第6話 柏木町のルール
【取材メモ:2025年9月11日】
柏木町の図書館で、戦前の町誌を閲覧した。
そこには、1937年から1952年までの間に、
計14人の住民が「行方不明」と記録されていた。
だが、いずれも警察の正式な捜査記録は存在しない。
ただ一行、「5月17日、姿を消す」とあるだけ。
町の老人たちは、この話題になると口を閉ざす。
「昔のことは、触れないほうがいい」と言う。
この町には、“ルール”があるらしい。
そして、そのルールは今も生きている。
――高橋亮
---
【柏木町史(昭和編・非売品)抜粋】
「……本町では古くより、5月17日を“静の日”と呼ぶ。
この日、午後3時より32分間、町の時間が止まるという伝承あり。
かつては、町民はこの時間、家中の時計を止め、外出を慎み、声を発することを戒めた。
明治末期より昭和中期にかけ、この日に失踪する者が後を絶たず、
中には子供や若者が含まれていた。
しかし、すべての事件は“自然消滅”とされ、正式な記録は残されなかった。
理由は不明。ただ、町の重鎮の間では、
『神の時間に踏み込んだ者は、神に選ばれる』と囁かれていた……」
※この記述は、1953年以降の改訂版町誌から削除されている。
---
【インタビュー音声文字起こし:2025年9月12日】
対象:田中久夫(田中精肉店・店主、68歳)
場所:自宅(録音許可取得)
「……ああ、昔は多かったよ。5月17日にいなくなる子が。
俺の兄貴も、1962年に消えた。15歳だった。
学校帰りに、商店街で『帰るね』って言ったきり、戻ってこなかった」
「警察も来たけど、『家出だろう』って。
でも、兄貴は真面目な子で、そんなことするわけない。
しかも、その日の夕方、うちの母が『3時10分に兄貴を見た』って言い出したの。
玄関で靴を履いてたって。でも、玄関には誰もいなかった」
「……それ以来、母は5月17日になると、一日中、玄関の前で座ってた。
『戻ってくるかもしれないから』って」
(声が震える)
「高橋さん、聞かないでくれ。
俺だって、あの日、悠真くんを見た。
でも、見なかったことにしときたかったんだ。
町のルールだろ? 見たって、言っちゃいけないことになってる」
---
【取材メモ:2025年9月13日】
田中さんの証言の後、町内の70歳以上の住民12人に接触を試みた。
うち9人は、取材を断った。
残り3人のうち2人は、「知らない」と繰り返した。
唯一、話をしてくれたのは、旧郵便局の元局長・鈴木文雄氏(79歳)だった。
「柏木町には、“見えない合意”があるんだよ。
5月17日に起きたことは、“なかったこと”にする。
そうしないと、次に消えるのが自分かもしれねえからな」
「時計塔が建ってた頃は、町の中心に鐘があってな。
3時になったら鳴らす。でも、5月17日だけは鳴らさなかった。
代わりに、誰もが32分間、黙ってた」
「……佐藤家は、その“時間”を管理してたんだ。
悠真くんの曽祖父が、最後の“時守(ときもり)”だった」
「時守って何ですか?」
「……言える立場じゃねえよ。俺も、もう長くないから話したけど、
これ以上は、神様に怒られる」
彼はそこで立ち上がり、ドアを指差した。
---
【佐藤家旧蔵・手書き日記(祖母・千鶴、1951年記述)】
5月17日 曇り
兄が消えた。午後3時、庭で手紙を読んでたのに、3時32分にはいなかった。
母は泣かなかった。ただ、神棚に供え物を増やした。
父が言った。「時守の家に生まれた者は、神の時間に選ばれることがある。
それは罰でもなく、恩でもない。ただの“ルール”だ」
私は怖い。来年の5月17日が、もう待ち遠しくない。
(※この日記の5月18日以降のページは、すべて破り取られている)
---
【警察内部文書(非公式・匿名提供)】
件名:柏木町における“5月17日失踪事件”に関する非公式整理資料
作成者:不明(柏木警察署・1970年代と思われる)
・1937~1952年:14件(いずれも未成年)
・1958年:1件(高校生・男子)
・1962年:1件(中学生・男子、田中氏の兄)
・1975年:2件(高校生・男女1名ずつ)
・1988年:1件(高校生・女子)
・2001年:1件(中学生・男子)
・2014年:1件(高校生・男子)
・2025年:1件(高校生・佐藤悠真)
※全事件において、
・目撃情報は多数あるが、物理的証拠ゼロ
・防犯カメラ普及後も、映像的証拠なし
・家族が捜索を早期に断念する傾向あり
・町外からの介入(警察・マスコミ)に対して、住民が一貫して非協力的
備考:
「本件は“都市伝説”として処理すべき。
ただし、5月17日当日の柏木町内パトロールは、毎年実施すること」
---
【取材メモ:2025年9月14日】
今日、柏木町の古い地図を入手した。
1950年代のもので、現在とは道路の配置が少し違う。
特に、現在の桜並木通りは、当時「時守街道」と呼ばれていた。
地図の隅に、赤いインクで手書きの注釈があった。
「32の印は踏むな。時間に取られる」
そして、通りに沿って、32か所の小さな印が点在している。
現在の地図と照合すると、その印の位置は――
すべて、現在“防犯カメラが設置されていない”地点と一致する。
偶然か。
それとも、誰かが“映らない場所”を、昔から守ってきたのか。
---
【メール記録:2025年9月15日】
送信者:匿名(IPアドレスは柏木町立図書館)
宛先:高橋亮
件名:ルールを破った者
あなたは、すでに“ルール”を破っている。
取材を続けてる時点で、町の合意に背いている。
昔は、ルールを破った者は、
次の5月17日に“選ばれた”。
今ならまだ間に合う。
映像を消して、東京に帰れ。
悠真くんは、戻ってこない。
でも、あなたが戻らなければ、
次に消えるのは“取材者”だ。
---
【ドキュメンタリー制作メモ:2025年9月16日】
ルールの正体が、少しずつ見えてきた。
柏木町は、5月17日の3時から3時32分の間、
“神の時間”が開くと信じている。
その時間に外を歩く者は、“選ばれて”消える。
だから、町民はその時間、家に籠る。
見ても、言わない。
覚えても、記録しない。
そして、佐藤家は、その時間の“管理者”だった。
時守――時間を見守る家系。
悠真は、その末裔だから、
自ら“中に入ろう”としたのかもしれない。
手帳の「明日、確かめる。本当かどうか」という記述は、
単なる興味ではなく、“使命”だったのでは。
そして私は――
高橋家は、かつてその“時間”を記録しようとした家系だ。
だから、母は私を連れて2008年に柏木に来た。
そして、警告された。
「時間を見る者は、時間に見られる」
今、私は再びその時間を見ようとしている。
カメラを向け、証言を集め、記録を残そうとしている。
だが、この町のルールは、
“記録を許さない”。
だから、カメラは嘘を吐き、
データは消え、
記憶は歪む。
それでも、私は続けるしかない。
なぜなら――
悠真は、私に“見てほしい”と願っていたからだ。
---
【取材メモ:2025年9月17日】
今日、柏木神社の裏に、古い石碑を見つけた。
苔に覆われていたが、文字をこすり出すと、こう刻まれていた。
「静寂の刻に踏み入る者
その身は時の彼方へ
還らず」
その下に、小さな数字が彫られていた。
「32」
風が止んだ。
鳥の声も、車の音も、すべて消えた。
まるで、今が3時05分のようだった。
私はカメラを構えた。
だが、映像は真っ黒のままだった。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます