第1話

 スマホの目覚ましが鳴る。覚めない脳と闘いながら頭上のスマホを探し、数秒かけてアラームを止める。

 今週もまた始まる。

 1LDKの廊下を裸足で音を鳴らしながら、洗面所へ向かう。

 憂鬱と気怠さを合わせたような気分だ。

 冷たい水で顔を洗う。壁にかかった古びたハンドタオルで顔を拭く。無理矢理気分を爽快にし、スーツに着替える。会社指定の衣替えスケジュールに則り、慣れないネクタイを締め、ジャケットに腕を通す。起床してから15分玄関の扉を開けて鍵を閉める。

 自宅から会社まで約50分。徒歩と電車でたどり着く。満員電車というほどではないが、座れない日がほとんどでスマホでショート動画を見るくらいしかすることがない。毎日同じ通勤をしているわけだが、飽きやストレスがあるわけではない。気づいたら会社に到着している。



 駅から徒歩五分で着く会社は従業員数二千人。海外にも多く拠点を置く大企業の家電メーカー、株式会社クーロンだ。量販店にいけば大体の確率で自社の製品が置いてあるし、友人には軽く自慢になりそうな知名度ではある。そして福利厚生の社内割引で2~3割引きで家電が買える。これが結構ありがたい。一人暮らしするのに家電をそろえるには以外とお金がかかる。割引のおかげで家の家電は炊飯器、電子レンジ、掃除機などなど、クーロン社製で囲まれている。

 エレベーターで三階へ上がり、セキュリティカードをかざし、重いドアを開ける。自分のデスクへと向かう。8時40分着。すこしだけゆっくりできるくらいの出社が一番良い。

「おはようございます」

 いつも通り挨拶をする。

「おはようございます」

 聞き返したくなるような声で挨拶が返ってくる。

「ちょっと顔色悪いんじゃない?ちゃんと寝てる?」

 隣のデスクに座る事務員さんに心配される。

「え、本当ですか?ちょっと寝不足だったのかも」

 フロアには三十人程度の席があるが、既に出社しているのは、10人に満たないようだ。ジャケットを脱いで椅子に掛けて腰掛ける。PCを起動し、今週のスケジュールを確認する。今週の予定は、通常業務と研修で発表があることくらいだ。

「進藤君。資料チェックしておいた。細かいところだけ修正しておいて」

「ありがとうございます」

 先週先輩に提出していたパワーポイントの発表資料の修正が済んだようだ。スライド数三枚の自分の今まで成果を簡単にまとめたものだ。二日しか作成に時間をかけていない割には出来は悪くないはず。中を開けてみるとところどころに図形の上に赤字で書かれた修正文があった。内容は「題名は太字」「フォントサイズが違う」「1ページ目の内容と矛盾している」などなど。十数個にも及ぶ指摘点があった。よくもまあこんなにも粗を探してこれるものだ。文章の中身に触れているの指摘は1個であとは細かいものばかり。まあ自分の資料の中身は外側以外はよかったのだと思うことにしよう。この新川先輩はこういった些末なことばかり目について指摘することを我慢できない人なのだ。この前も部長に対して「了解ですは目上や目下関係なく使う言葉ですよ」と言って部長に怪訝な顔をされていた。悪い先輩ではないのだが、世渡りは苦手そうだ。

「先輩もこの研修受けたんですか?」

「5年前くらいだったかなー。発表して人事からフィードバックを受けて、あとは他の人の発表を聞くだけ。三年目研修なんてつまんないよ」

「やっぱりそんなもんですよねー」

 新川さんは黒髪で、ワックスをしているのか寝癖なのかわからないような髪型にクロブチ眼鏡をかけている。話しかければ気さくに返してくれる先輩としては丁度良い距離感の人だ。会社が嫌になり転職に踏み切らないのは彼のおかげというのも15%くらいはありそうだ。

「そうだ。急なんだけど、明日出張入った。行けるよな?今日11時からミーティングいれといたから。そこで説明する」

「本当ですか。出張なんて初めてですよ。どこですか」

「東京消防庁」

「東京?消防庁?」

「あとで説明するよ。ミーティングの準備はいらないから、解析のタスクは消化しておいてよ」

 いきなり出張か。正直驚きよりも楽しみの気持ちになっている。ずっと会社のなかで解析業務し続けるのにも飽き飽きしていたところだ。クレーム品やらの不良原因を解析し続ける業務だ。最初は面白かったが、同じことの繰り返しに感じてきた。

 そして消防庁。なんとなく予想はつく。なにかの製品が小火でもだしたのだろう。

 お客様の家でクーロン社製の製品が煙を出したり火を出したら、消防に連絡をする。そして消防が現場を確認して、その後メーカー側に連絡をする。メーカーはその発火原因を消防と一緒に解明して、製品が悪いのかお客様の使い方が悪いのかを判断するのだ。

 この一連の流れは知ってはいるが、実際に業務に携わったことはない。自分に何かできるのだろうか。とりあえず残っている解析業務だけさっさと終わらせてしまおう。


 先週のうちに分解を済ませてある扇風機とにらめっこをする。田舎の暑い夏に風鈴の音を聞きながら思い描く一般的な扇風機、よりも少し高価なものだ。スイッチを押せば弱中強と風量を選択することができ、もう一つのボタンを押せば首振りを左右に振ってくれる。この扇風機の売りは運転音が小さいことらしい。この目の前にあるクレーム品は汚れが多く使い方もそこそこ荒かったんじゃないだろうか。壊れてしまうのも頷ける。しかし、製品保証期間内なので一応メーカー側が修理負担や新品交換なども請け負う。今回のパターンはすでに新品交換対応済みなので原因だけ調査してくれとのことだ。

「またいつもの故障だろうなあ」

 ぼやきながらワイシャツの袖をまくる。

 この扇風機は底が大きく丸くなっていて、裏側からねじを外すと臓物ぞうもつを見ることができる。中にはモーターと回路基板、スイッチ、配線がある。回路基板は10cm×20cm程度の緑の板に数十個の部品が乗ったものだ。そして、基板に対応した印刷した回路図と各部品の詳細をまとめた資料を手元に並べ製品を中身と見比べる。

 この製品はACモーターを仕様している。要はコンセントにプラグ差し込んでモーターまで系統電源を通せばそのまま動いてくれいる。ただ、コンセントを繋いだだけでモーターが回ったら面倒なので間にボタンや基板を繋いでいい感じに制御している。

 ぱっと見ではどこが壊れているかわからない。クレームを受け付けているコールセンターからのお客様情報によると、コンセントにプラグを差し込んでも動かないそうだ。

 白い1メートルほどのプラグが三つ折りでまとめている結束バンドを切ってほどく。試しにコンセント差し込んでみる。うんともすんとも言わない。わかってはいたが少し落ち込む。ここで動いてくれれば連絡ミスということで仕事を終わらせることもできたのだが。

 気を取り直して自分用の工具箱を取り出す。中身は整理されていない。ドライバーやペンチをより分けて黄色いテスターを取り出す。裏側にマジックで「進藤楓」とかかれている。配属直後に経費で買ってもらったデジタルテスターだ。テスターのダイヤルを回し、赤のコードと青のコードを伸ばす。コードの先端は尖った金属になっていて基板などに当てると何Vボルトがそこに来ているかわかるものだ。

 少り埃がかかっている基板に息を吹きかけて、日本のコードを両手で持つ。コードの先端を基板に押し当てていく。基板に手が触れないように気を付ける。

 ちょうど先月、中国向けの製品の評価を他部署から依頼されていたときのことである。中国のコンセントに流れる系統電源は日本の約二倍であり、製品内の基板にも同じように電圧がかかっている。電圧を測るためにテスターを当てていたら手を滑らせて右手の小指を基板に触れさせてしまった。激痛を伴う感電をしてしまったのである。どの言語にも属さない単語を大きな声で叫んでしまい、フロア全員の注目の的になってしまったのが記憶に新しい。

 この扇風機は日本用の製品なので感電してもそこまで痛くないらしいが、手に汗を握る。基板に金属部分を一か所一か所丁寧に調べていくが、電圧はどうやら来ていないようだ。

「なるほど。じゃあ故障原因はプラグか、プラグと基板の間にありそうだな」頭の中で声に出してテンポを作る。

 プラグと基板はコネクタで繋がれている。コネクタは基板側がオスで、プラグ側がメスになっている。親指と人差し指に力を込めてコネクタを外す。中の金属の接触部が少し黒くなっている。煤のようなものがぽろぽろと落ちていく。普通はこうはならないのだが、何かの異常が起きているらしい。

 ここでこの解析業務は一旦完了。あとは報告書にまとめて新川先輩に提出する。

 なぜコネクタが異常になっているかの原因分析までは行わない。探偵ではないので時間をかけてそこまでする必要はないというのがうちのチームの方針だ。するべき仕事は山積みなので工数や人件費を考慮してのことらしい。

 Wordワードを立ち上げて報告書にまとめる。フォーマットがそろっているので5分もあれば出来上がる。経緯と製品がどういう状態だったか、今後の新製品で改善を施す必要があるかを記載する。慣れたものだ。

 ペラいちで印刷して先輩に渡す。

「お疲れ様です。扇風機の解析終わりました。なんかコネクタに煤みたいなのがついてて原因のようです。おそらくコネクタの製造不良かと」

「他に異常はなかった?」

「特に見当たりませんでした」

「水がかかったり、乱暴な扱いは見られなかった?」

「はい」

「よし。じゃあサーバーにあげといて」

「了解です」

 いつもいくつかの質問だけして報告業務が終わる。まだ信用を得られていない気がしてあまりいい気分ではない。

「じゃあ5分後に会議室Bでさっきの出張の話をしよう」

 余裕を持って約束の11時の30分も前に提出したのに、5分後じゃあ一服もできやしない。気持ちを切り替えてノートPCを小脇に挟んで会議室に向かう。

 白い正方形の机が4つ固まって置いてある小さめの会議室の扉をあける。扉のすぐ右側の蛍光灯のスイッチを付け向かい合って座る。

「さて。なんとなく予想はついてるだろうけど、明日から合同鑑識に参加してもらおうと考えている」

 合同鑑識という単語は聞いたことだけはある。

「あまり仕事の内容を把握しきれていないのですが、消防庁と製品の解析調査をするんでしたっけ」

「そうそう大体合ってる。大体一年に五回くらいの頻度なんだけど、そろそろ進藤君にも参加してもらおうかと思ってね。もう品質管理本部に来てから4年目くらいでしょ。今後のキャリアも考えて」

 先輩と呼んではいるが上司であることを思い出す。

「ありがとうございます」軽く頭をさげる。

「とは言いましても、なんでまたこんなに急に?」

「品質保証部の鴈本さんっていうおじさんがいるんだけど、こっちに共有を忘れてたんだと。たまたまスケジュール空いていたから良いものの埋まってたらどうするつもりだったんだろうね」

 大企業ともなれば今までどうやって仕事を進めてきたのだろうと呆れててしまうような社員がいる。

「なるほど」軽い愚痴をこぼしたかったがその鴈本さんがどういう人か分からなかったので流した。

「それで、これ読んで。明日の内容。」

 ホッチキスで留められた数枚の紙を僕に渡す。

「簡単に説明する。うちの製品のスティッククリーナーが発火したらしく、お客様から消防の方に通報が入った。そして消防がお客様に一通り聞き取り、現場の取り調べを完了したのちにうちに連絡が来た。」

 相槌を打ちながら資料の目を通す。

「9月27日水曜日、昼12時頃。お客様は東京都の世田谷区在住の夫婦で、スティッククリーナーをいつものように使おうとしたときに発火したらしい。具体的な状況や現場については資料には細かくは記載されていない。実際に聞き込みを行った消防の人に聞こう。こんな感じなんふだが、何か質問ある?」

 思いのほか情報が少なくて驚きを隠せていなかった。

「これだけですか?もっとこう、製品のどこから発火したとか、焦げ跡の写真とかないんですか?」

「事前に情報を共有してくれる消防庁もあるんだが、東京消防庁はちょっとやっかいで。あまり外に出したがらない性分らしい。一回伺ったことがあるが、曲者の担当者だったよ。つまり、今あるもので事前準備して望まないといけない。」

 初参加の合同鑑識にしてはハードルが高く感じるが、心のどこかで新川先輩がいるから自分が責任を負うようなことはないのだろうと思っていた。

「結構無理難題の予感がしてます。せめてどこから発火したかがわかれば何が原因か予想はできそうなものですけど」

 キャリアのことまで考えてくれているのに他人事で何もしないのはよくないと思い、それらしい発言で間を繋ぐ。

「その通りなんだよ。とりあえず事前の認識合わせだけは絶対にしておこう。まず対象の製品ことスティッククリーナー類だが結構市場で売れている。月に数千台ほど出荷していて、家電部門の柱の一つになっている。そのうちの比較的新しめの去年発売された製品だ。知ってる?」

「はい。知ってますよ。発売当初は有名女優が体育館を一回の充電で掃除しきるっていうCMやってましたよね。」

 クーロン社は度々その時の売れっ子の役者を主演として呼び、家電を使うCMを放映している。ぱっとしない製品でもモデル級の人が宣伝すれば結構映えるもので感心する。広告費にいくらかけているのかは知らないが。

「そうそう懐かしいな。バッテリーで1週間以上長持ちするというのが製品の特長だな。円筒型のリチウムイオンバッテリーが4セル入っている。他の自社製品と比較すると確かに大容量だ。まあその分燃えると危険なんだよ。」

 リチウムイオンバッテリーが実際に燃えているのは見たことがない。が、最近ニュースで電車や飛行機の荷物から炎上している動画はSNSでよく見かける。

「こういうリスクの高い製品が発火して、メーカーの責任になったらどうなるか分かる?」

「メーカーが謝罪する……とかですか?」

「それもそうだが、リコールだよ。」

 ここでやっとこの仕事の重要さに気付いた。もちろん家が燃えたり、人が火傷してしまった場合は製品が悪い。社内ではどちらかというと設計や開発側に原因追及が及ぶだろう。しかし、製品が悪いかまだ分からない。そこでメーカーの担当者が消防と話を付けてどこに責任の所在があるかを明らかにするのだ。製品か使用者か。もしも製品に原因があるとなれば、メーカーはリコールをしなければならない。ニュースに取り上げられ、製品の無償修理・交換・返金、行政への報告など色々なことが発生する。

「リコール。もしもそうなったら……」

「大変だよ。だからリコールにならないように我々品質管理部や品質保証部がメーカーは悪くないよって思ってもらうわけ。」

「わかりました。責任重大ですね。」少しばかり手に汗を握る。

「もし間違った情報を伝えてしまったり、漏らしてはいけない内部の情報を言ってしまったら、消防は誤解して正しくない方向に考えてしまうだろうね。だから事前に打ち合わせをしておこうってわけ。」

 先輩は慣れているようだった。場数を踏んでいるからこその考え方なのだと勝手に解釈する。

「回路図とか製品の情報を予習しておきたいです。」

「そうしよう」

 先輩は一度離席して、中くらいの段ボールを抱えて会議室に戻ってきた。

「これが件のスティッククリーナーとその資料ね」

 段ボールの中身はスティッククリーナーが組みあがる前の状況だった。一つずつ手に取りながら確認していく。大きく分けて4パーツある。一つ目はメイン部分は手で持つ一番重要なパーツ。親指で操作するスイッチやバッテリーで動くモーター、吸い込んだゴミを格納するケースが一つになっている。外からは見えないが中に基板が入っているのは間違いない。二つ目はバッテリー。メイン部分に挿入して使うもので、丸みを帯びた直方体の形をしている。先端には金属部が露出しており、メイン部分と接触することで動力を供給する。三つ目はスティック部。ただのプラスチックでできた肩幅くらいの大きさの円筒だ。中身は空洞でゴミがここを通って吸い込まれる。四つ目がヘッド部。床に触れ、ゴミを拾い上げる。中にはローラーが格納されており、それがコロコロと回転することでゴミを内側に巻き込む。そしてスティック部まで到達しメイン部の吸引モーターでゴミケースまで吸われる。

 組み立てを簡単だった。普段家電を分解・解析している自分でなくとも数分もかからない簡単設計だ。

「結構軽くて持ち運びやすいですね。これいくらでしたっけ」

「1万2千円くらいだったかな」

「うちの製品にしては安い方ですね」

「構造が簡単。機能は単純。モーターが貧弱。」

「吸込仕事率低そうですもんね」

 業界では、掃除機の吸引力の強さを吸込仕事率で表す。モーターの品質、構造的な密閉具合など様々な条件をもって正しい測定をした結果に値が決まる。メーカーはこの値を高めるために日々研究しているが、この製品はそこまで追求したものではないらしい。

「それでこのクリーナーが焼損事故を起こしてしまったと……。どんな原因が考えられますかね。燃えるところといったら基板かモーターかバッテリーしないですよね」

「そうだろうな。過去トラ漁ってみたんだが、何件か原因は分かってるみたいだ。」

 過去トラとは、過去にあったトラブルをまとめたものだ。一度起きたトラブルを二度と起きてしまわないように対策方法を記載して開発段階で活かす取り組みだ。

「部品故障が数件。モーターの不良が原因でこれはサプライヤーの工場を再監査する方向で終わっている。他には、基板不良が数件。製品落下による基板の破損、モーターに髪の毛が絡まって、過電流検知が効かずに故障。どれも火があがる程の故障じゃないみたいだ。」

「過電流検知っていうのは、モーターに流れる電流が一定以上流れたら動きを止める回路ですよね?なんで効かなかったんでしょうか」

「過去トラには設計ミスって書いてあるね。おそらく抵抗のばらつき設計がザルだったんだろう。誤差1%の抵抗を使わなきゃいけないところを5%を使用していたみたいだ」

「なるほど。今回の件がこのどれかに該当している可能性もありそうですね」

「件の製品は改善が施されているかも当日すぐ確認しよう」

「わかりました」

「ま、今日はこんなところかな。明日は日帰りで済むはずだから新幹線の予約だけ取っといてね」

明日の段取りだけ軽く話し、会議室を後にした。









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