絵に描いたバラ
名前と姿が一致する花の名前を思いつくままにあげてもらった時に、安定して序盤に出てくるのは、桜、タンポポ、チューリップ、バラといったところだろうか。これ以降は人によっては怪しくなってくるはずだ。花の名前を10個挙げるのに苦労する人は、案外多いのではないか。朝顔、沈丁花、睡蓮、サザンカ………。5個を超えたあたりからは、夏休みの宿題で育てたことがあったり、好きな歌の歌詞だったりと、個人的な記憶にかなり依拠してくる。 中でも バラは、愛とプロポーズのイメージ、それから、薔薇というやたらと難しい漢字で有名である。
そんなバラには、少しだけ思い入れがある。あれは確か小学校に入学した直後の話だったはずだ。小学生の心情というのは、年相応な部分が多い一方で妙なところで案外大人びていたりするもので、あのころすでに、我々はその日の給食のメニュー以外のことも考えていたようだ。そうでなければ、まだ10歳にも満たない当時、誰がモテていたかなんて、覚えているはずがない。やはり運動も勉強もなんでもできる人気者が、なぜか必ず各クラスに一人はいて、あの頃のクラスも例外ではなかったように思う。時代の異なるいくつかのクラスを混同していないかと問われると、自信はない。
ともかく、ある日その事件は起こった。昼休み、大抵の生徒は給食から解放されるや否や校庭か体育館に駆け出していったものだが、なんとクラスの人気者の一人が、教室に残ってバラの絵を描いていたのである。もはや男女いずれかさえおぼろげであるが、その衝撃は未だに忘れえない。バラの絵というのは、当時はやりのアニメや特撮のキャラクターと戦闘シーン以外を描くことを知らなかった我々にとっては、まさに大人の象徴であった。しかもこのバラの描き方が、また新鮮なものであった。当時の私は、花の絵を描くには、丸みを帯びた星型の中央に丸を描いて、それを書きたい花の色で塗るしかないと思っていた。タンポポなら黄色、バラなら赤といった具合である。ところがそこで発見したバラは、全く違うものであった。丸を中央に書くところまでは同じだが、そこから同心円状に、三角形の花弁を1枚1枚描いていくのである。これは本当に革命的だった。単に新しい花の描き方に気付いただけでなく、部品を組み合わせていくことで、ものを描ける、作れるということに気付いた瞬間であった。
もちろんこの解釈は後付けのものであり、当時はこの発見のすばらしさに気付いていなかった。よって、実際のところこの革命がどれほどのインパクトを当時持っていたかは不明である。この辺りは、実際の革命に案外似ているのかもしれない。
さて、将来のことなど露とも知らない当時の私は、これを機に自らの地位を高めようと画策して、その絵を模倣し始めた。もちろんすぐにその試みはクラスメイトに発見され、自分の絵は思惑とは逆に笑いものとなった。見よう見まねで描いた絵が、いきなり上手く描けるはずもない。当時の自分は、悔しくて泣いてしまったような気もする。一応相手の名誉のために言っておくと、絵を描いていた本人は私の絵を笑わなかったはずである。勝手に絵を模倣された本人には、私を笑う権利が十分にあったのにもかかわらず。
それからもう少し背丈が伸びた時に、私の絵はある展示会に学校から出品する作品の一つに選ばれた。展示会では特に何も表彰はされず、数百点の作品のうちの一つとしてビルの壁に飾られただけだが、この時は両親がかなり喜んでくれて、わざわざ展示会のある少し大きな町まで一緒に絵を見に行ったことを覚えている。どちらかというと展示会よりもその後に食べたごちそうの印象が強いが。きっとあの時のバラと涙のおかげだろう。
これでさらに絵を描くようになり、芸術の道に進んだとくれば、かなり美しいエピソードだが、残念ながらこの話はここまでである。その後は、特に人前で絵を見せる機会もなく、絵を描くこと自体も徐々に少なくなっていった。冷静に考えてみれば、もとがかなり低かった画力が平均付近に上がったというだけであったから、きれいなオチなどつくはずもなかった。むしろ1回の入賞に感謝するべきだろう。入賞のおかげで、あの日の失敗は意味を持てたのだから。
当然、全ての失敗が意味を持つわけでもないし、他人に迷惑をかけた事実は、何があっても消えることはない。しかし、自分自身の後悔くらいは、それこそ歌の歌詞の意味を知るには涙は不可欠だったりするのだからと、肯定する夜があっても悪くはないだろう。
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