無垢。
嫁入りのための、あるいは死出の旅路のための、純白の衣装。
村一番の美しい着物を着せられ、紅を差され、そして――。
私は今、霊峰の頂に近い朽ちかけた鳥居の前。
現世と幽世の狭間の手前に縛られ、背筋を伸ばし、礼節の証を立てさせられている。
「……あぁ」
細く吐き出した息が、白く濁って消える。僅かに残されたこの身の残り火が鳥居をくぐっていく。
視界を埋め尽くすのは、舞い散る雪と、どこまでも深い夜の闇。
月も姿を隠す、雪夜。
村人達の経を読む不揃いな声はもう聞こえない。彼らは私をここに置き去りにして、神”白銀様”を逃げるように下山して行ったから。
恨み言の一つも浮かんでこない。あの薄暗い座敷牢で、怯えと侮蔑の混じった視線に晒され続ける日々に比べれば、ここは天国のように静かだ。
『穢れを見る娘』と気味悪がられ、石を投げられた日々。
それら全てから解放されて、こんなにも美しい雪の中で終わるのなら。それはきっと幸福な事なのだ。
ふと、視界の端が揺らいだ。
雪ではない。もっと濃密で、ねっとりとした『闇』が、滲みだしてくる。
また、視えてしまった。
鳥居の向こう。幽世から溢れ出す、どす黒い瘴気。
人の業が凝り固まった、吐き気を催す穢れ。
村の人達が恐れた『祟り』の正体。
(ああ、来る……)
地面が、微かに震えた。
ズン、ズン、胃の腑を直接叩く重低音が、雪を踏みしめて近づいてくる。
闇達が蜘蛛の子を散らすように去って行く。
私は目を閉じた。
頭から齧られるのか、鋭い爪で引き裂かれるのか。
どちらにせよ、痛みは一瞬で終わってほしい。そう願って首を垂れる。
――けれど。訪れたのは、痛みではなかった。
ふわり。
幽かに香る金木犀の爽やかな甘い香り。
それに、仄かに隠れる、けぶるような香りは何かしら?
座敷牢に焚き染められた胸の悪くなる、燻し焼きにされる干物の気分を味わう、質の悪いそれとは違う。
高貴で、どこかほっとする香り。
恐る恐る、瞼を持ち上げる。
「……ひっ」
声が、喉の奥で凍り付いた。
目の前に、月があった。
いいえ。それは、黄金に輝く巨大な瞳。
私の全身など容易く飲み込めそうなほど巨大な、白銀の狼が私を見下ろしていた。
家屋ほどもある巨躯。月光を吸い込んだかのように輝く、ふわふわとした綿毛みたいな長い長い毛並み。
神々しいまでに艶めく白。
私の着ている白無垢など霞んでしまうほどの、純粋な白銀。
それは圧倒的な『死』の具現でありながら、息を呑むほどに美しかった。
グルルゥ……と、喉を鳴らす音が響く。巨大な鼻先が、私の顔に近づく。
熱い。
吐き出される呼気が凍えた私の頬を撫でて、痛い。
ちりちりと、溶ける氷がひび割れるような痛みを伴う熱。
(あぁ、これでお終い。この美しい生き物、いえ、神様の一部となれるのなら……)
本能が警鐘を鳴らす。けれど、身体は縛られたまま、指一本動かせない。顔を背ける事すら、できない。
狼の口が、ゆっくりと開いた。
鋭利な刃物のような牙が、月明かりにぎらりと光る。
終わり。
私はせめて苦しみが一瞬で終わるようにと願いながら、ぎゅっと目を瞑り、その時を待った。
ざらり。
「……んぅっ!?」
頬に走ったのは、熱く湿った、ざらつく感触。
巨大な舌が、私の冷え切った頬を、顎を、無防備に晒された首筋を、舐め上げた。
べろり、べろり。
まるで、愛おしいものを味わうように。あるいは、獲物の味を確かめるように。
舌の感触が通り過ぎるたび、少しづつ融けた身体がじんわりとした熱を帯び、柔らかさを取り戻す。
凍り付いていた感覚が、無理やりこじ開けられる。
「……あ……んぅ」
つい、あられもない声が漏れた。恐怖と安堵と、そして訳の分からない高揚感で、頭がぐちゃぐちゃになる。
白銀の狼はひとしきり私の顔を舐め回すと満足げに鼻を鳴らし、私を縛り上げていた太い注連縄に牙をかけた。
ブチリ、ブチリ。
鋼鉄のように硬く凍っていた縄が、絹糸のように容易く噛み千切られていく。
身体が、傾ぐ。
支えを失い、痺れ、凍てつき、血の通わぬ脚はもはや何の感覚も返してこない。
雪の上に崩れ落ちそうになった私を、ふかふかとした温かいものが受け止めた。
白狼の、前足。
指が埋まるほどに深い毛並みが、私を優しく包み込む。
『……哀れよのぅ』
頭の中に、直接声が響いた。
それは獣の太い鳴き声でも、まして獣の咆哮でもなく。
鈴を転がすような、ころりころりと軽やかで、艶を含んだ女性の声。
『そなたもまた、人の業に縛られりんしたか』
黄金の瞳が、私を覗き込んでいる。
その瞳には捕食者の殺意はなく。どこか寂しげで、そして深い慈愛の色が宿っていた。
※※※ ※※※ 作者後書き ※※※ ※※※
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
本作は4話で完結します。
続きが気になる方、是非、作品フォローをいただけますと幸いです。
12月中に合計8作品の短編百合物語を投稿いたします。(以下の2)と連動します!)
1)お勧め百合長編作品、同時執筆/投稿!
【創造の魔女は美少女人形と同調する ~こっそり安楽椅子冒険者をしていたら聖女に推挙されてしまいました~】
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こちらの長編内で食される『短編』八作品の内の一作品となっています。
次の更新予定
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