第17話 十三翼の罠
「十三翼(じゅうさんよく)」と呼ばれるその地は、天が気まぐれに大地を捏(こ)ね回したような場所だった。
なだらかな丘陵が複雑に入り組み、その間を縫うように狭い谷や、足首まで浸かる湿地が点在している。見通しは悪く、大軍が隊列を組んで行動するには最も不向きな地形だ。
義経は、五百の兵を十三の小さな部隊に分け、それぞれの地形的利点となる場所に伏せさせていた。
丘の稜線、谷の出口、湿地の対岸。彼らは馬を隠し、身を低くして、息を殺していた。
「……静かすぎる」
ボオルチュが、湿った草の匂いがする風の中で呟いた。彼の隊は、義経の本隊と共に、最も奥まった谷の高台に陣取っていた。
「嵐の前とはこういうものだ」
義経は、眼下に広がる複雑な地形を見下ろしていた。彼の頭の中では、この迷宮のような戦場が、完璧な碁盤の目となって浮かび上がっていた。
「敵は、必ず最短距離で突っ込んでくる。先頭集団がこの狭い谷に入り込み、動きが止まった時が、我らの勝機だ」
彼の戦略は、日本の山岳戦で培ったゲリラ戦術そのものだった。
大軍の「面」の攻撃を、地形によって細切れの「線」に変え、それを各個撃破する。
「来るぞ」
義経の言葉と同時に、地平線が揺れた。
ズズズズズッ……。
三千の騎馬が立てる地響きは、遠雷のように腹に響いた。
やがて、丘の向こうから、青き鷹の旗印を掲げた巨大な軍団が姿を現した。彼らは怒涛のような勢いで、義経たちが潜む「十三翼」の入り口へと殺到した。
ジャムカは、丘の上から戦場を見下ろしていた。
彼の目には、義経の軍が、複雑な地形の中に散り散りになって隠れているように見えた。
「フン、鼠(ねずみ)のようにコソコソと隠れおって」
ジャムカは軽蔑の笑みを浮かべた。
彼は、義経がこの地形を頼りに、最後の悪あがきをしようとしているのだと解釈した。
「だが、無駄だ。いかなる小細工も、圧倒的な力の前には無意味だということを教えてやる」
ジャムカは、采配(さいはい)の代わりに黄金の太刀を振り上げた。
「全軍、突撃! 鼠どもを巣穴から炙り出せ! 一匹も生かしておくな!」
オォォォッ!
三千の雄叫びが轟き、先鋒部隊千騎が、雪崩を打って谷間へと突入した。
彼らは我先にと手柄を焦っていた。狭い谷の入り口で馬と馬がぶつかり合い、怒号が飛び交う。
「押すな!」「先に行かせろ!」
彼らの自慢である「個の武勇」が、ここでは仇となった。統制が取れていないため、狭い地形ではただの渋滞を引き起こすだけだった。
さらに、谷底の地面は雪解け水を含んでぬかるんでいた。馬の足が取られ、速度が落ちる。
勢い込んで突入した先鋒部隊は、またたく間に動きを封じられた。
その様子を、高台から見下ろしていた義経の目が、冷酷に細められた。
(かかった)
義経は、静かに鏑矢(かぶらや)を空へと放った。
ヒュォォォォッ!
鋭い音が戦場に響き渡った瞬間、十三の「翼」が同時に牙を剥いた。
「射てぇッ!」
四方八方の丘の稜線から、潜んでいた義経軍の兵たちが一斉に姿を現し、谷底で身動きが取れなくなったジャダラン軍に向けて矢を放った。
ヒュバババババッ!
それは、一方的な虐殺の始まりだった。
谷底の敵は密集しすぎていて、避ける場所もない。上から降り注ぐ矢は、面白いように彼らの体に突き刺さった。
「ぐあぁっ!」「伏兵だ!」「上だ、上から狙われている!」
ジャダランの先鋒部隊はパニックに陥った。盾を構えようにも、隣の馬が邪魔で思うように動けない。落馬した者は、後続の馬に踏み潰されていく。
「退くな! 前へ進め! 敵は少数だ!」
隊長たちが叫ぶが、矢の雨の前では無力だった。彼らの誇り高き突撃は、泥と血の惨劇へと変わった。
後方で戦況を見ていたジャムカの表情が、凍りついた。
「馬鹿な……我が精鋭が、あのような……」
彼は、自分の目を疑った。個々の戦闘能力では絶対に負けないはずの自軍が、敵の姿すらまともに見ることなく、一方的に数を減らしている。
「ジャムカ様! 一度引かせて体制を立て直すべきです! この地形は不利すぎます!」
側近の将軍が進言した。
だが、それがジャムカのプライドに火をつけた。
「引くだと? この私が、あのような野犬の罠に屈して、尻尾を巻いて逃げろと言うのか!」
彼の美しい顔が、怒りで赤く染まった。
「ええい、小癪な真似を! 力で押し潰せ! 第二陣、第三陣も投入しろ! 死体の山を乗り越えてでも進め!」
ジャムカは、狂気にも似た命令を下した。
彼の命令により、後続の二千騎もまた、狭い谷間へと次々と突入していった。
それは、義経の計算通りの展開だった。
敵が多ければ多いほど、この狭い地形での被害は拡大する。
だが、義経は一つだけ、読み違えていたことがあった。
それは、ジャムカという男の、底なしの執念と、彼に従うエリート戦士たちの狂信的な強さだった。
「馬から降りろ! 徒歩(かち)で丘を駆け上がれ! 弓兵を直接叩き斬れ!」
ジャムカの怒号に応え、後続の部隊が馬を捨て、斜面を這い上がり始めたのだ。
彼らは重い鎧を着ているにもかかわらず、野獣のような身体能力で、矢の雨をかいくぐりながら、義経軍が潜む稜線へと迫ってきた。
「なっ……馬鹿な! あの急斜面を!」
ボオルチュが驚愕の声を上げた。
数の暴力が、地形の不利を覆し始めていた。
十三の翼の一つ、最も手前に配置されていた部隊が、這い上がってきたジャダラン兵の白兵戦に巻き込まれ、悲鳴が上がり始めた。
義経の眉が、ピクリと動いた。
「……やはり、タダでは終わらんか」
彼の完璧な計算盤の上に、初めて亀裂が入った瞬間だった。
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