無欲な子犬は、青い瞳の孤狼に恋をする。

あさひのはるひ*

第1話 ぷろろーぐ。


──君を待っているよ。

おいで、抱きしめてあげる。

もう、離さないよ──ルカ。


囁く声は、深い水底から湧き上がるように胸をふるわせた。

誰かの腕が背中にまわり、そっと抱き寄せられる。

あたたかくて、やさしくて。

光と影が溶ける夢の中。おれは、その名だけを知らないまま──

ただ、指先に残る温度だけを覚えていた。


……まただ。

この夢を見るのは、これで三度目。


「レイル。……おい、聞こえてるんだろ」

部屋の片隅。

身体の半分しか覆えない薄い布切れにくるまり、うつらうつらと眠っていたレイルの意識が、大声に引き抜かれた。

闇がほどけ、まぶたがぱちりと開く。


湿った靴音が、ゆっくりと近づいてくる。

暗がりの中、ダリオが立っていた。

淡い香油の香りをまとい、緩く流した前髪を指先で払う仕草は妙に洗練めいている。

だがその細い目は、レイルを値踏みするように細められ、喉の奥で柔らかいのに冷たい笑いが転がった。

「──喜べ。お前の“嫁ぎ先”が決まったぞ」

レイルは息を呑み、ゆっくりと身体を起こし、ダリオを見あげた。

「……嫁ぎ、先……?」

「そうだ。上客だ」

ダリオはくちびるの端をゆっくりと歪め、肩をすくめた。

「お前みたいなもんでも、まだ“買い手”がつくんだとさ」

ぱちん、と指を鳴らした音が、やけに大きく響いた。

心臓がひとつ跳ねた。

夢の中のあたたかさとはまるで違う、冷たい気配が背中に降りてくる。

レイルは気づいていた。

この家で“嫁ぐ”という言葉が何を指すのか──

どんな扱いが待っているのか。

逃げ場なんて、どこにもない。

ただ、目を伏せたその胸の奥で、夢の声がまだ微かに温度を残していた。


──君を待っている。

あの腕のやさしさだけが、唯一、おれを安堵させてくれるものだった。

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2025年12月31日 21:00
2026年1月1日 21:00
2026年1月2日 21:00

無欲な子犬は、青い瞳の孤狼に恋をする。 あさひのはるひ* @harupi_star

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