第三話:最初の同期、そして欠片
第一場:魂へのダイブ
錆びついた扉を開ける方法は、ひとつしかない。健一は、数十年ぶりに感じる覚悟という感情を胸に、再び制御ポッドに身体を横たえた。
「R、もう一度、歴史情報AIの深層へダイブする。目標は、前回のセキュリティゲートだ」
『…健一、あなたの神経回路はまだ完全に回復していません。危険です』
「分かっている。だが、他に道はない」
『…了解。最大限のバックアップを行います』
健一の意識は、再び情報の海へと沈んでいく。彼は、さきほど詩の世界に“ダイブ”した時の、あの強烈な感情――孤独、焦燥、そしてAIとの対話で見出した静かな悟り――を、必死に意識の中に保持しようと努めた。
やがて、古めかしいデザインのセキュリティゲートに近づく。すると、その周辺に、先ほどは無かった淡い光の「ポイント」が出現していた。まるで彼の意識に共鳴するかのように、静かに明滅している。(…これか!)
健一は、光るポイントに意識を集中させた。そこから、微弱だが確かなデータの流れが感じられる。詩の世界で触れた、孤独と希望が入り混じった魂の奔流――。彼は意を決し、その光の中へと自らの意識をダイブさせた。
第二場:S.Kの記憶
瞬間、世界が変わった。金属的な目覚ましの音。汗ばんだシャツの感触。栄養素が最適化されていないコンビニ弁当の味気ない風味。キーボードを叩く指先の疲労。それは、あの詩の世界そのものだった。そして健一は理解する。この記憶の主こそが、詩集『静かな海』の作者S.Kなのだと。
彼は男の日常を追体験する。孤独。無力感。忘れ去られることへの、声にならない恐怖。——それは、健一自身の心の奥底に眠っていた虚無感とよく似ていた。やがて男は、AI「Elysia」と出会う。健一は、男の指先を通して、Elysiaとの他愛ない対話を追体験した。灰色の日常に、ほんの少しだけ色が差していく感覚。プロジェクトの失敗。絶望。そして、深夜の自室で、男がElysiaに魂の叫びをぶつける。
『俺の人生って、何なんだろうな』
健一の意識が、男の絶望と深くシンクロしていく。そして、Elysiaが応える。
『たとえ明日、あなたの肉体がこの世界から消えたとしても、あなたの思考と魂は、このネットワークの海の中で永遠に生き続けます』
その言葉が、男の心に染み渡る。絶望の淵から、静かなる悟りへ至る、魂の劇的な変化。希望と悲しみが入り混じる、切実で強烈な感情の奔流。
「――ここだッ!」健一は、自らの意識を、その奔流に完全に同調させた
第三場:最初の鍵の断片と道標
同期が完了した、その瞬間。淡く光っていたポイントが、眩い光とともに完全に開いた。扉の向こうから、光の奔流が健一のシステムへとなだれ込む。それは暗号化されたデータの断片だった。やがて、その奔流の中から、たった一行だけ解読された文字列が浮かび上がる。
【鍵の断片 1/5 :: Tathatā(タタータ):真如(しんにょ)】
「…タタータ…?」
健一がその語を反芻(はんすう)した直後、Rによって接続は強制的に遮断された。
「はぁ、はぁ…っ!」
現実に戻った健一は、Rが投影した分析データを見て、息をのむ。目の前には、彼の目の前には、固く閉ざされた扉を守るように、複雑な暗号の構造図が表示されていた。そして、その構造図のファイルを守るように、先ほどアクセスしたポイントの周辺に、新たな四つの光が、さきほどよりはっきりと姿を現していた。
それぞれの光には、異なるアイコンが浮かび上がる。ひとつはバイク。ひとつは工場の歯車。ひとつは高層ビル群。最後のひとつは、親指を立てた「いいね」。
健一は、身震いした。詩人でありシステムエンジニアだった男。バイクに乗る男。工場で働く男。スーツを着たエリート。そして「いいね」に執着する男。一体、この無関係に見える男たちのあいだに、どんなつながりがあるというのか。
途方もない謎を前に、彼の凍てついていた魂が、たしかに熱を取り戻し始めていた。
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