弦楽プロノイア

武良嶺峰

第1話

 ふと弾きたくなった時、それは楽器を弾くべきタイミングである。何の予定もない土曜日の午前七時。バターを薄く塗ったトーストをコーヒーと一緒に食べ終えて、一週間分の衣服を洗濯機に放り込んだばかりである。火にかけたヤカンがぷしゅうと音を立てたので、私は慌てて火を止めた。やかんの蒸気が行き渡りやっと室内が暖かくなってきた。就職を機にこの町に越して来てすでに三年が経ち、早くも四年目の春である。洗濯槽の中の衣服がゆっくりと回るのを眺めながらこの三年間のことを思い出す。何もわからずに入社した機械部品卸の弱小商社の営業としては働き始めた時、日々、自分の不甲斐なさにアパートの自室に戻っては沈みこんでいた。決して会社での失敗や悔しさで泣くことはなかった。ただ、そんなことよりも日曜日の夕方にどこからともなく聞こえてくる町内放送の夕焼け小焼けのメロディーとか、音程の外れたいつものコンビニの入店音とか、ふいに口ずさんでしまったトロイメライの調べとか、そういうものを思い出すと不意に目元が滲んでしまったが、それはどうしようもないことだろう。悔しくて負けたくない。負けたくないけれどかなわない。大きなうねりの中で私のような小さな人間の涙など吹けば飛んでしまうような些細なものなのである。ピーという機械音が聞こえると、洗濯機は回転を止めた。ぼんやりとした私の夢想は終わった。

 自宅から市電に乗って二駅先で降り、十分程歩いた所にある公民館が活動場所だった。インターネットで見つけたアマチュアオーケストラの活動場所は想像していたよりも近くだった。初めての場所、初めての人、初めての環境には私はどうにも慣れることはできなかった。公民館の入り口を入ってすぐ左側に受付があり、中を除いた担当者の人影は見えなかった。正面のホワイトボードの掲示板には『水郷交響楽団』の文字が見え、『二階研修室』と書いてある。私は二階に上り、研修室の引き戸を開けた。研修室には十人程がいて、皆、パイプ椅子に座り、各々楽器の音を鳴らし、チューニングをしていた。研修室は十メートル四方程度の広い空間で、壁際にはパイプ椅子が重ねて積まれていた。室内を見渡して、スーツを着て、髪を綺麗に整えた白髪の代表者らしき老人の元へと向かった。

「先日メールで連絡したものです」と挨拶をした。

「よく来てくれました。篠原澄玲さんですね。今日はよろしく。楽器を持ってきているのなら、ぜひ参加してください」と老人は言い、私に名刺を手渡した。そこには、『水郷交響楽団 団長 松永重信』と書かれており、想像していた通りこの老人が代表者だった。

「よろしくおねがいします」と私も小さく答えると、松永氏はパイプ椅子を一つ取って、バイオリンの列の後ろ側に座ってくださいと言った。私は一つパイプ椅子を取り、一番奥に座ると、バイオリンをケースから取り出し、調弦を始めた。久しぶりに出すAの音はひどく低く、調子はずれの音がした。しばらくすると、弦楽器の音に交じり、管楽器が聞こえてくると、弦楽器の音は次第に消えて、管楽器の重低音、Aの音だけが室内に響くようになった。指先の四弦から顔を上げ、周囲を見渡すと、三十人近くが既に集まっており、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス等の弦楽器だけでなく、先ほどから重低音を響かせていたホルンなどの金管楽器や、オーボエ等の木管楽器の姿も見えた。アマチュアオーケストラと言えども、十分な編成だと思い、私は緊張感を強めた。正面の指揮台の方を向くと、ちょうど松永氏が指揮棒を振り上げたところだった。それと同時に室内はぴんと紐を張ったように静まった。


 バイオリンは中学から高校までの六年間、個人レッスンで習っていた。中学生一年生の時、駅のロータリーの広場でカルテットによる小演奏会があり、そこで曲目はわからないがアイルランド民謡と思われる曲を聞いた。覚えているのは五十代から六十代くらいの中年男性達が楽しそうに演奏していたのをよく覚えている。初めてバイオリンに興味を持ったのはその時だと思う。家に戻って来てから両親に頼みこみ、その年の冬にバイオリンを買ってもらった。普段両親に願い事などあまりしなかった私だったので、両親はすんなりと買ってくれた。先生宅でのレッスンも自宅での練習も何よりも楽しく、楽器を弾く喜びをこの時に享受したことは今でも尚私の生きる糧となっている。音楽大学に行ける程の腕前まで到達できなかった私は普通の四年制大学に入学し、カルテットサークルに入った。ここで他者と音を合わせる喜びを知った。就職と同時に初めて地元を離れ、現在も勤務している県外の会社へと就職してから三年間はバイオリンケースを開けることはなかった。バイオリンを弾く気持ちの余裕がないほどに、世の中に、社会に、会社に、そして上司や同僚に適応するために必死だったのである。四年目の今になっても、私自身が世の中に適応できているのかどうかと問われればそれはもちろん適応できていないのは明らかである。ただ、またバイオリンを弾きたいと、そう思っただけである。

 公民館での初回の合同練習の後、指揮者である松永氏からセカンドバイオリンとして参加してくれますかと誘いを受けた。私は二つ返事でもちろん、よろしくお願いしますと答えた。水郷交響楽団のトップはコンサートミストレスの若い女性だった。初回の練習で私の隣に座った女性が小声で、コンサートミストレスの女性は秋という名前で、私達のようなアマチュア演奏家ではなく、弱冠十九歳の嘱託のプロ演奏家なのだということを教えてくれた。その女性は妙子という五十歳代くらいのセカンドバイオリンの女性だった。妙子は、他に二人の嘱託のプロ演奏家がおり、その内の一人は指揮者の老人である松永氏と、それとセカンドバイオリンのトップを務めている三十歳の藤堂という男性だと言った。初回の練習で私が感じたのは、秋の演奏は極めて正確な音程、リズムであり、それは素人の私の耳にも聞き取ることができる程のものだった。秋の奏法を端的に表すとすれば、それは≪楽譜を忠実に再現する演奏≫に尽きる。初回の練習後に、妙子にそのことを伝えると、

妙子も同じ印象を持っていると言い、さらに秋と話をしたことも、秋が誰かと話をしているところも見たことがないと言っていた。


 入団後、三回目の練習があった日、奇妙な出来事があった。その日の練習曲は小曲、ビゼーのアルルの女だった。曲の終盤に向かうにつれて、加速し、オーケストラ全体が走り出したような感覚があった。私が気分良く、弓を上下し、指を滑らせるようにして曲に身を委ねていると、指揮棒を振る松永氏の左斜め前で弾いていた秋のバイオリンのG線が切れて公民館内に大きな音が響いた。それと同時にそれまで低音で響いていたG線のメロディーが聞こえなくなり、指揮者は両手を大きく水平に振り、演奏を止めた。秋の方を見やると、当事者であるはずの秋はまったく驚いた顔を見せずに、我関せずといった感じで淡々と近くに置かれたバイオリンケースから新しい弦を取り出して、弦の交換を始めていた。若いのに非常に肝の据わった女性だと、私は妙に感心していたが、その後に秋が取った行動が奇妙だった。弦を交換している秋に団員の視線が集まったのは想像の通りで、私もまた秋の一挙手一投足を見つめていた。視線の先の秋の左側の額に赤い血が滲んでいた。それは切れた弦が当たったためだった。それでも秋は流血していることを気にせず弦の交換を終え、調弦を始めたのだった。それはとても奇妙な光景だった。しばらくして指揮台の上から秋の額が赤く染まっていることに気づいた松永氏が急いで秋のもとへかけつけて、自分のハンカチを秋の額に押し付け、止血をした。松永氏は非常に慌てており、他人事のように額の出血を気にしない秋の冷静さとのコントラストが不気味だった。横に座っていた妙子も秋の姿をじっと見つめていた。


 最寄り駅から公民館への道路は河川敷の堤防沿いに緩やかに右寄りに曲がっていた。私は時々道路から一段上の堤防の登り、その先の河川敷をゆっくりと川沿いに上流へ向かって歩いていくことがあった。その日も、私は早めに最寄り駅に着くとのんびりと河川敷を歩いていた。右寄りに曲がった河川敷は先を見通すことができず、もうすぐ公民館に到着するというところで、低いホルンの音が聞こえてきた。その音は想像していた通り、オーケストラの老兄弟の吹くホルンとトランペットの音色だった。あの老兄弟は練習の時もいつも隣に座っていた。きっと仲が良いのだろう。老兄弟は二人とも同じように腹が大きく膨らんでおり、今にもはち切れんばかりの典型的な肥満体形だった。私は初めて見た時から老兄弟に対し、金管兄弟と名付けて、勝手に面白がっていた。老兄弟は共に六十歳は過ぎているのだろう。脂ぎった頭頂部の白髪は少し薄くなっている。金管兄弟は練習に余念がなく、私には気が付かないようだった。そして何より不思議だったのは、普段はスーツを着ていた二人が、今回は二人とも道化のようなカラフルなストライプのズボンを履き、先の尖った色違いの帽子をかぶっていたことだった。私はその姿を見て背筋に冷たいものが走るのを感じた。

妙子さんは誰も知り合いのいない私のことを気遣ってよく話かけてくれて、この楽団のことを色々と教えてくれた。川沿いで練習していた道化姿の金管兄弟のことを話すと、妙子さんはあの二人は人を笑かすのを生きがいにしているのよ、もう十年くらいこの楽団にいるはずよ、ちょっと変わっているけれど悪い人じゃないわよと教えてくれた。妙子さんが教えてくれる情報はどれも興味深いものばかりだった。その中でも特に気になったのは、指揮者の松永氏と秋の関係だった。G弦が切れて秋が怪我をした時に、慌てて飛び出てきた松永氏の様子は、二人の間にあるただならぬ関係を想像せずにはいられなかったが、妙子さんが言うには、時々二人で揃って練習に来たり、練習時に松永氏が小声で親し気に話かけていることがあるが、それ以上の事は知らないらしい。

 入団から二か月後、練習後に松永氏から手招きされ、指揮台まで行くと、来週の弦楽四重奏の演奏会に一曲のってくれないかと、依頼を受けた。それは私にとってとても喜ばしいことだった。再び秋に対して違和感を持つようになったのは、その屋外での弦楽四重奏の演奏会の時だった。私が参加した曲は一曲目であっという間に終わってしまった。楽屋として用意されている近くの仮設テントに戻り、パイプ椅子に座って一息ついていると、地面が大きく揺れた。これまで聞こえていた曲はすぐに止まり、演奏が行われている広場からは悲鳴をあげている小さな子供達や、途方に暮れて地面に座り込んでしまっている女性の姿が目に入った。松永氏は、落ち着てい下さい、落ち着いてくださいと大声をあげてこの騒動を鎮めようとしていた。ただ、秋はパイプ椅子に座ったまま、バイオリンの肩当てに顎を当てた格好で、楽譜をじっと見つめていた。半ば予想していたことだった。松永氏はさらに、演奏会はここで中止ですと大声をあげていた。楽団員達は、今日はおしまいだなと各々話しながら、楽器をケースにしまっている。ちりぢりに去っていく楽団員や観客を尻目に私は一直線に秋の座るパイプ椅子へと向かった。

「初めまして、セカンドバイオリンの篠原といいます」

そう話かける私に対し、秋はどこか焦点の合わない目つきをしながらも、視線を私に向けた。

「なぜあなたはいつもそんなにも何事もないかのような顔をしていられるのですか?」

 初対面ではないにせよ初めて交わす会話が疑問形であるというのは自分でも違和感があった。ただ、秋は無反応で、その表情からは何を考えているのか皆目見当がつかなかった。

「なぜあなたは動じることなく、淡々としているのですか?あの時もそう。弦が切れてあなたは流血していました。それでもどこかの誰かが流血しているかのようにまるで無関心だった。あなた自身のことなのに。なぜ?私はこんなにも日々苦しんでいるのに。楽器を弾く時だけはこんなにも喜ばしいのに?」

 私の心からあふれ出る言葉は決壊した土石流のようにとどまる所を知らなかった。しかし、秋の表情が変わる事はなかった。苛立つ私の傍らに、いつのまにか騒動を収めて観客の対応を終えた松永氏が立っていた。

「どうしましたか?秋になにかありましたか?」

 松永氏は穏やかにほほ笑んでいた。

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