第7話:資料番号07『押収物:ICレコーダー音声反訳データ』

【閲覧上の注意】

本資料は、第6話の舞台となった「S区立東図書館」の現場検証、およびその後の修復工事の過程で発見された、1台のICレコーダー(メーカー:SONY、型番:ICD-UX570F)内の音声データ反訳書である。

発見者は、S区警察署鑑識課員ではなく、図書館の清掃業務を請け負っていた民間業者のアルバイト作業員・T氏である。

T氏は、現場の児童書コーナーの書架の下から本機を発見し、興味本位でデータを再生。内容の異常性に恐怖し、匿名掲示板にデータをアップロードしようとしたところを、S区サイバー犯罪対策課によって身柄を拘束された。

本機は即座に押収・破壊されたが、T氏が拘束される直前に友人に送信していたコピーデータが、闇サイト経由で流出したものである。


この音声データは、行方不明(公式には殉職)となった生活安全課・牧野誠巡査長が、自らの命と引き換えに残した「最後の証言」である。


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【資料7-1:音声ファイル「REC_202X1020_0130.mp3」】


録音日時:202X年10月20日 午前1時30分

録音場所:S区立東図書館・館内(侵入直後)


(衣擦れの音。荒い息遣い。雨音が遠くに聞こえる)


牧野:……テスト、テスト。牧野だ。

現在時刻、午前1時30分。

S区立東図書館の裏口から侵入に成功した。

警備システムは作動していない。いや、あえて切られているようだ。

「招かれている」ということか。


(足音。コツ、コツ、という靴音が館内に響く)


牧野:館内は無人だ。照明は消えているが、妙に明るい。

本棚が……発光している?

いや、違う。本棚から「靄(もや)」のようなものが出ている。青白い燐光だ。

匂いがする。

古い紙の匂いと、防腐剤の匂い。

それと、奥の方から、甘ったるい花の香りがする。葬式で嗅ぐような匂いだ。


(ガサガサというノイズ)


牧野:児童書コーナーへ向かう。

第5話の統計データ通りなら、ここが「北東」のポイントだ。

……なんだ、あれは。

床に、本が散乱している。

絵本だ。「ぐりとぐら」、「はらぺこあおむし」、「100万回生きたねこ」。

円形に並べられている。

魔法陣みたいに。


(「キィィィ」という金属音。誰かが奥から台車を押してくるような音)


牧野:誰かいる。

隠れる場所がない。いや、あいつだ。

あっちから姿を見せた。

鹿島芽衣だ。

第2話で失踪した女子高生。第4話で成瀬を追い込んだ「死神」。

……間違いない。でも、様子が変だ。

制服を着ているが、体が透けている。

向こう側の本棚が、彼女の体を透過して見えている。


(少女の声が近づく)


少女の声:『……牧野さん。待ってたよ』

牧野:『鹿島、芽衣か?』

少女の声:『ううん。その名前は、もう「返却」されたわ。今はただの「司書」』

牧野:『ここで何をしている』

少女の声:『整理整頓。S区は散らかりすぎてるから。溢れた物語を、本棚に戻してるの』


(「バサッ」という大きな音。本が落ちた音ではなく、鳥が羽ばたくような音)


牧野:『……うわっ!?』

少女の声:『怖がらないで。ただの「見張り番」よ。かつて副島さんと呼ばれていたモノ』


牧野:……ICレコーダーに向かって状況を説明する。

今、俺の頭上を、巨大な黒い影が旋回している。

第1話の自転車事故で死んだ副島だ。

だが、人間の形をしていない。

手足が異常に長く、背中から自転車のホイールのような翼が生えている。

顔がない。ブレーキワイヤーでぐるぐる巻きにされている。


少女の声:『彼、優秀な回収係になったのよ。次は牧野さんの番』

牧野:『断る。俺は警察官だ。逮捕状はないが、お前たちを止めるために来た』

少女の声:『ふふ。止められないよ。これは「決まり事」だから』

少女の声:『昭和の時も、明治の時も、もっと昔からも。この土地は、定期的に人を食べないと、お腹が空いて地震を起こしちゃうの』


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【資料7-2:音声ファイル「REC_202X1020_0145.mp3」】


録音日時:202X年10月20日 午前1時45分


牧野:『……つまり、S区全体が、巨大な「胃袋」の上にあるってことか』

少女の声:『そう。「龍」の胃袋。昔の軍隊の人たちは、それを兵器にしようとして、逆に食べられちゃった』

少女の声:『「七研」の人たちは賢かったわ。龍を眠らせるには、恐怖と絶望のスパイスが効いた「物語」を食べさせればいいって気づいたの』


牧野:『それが、12年ごとの事故と失踪か』

少女の声:『ええ。単なる死体じゃダメなの。

「理不尽な死」

「解けない謎」

「残された人の悲しみ」

そういう物語性が、一番の栄養になる。だから、私たちは演出してるの。

モキュメンタリーみたいにね』


牧野:『……ふざけるな。人の命を、創作物みたいに』

少女の声:『でも、あなたたちも楽しんでるでしょ?

安全な場所から、怖い話を聞くのが好きでしょう?

S区の住人も同じ。

「自分じゃなくてよかった」

「隣の誰かが死んでくれたおかげで、自分は生き延びた」

そういう無意識の安堵が、この結界を支えてるの』


(ズズズ……という地響きのような音)


少女の声:『さあ、時間よ。

牧野さん、あなたは特別ゲスト。

ただの「失踪」じゃつまらない。

「正義感に燃える刑事が、深入りしすぎて取り込まれる」

そういうプロットが用意されてるの。

最高に盛り上がるわ。龍も喜ぶ』


牧野:……体が動かない。

床の絵本から、白い手が無数に伸びてきている。

足首を掴まれた。

焼けるように熱い。

インクだ。黒いインクが、靴を溶かして、皮膚に浸透してくる。


牧野:『……う、ぐあぁぁぁ!』

少女の声:『痛い? でもすぐ終わるわ。

あなたの記憶、感情、肉体。

全部バラバラに分解して、文字にするの。

あなたは「S区未解決事件ファイル・最終章」になるのよ』


牧野:……クソッ。

意識が……文字に変換されていく……。

指先が紙になっていくのがわかる。

血が……インクに……。


(激しいガラスの破砕音。遠くでサイレンの音)


牧野:『……城島、さん?』


――――――――――――――――――――


【資料7-3:音声ファイル「REC_202X1020_0215.mp3」】


録音日時:202X年10月20日 午前2時15分

(第6話で城島刑事が突入した時間帯と合致する)


(銃声。パン、パン、パン、と乾いた発砲音が連続する)

(城島刑事の叫び声)


城島:『牧野! 牧野おおおおお!』

城島:『離れろ! 化け物め!』


(金属が何かに弾かれる音)


牧野:……城島さんが来た。

バカな人だ。逃げろと言ったのに。

でも、これがチャンスだ。

俺はもう助からない。下半身は完全に「本」になってしまった。

ページが風でめくれるように、俺の足の肉が剥がれていく。


だが、意識はまだある。

鹿島芽衣……いや、管理者気取りのあの女は、城島さんに気を取られている。

今なら、できる。


(マイクに口を近づける音。囁き声)


牧野:……これを聞いている誰かへ。

俺は今から、奴らのアーカイブに取り込まれる。

ただ食われるだけじゃない。

俺という「異物」を、奴らのデータベースに混入させる。

俺はウイルスになる。

S区の地下図書館にある膨大な記録。その目録(インデックス)を、内側から書き換えてやる。


奴らは隠したがっている。

この儀式の本当の目的を。

「S区独立特区構想」なんてのは隠れ蓑だ。

奴らは、S区の地下にある「龍」を孵化させようとしている。

今年、行われる予定の「区民感謝フェスティバル」。

あれは祭りじゃない。孵化のための集団儀式だ。

数万人の観客の「熱狂」をトリガーにして、S区そのものを物理的に切り離し、異界へ転移させるつもりだ。


(銃声が止む。城島が取り押さえられる音)


城島:『牧野! 撃て! 俺を撃て!』

牧野:『……城島さん。ありがとう』


(ドサッ、という音。牧野が何かを蹴る音)


牧野:……ICレコーダーを、書架の下に蹴り込んだ。

ここなら、奴らの掃除係も見落とすかもしれない。

城島さんは、俺を撃ったことにしてくれ。

その方が、彼は生き残れる。狂った刑事として病院に隔離される方が、消されるよりマシだ。


(ズブズブ、という水音。牧野の声が次第にかすれていく)


牧野:……ああ、すごい情報量だ。

地下の根っこが見える。

S区の歴史が、全部流れ込んでくる。

昭和の火事も、平成の土砂崩れも、全部繋がっている。

……見つけた。

中央公園の地下。

制御室へのパスコードは……「000000」。

なんだ、これ。

ゼロが6つ?

……違う。これは数字のゼロじゃない。

「円環(ループ)」の記号だ。

終わりがない、永遠の地獄。


(牧野の声が、ノイズ混じりの機械的な音声に変化し始める)


牧野:『……記録、完了。分類コード99。タイトル「愚かな警察官の末路」。』

牧野:『……違う、書き換えろ! タイトルは……「反撃の狼煙(のろし)」だ!』


(バチンッ! という破裂音。インクが飛び散るような音)

(その後、数分間の静寂。遠くで城島刑事が連行されていく怒号だけが聞こえる)


――――――――――――――――――――


【資料7-4:音声ファイル「REC_202X1020_0230.mp3」】


録音日時:202X年10月20日 午前2時30分

(誰もいないはずの深夜の図書館で、レコーダーが自動的に録音を継続していた部分)


(ヒタ、ヒタ、という裸足の足音)

(少女のハミング。「かごめかごめ」のメロディ)


少女の声:『……あら? 一冊、装丁が乱れてるわね』

少女の声:『牧野さん、往生際が悪いわ』

少女の声:『まあいいわ。あなたのその「抵抗」も、面白い物語のスパイスになるから』


(コツコツ、とレコーダーの近くを歩く音。少女が書架の下を覗き込む気配)


少女の声:『……そこに隠したのね?』

少女の声:『拾ってあげない。

誰かがこれを見つけて、聞いて、怖がってくれるのを待つことにする』

少女の声:『だって、恐怖が拡散すればするほど、私たちの力は強くなるんだもの』


(少女がレコーダーに向かって囁く)


少女の声:『ねえ、これを聞いてるあなた。

面白かった?

牧野さんの断末魔、ゾクゾクした?

あなたがそうやって消費してくれるおかげで、私たちは存在できるの』


少女の声:『さあ、次は最終話よ。

中央公園においで。

最高の特等席を用意して待ってるから』


(録音終了)


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【資料7-5:発見者T氏の取り調べ調書(抜粋・参考資料)】


警視庁サイバー犯罪対策課による聴取記録。


捜査官:君はこのデータをどこで手に入れた?


T氏:だから、言ったじゃないですか。掃除中に見つけたんです。本棚の下、埃まみれの中に、赤いランプが点滅してて。


捜査官:内容を聞いたな?


T氏:聞きましたよ……。最初はイタズラかドラマの撮影データかと思いました。でも、途中から……あの、牧野って刑事の声。あれ、本物ですよね? ニュースでやってた、行方不明の人ですよね?


捜査官:……質問に答えろ。コピーはどこだ?


T氏:友人に送りました。「やばいもん見つけた」って。

でも、その友人、昨日の夜から連絡が取れないんです。

既読にもならない。

刑事さん、もしかして、これを聞いたら……呪われるんですか?


捜査官:馬鹿なことを言うな。単なる証拠品だ。


T氏:でも、最後の女の子の声……。

「中央公園においで」って言ってた。

俺、今週末のイベントの設営バイトも入ってるんです。

中央公園の「区民感謝フェスティバル」。

……行かなきゃいけない気がするんです。

呼ばれてるんです。

俺だけじゃない。これを聞いた奴、みんな。


(T氏はその後、留置所内で原因不明の心不全により死亡。検視の結果、心臓内部から黒いインク状の液体が検出されたが、公式には「急性心筋梗塞」として処理された)


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【資料7-6:生活安全課・牧野巡査長の個人PCから復元されたメモ】


牧野が生前、第5話の段階で作成し、送信されずに下書きフォルダに残っていたテキストデータ。

ICレコーダーの解析と並行して、鑑識が復元に成功した。


「もし、僕が戻らなかったら。

この一連の事件の黒幕は、人間ではないかもしれない。

でも、協力者は人間だ。

S区役所。警察署長。そして、再開発を推進する建設族議員たち。

彼らは『龍』の力を利用して、この国を支配しようとしている。


だが、弱点はあるはずだ。

『物語』が彼らのエネルギー源なら、その物語を台無しにしてやればいい。

バッドエンドをハッピーエンドに変えるんじゃない。

『打ち切り』にするんだ。

観客がいなくなれば、劇は成立しない。


城島さん、そしてこれを読んでいる市民の皆さん。

S区から目を離さないでください。

でも、決して物語には参加しないでください。

無視してください。

それが、奴らに対する最大の攻撃です。


……いや、無理か。

一度知ってしまったら、もうあなたは当事者だ。

S区の地図を開いた瞬間から、あなたはもう『読者』として登録されている。

なら、最後まで見届けてほしい。

ページを閉じる権利は、あなたたちにある」


――――――――――――――――――――


【第7話 終了】

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