行き詰まり

 午後3時。FLM社の会議室では、月例の業績報告会議が行われていた。テーブルを囲んでいるのは、編集部からは星と伴野、営業部でFLMニュース担当の島村、開発部のディレクター豊田、経営企画室長の花垣、そして椅子の背もたれに深く身を預けている社長の勝田だった。


「…というわけで、先月は先々月の反動でPVがやや落ち込みましたが、ネタのシフトなど施策を打った結果、今月は今のところ好調な滑り出しを見せています」

 星は淡々とした口調で報告を締めくくった。「私からは以上です」

「ありがとう」

 社長の勝田は小さく頷いた。五十代の女性で、かつてはリクルート出身のマーケターだった彼女は、FLM社の創業者でもある。


「続いて、島村さん、お願いします」

「はい」

 営業担当の島村が資料を配り始めた。星とは同い年で、入社タイミングも近く、プライベートでも付き合いのある数少ない相手だった。

 「先月の広告収益についてですが、引き続き運用型広告の単価相場は厳しい状況が続いています」島村は数字の書かれたスライドを指さした。「ページ遷移時のリワード広告の表示頻度を増やすなどの対策を続け、なんとか数字をキープできている状況です」


 星は聞きながら、手元の資料でFLMニュースの月次推移グラフを眺めていた。自分が編集長に就任した5年前からこれまで、PVは比較的順調に伸びてきていた。去年の10月には1億PVという大台に迫る勢いだった。

 しかし最近は足踏みが続く。SNSでのフォロワー数も横ばいが続き、光崎なのか騒動で好調だった先々月を除くと、5000万PV前後をうろうろしている状況だ。

 それに運用型広告の単価もこの数年間ずっと伸び悩んでいる。動画コンテンツの増加もあり、テキストメディアの広告枠への需要は年々低下傾向だ。収益自体は一定水準を維持できているものの、かつての高成長期に描いていた右肩上がりの未来図とは程遠い横ばい状態が続いている。


「他に質問はありますか?」

 社長の声が会議室に響いたとき、まだ数字を眺めていた星は我に返った。島村の報告が終わり、次のアジェンダに移ろうとしていたところだった。

 ちょうどその瞬間、経営企画室長の花垣が手を挙げた。


「すみません、確認したいことがあります」

 花垣は眼鏡越しに星をじっと見た。40代半ばの男性で、コンサル出身、半年前に他のIT企業から転職してきたばかりだ。数字に強い反面、メディアへの理解は乏しいことで編集部内では少し警戒されていた。

 「先々月は、光崎なんとかとかいうインフルエンサーの炎上があったから数字が良かった。しかし先月はそういった大きなニュースがなく、数字が落ち込んだ」花垣はタブレットをスクロールしながら言った。「つまり、外部要因である『コンテンツの有無』に収益構造が影響を受けるという脆弱性を抱えている状況と分析できます。これはサステナブルなビジネスモデルの観点からどうお考えでしょうか」

 星は内心で舌打ちをした。「それがネットニュースというものだ。特にYahoo配信を主としているわれわれはなおさらだ」と毒づきたいところだが、ここは抑えるべきだろう。

 「ご指摘の通り、それは我々も課題として認識しています」星は丁寧に答えた。「そのためにいわゆる『こたつ記事』と呼ばれる、SNSでの反応などを記事化したコンテンツを、主に契約ライターを使って増やしています。これらは大きなニュースがない時期でも一定数の読者を獲得できます」

 花垣は満足したようには見えなかった。彼は眼鏡を上げながら、さらに踏み込んだ。

「であれば、コスト削減の観点から、固定費の高い社内記者リソースを最適化し、変動費である外注ライターを活用したこたつ記事に特化する。そのうえでコンテンツ量を増大させるという戦略的転換は検討に値しないのでしょうか」

 その言葉に、星はわずかに眉を寄せた。要するに社内記者をクビにし、こたつ記事一本に絞れということだ。いつかはこういうことを言い出すのではないかと思っていたが、ここまで直接的に言われるとは。


「それも…選択肢としてはあり得るかもしれませんが」

 冷静に答えるつもりだったが、声には僅かに硬さが混じった。

「すると取材記事を出すのが難しくなります」

 伴野がフォローするように発言した。

「取材記事がまともに出せないようだと、メディアとしてのブランド力の低下につながる恐れがあります。それは中長期的に読者離れを招く可能性が高いと考えています」

 星もぐっと手元の白湯を飲み干して調子を整え、落ち着いた口調で続けた。

 「短期的にはこたつ記事へのシフト戦略も検討しうるかもしれません。しかし、あまりにもメディアとしての質が落ちていると判断されると、Yahoo!ニュースから配信契約を打ち切られる可能性もあります」星は花垣の目をまっすぐ見た。「そうなるとビジネスモデル自体が崩壊することになります」

 「確かにそうですよねえ。あと、」開発部ディレクターの豊田が口を挟んだ。三十代半ばの痩せぎすの彼は、普段は会議で発言することが少なかった。「あまりにも低品質な記事が多くなりすぎると、SEO対策上もマイナスになります。Googleはコンテンツの質を評価する傾向を強めていますから」

 花垣は腕を組み、数値に落とし込めない話にいささか不満げな表情を見せた。

 「私たち営業部としても」島村が資料を示しながら話を続けた。「タイアップ広告の獲得に引き続き注力しています。また、記事内の広告枠をよりエンゲージメントの高いフォーマットに置き換えるなど、収益強化に努めています」

 花垣はメモをとりながらも、まだ納得していない様子だった。彼はこれ以上何か言おうとしたが、社長の勝田が咳払いをして話の流れを断ち切った。


「FLMニュースは、私たちテクリームにとって大切な看板事業です」

 それまで黙って話を聞いていた勝田は、リラックスした口調で言った。「メディア事業の難しさはよく分かります。新しい収益源も探しつつ、でもやっぱりメディアとしての質も大事にしながら、これからも頑張っていってほしいですね」

 彼女はテーブルを見回して言葉を続けた。「その両立が難しいのは重々承知してます。でも、それができなきゃ私たちの存在意義がないでしょう? みんなで知恵を絞っていきましょう」


 星は静かに頷いた。

 「他になければ今日の会議はここまででいいかしら」勝田は席を立ちながら言った。「お疲れ様」

 会議室から人が徐々に退出していく。

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