ネットニュースの危機

 星も資料を片付け、席を立とうとした瞬間、島村が声をかけてきた。

「ちょっといいか?」

 星は頷き、二人だけが会議室に残された。窓の向こうでは、東京の街並みが夕日に照らされ始めていた。

 「いやー、花垣さん、ヤバいこと言い出したよな」島村は少し声を落とし、会議机に浅く腰掛けた。「固定費の高い社内記者リソースを最適化…って、よく簡単に言うよ」

 花垣の口調をまねて見せた島村に、星も思わずつられて笑う。

 「彼なりに合理的な判断なんでしょうが」星は椅子に再び座り、ため息をついた。「PVが伸び悩み、広告単価も厳しい。こたつ記事が一定の数字を出している。なら高コストの社内記者を減らして外注を増やせ、という主張は筋が通ってはいます。でも」

「でも?」

 「でも、なかなかそういうふうにはメディアは回らない。そこだけに振り切ってしまうと、必ずひずみが出ます」星は言った。「まあ、彼に説明するだけ無駄でしょうが」

 「そうだな」島村が笑った。

 星は思い出したように尋ねた。「ところで、さっき言ってたタイアップ広告の獲得、あてはあるんです?」冗談めかした口調だったが、目は真剣だった。

 島村は間髪入れずに返した。

「もちろんがんばるけど、そんな簡単にできるわけないだろ」

「でしょうね」

 「FLMニュースみたいな総合ニュースサイトだと、読者のセグメント化が難しいんだよ」島村は腕を組んだ。「今の顧客が求めるのは、実際の購買行動につながる広告媒体だ。我々にはピンポイントで届けられる読者層がない」

 島村は少し考え込むような素振りを見せてから、続けた。

「せめてさ、サイトに熱心なファンがついていれば、もう少し戦略の幅が広がるんだけどな」彼は星の反応を伺うように視線を送った。「そのあたりは難しいのか?」


 星はゆっくりと首を振った。

「やはりFLMニュースのようなノンジャンルで、しかも炎上ネタなど攻撃的な論調も多いメディアでは、ファンの獲得は難しいですね」星は窓の外に目をやった。「ましてや、こたつ記事に頼っているような現状では…」

 言葉が途切れ、二人の間に静寂が流れた。

「文秋オンラインくらいに強いスクープを継続して出せれば、話は違うんでしょうが…」

 星はしばし考え込んだ。そこには解決策を模索する表情と、ある種の諦念が混ざり合っていた。島村はため息をついた。

「とすれば、しばらくは収益を増やすためには、こたつ記事を増やすくらいしか確実な手はないのか…」

 星は無言で頷いた。しかし、内心では今朝見た「新スポオンライン」のみらい福祉庁記事が頭をよぎっていた。とにかくPV目当てで記事を量産しようとすれば、ああいうネタにも手を出さざるを得なくなってくる。それは根拠のない政治批判や、陰謀論的な主張まで垂れ流すことを意味する。だが、それは結局メディアとしての寿命を縮めるだけなのではないか——。

 沈黙が会議室を満たした。窓の外では、ビル群の向こうに沈みかけた太陽が赤い光を放っていた。


 「で、本題は?」星は率直に尋ねた。「何か言いたいことがあるんでしょう?」

 島村は少し身を引くようにして椅子に深く腰掛け、言いづらそうな表情を見せた。

 「あー、どう言えばいいか…」彼は言葉を選びながら言った。「お前の耳には入れておいたほうがいいと思ってさ」

 星は黙って彼の言葉を待った。

 「実はな、先週、勝田社長のお供で広告代理店を尋ねたんだ」島村は声をさらに落とした。「その帰りに、2人で飲みに行ったんだよ」

 星は頷いた。それ自体は珍しいことではなかった。島村は入社当初から勝田のお気に入りで、たびたび2人で飲みに行っていた。

 「で、社長がけっこう酔っ払ってね…」島村は周囲を確認するように視線を泳がせた。「花垣がFLMニュースの事業売却を社長に勧めているって口走ったんだ。しかも、複数の会社からオファーも来ているらしい」

 星の表情はほとんど変わらなかった。驚きはしなかったものの、情報の重みが彼の思考を一瞬凍らせた。

 実際、テクリーム社においてFLMニュースの位置づけは年々変化していた。

 いくつかのウェブサービスやメディアを立ち上げていたものの、知名度は低かったテクリーム社にとって、FLMニュースの買収はまさに僥倖だった。FLMニュースの存在は勝田の言う通り会社の「看板」としてその信用を高めるとともに、また方向性をエンタメに寄せたことで収益性も改善し、長らく会社の成長を牽引してきた。

 しかし現在では、売上面ではその後に展開したクチコミサイトやデータマーケティング事業がすでにFLMニュースを上回り、成長率も高い。星としても、勝田が事業売却という選択肢を検討してもおかしくないことは、薄々感じていた。


 「あっ、でも」島村は少し慌てた様子で付け加えた。「現時点では来てる話は断っているらしいよ。社長も迷ってる様子だったし…」

「そうですか」

 星の返事は素っ気なかった。頭の中はすでに別の場所にあった。なんにせよ、この局面を打開する何かしらブレイクスルーが必要なことを、彼はひしひしと感じていた。

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