第一章 余生中に舞い込んだ依頼



 聞き覚えのあるような小鳥のさえずりが耳に届き、イザベラは目を覚ました。

 イザベラの心を決定的に変えた〝あの日〟を夢に見るのは、今に始まったことではない。

 男爵令嬢頃に使っていた天蓋付きのものとは異なる質素な木枠のベッドから起き上がったイザベラは、カーテンを開けると、まばゆい太陽に目を細めた。欄干に止まっていた小鳥がそうてんへと羽ばたいていく。

(……まあ、そうよね。聞き覚えがあるも何も、小鳥の鳴き声の違いなんて、わたくしがわかるはずもなかったわ)

 どうやら耳に届いたさえずりは〝あの日〟に聞いたものではなく、今羽ばたいていった小鳥のものだったらしい。

 ついつい夢と現実が混ざり合い、憧れの人の姿を求めて手を伸ばしてしまった。

 が、ここはカナン王国ではなくフェデロス王国で、もっと言うならその首都の一画にある自宅のアパートだ。あの頃一緒にいた両親も、姉も、今はもういない。

 ここで一人で暮らすようになって、どれくらいの時が流れただろう。

 カナンでの出来事があった翌年、両親は馬車の事故でかえらぬ人となった。

 女性は爵位を継げないこの国で、イザベラと姉のリリアンナは住む場所も何もかも失ったが、姉が聖女候補だったおかげで二人は教会に引き取られた。

 しかしそんな姉も、聖女として魔王討伐隊の一員となり、憎き魔王を倒した犠牲者の一人となってしまった。同じく魔王討伐の犠牲となった勇者と共に、姉はティパレス大陸中の人々から今もなおあがたてまつられている。

 そうしてついに独りになってしまったイザベラは、姉のために就職した聖騎士団を辞職し、姉との思い出が詰まった教会からも逃げ出し、もはや余生のような人生を送っていた。


「────と、そんな可哀かわいそう義妹いもうとに、生きるかてを与えて差し上げようと思いまして」

「は?」

 腹の底を震わせるような低音で、イザベラはテーブルの上に前触れなく出現した魔術通信具をにらんだ。

 いや、厳密には、通信具越しに見える灰色の長い髪を一つにくくっている男を。

 この男がそんな髪型をするものだから、イザベラは聖騎士時代からずっと後ろに一つで結んでいた髪型をやめ、三つ編みに変えたくらいだ。まあ、自他共に認める不器用なので、れいに結べたためしはないけれど。

 それなら騎士でもない今はもう髪を下ろせばいいのだろうが、姉からもらったかみひもはなるべく身につけていたかった。

「やだ、わたくしとしたことが。元とはいえ淑女レデイにあるまじき声が出てしまったわ。それで、今なんておつしやって?」

「ですから、まだうら若き十八歳だというのにけ込んだ生活を送っている義妹に、生きる糧を与えて差し上げましょうと言ったのです」

 頭にきたイザベラは、むんずと通信具をつかむと大きく口を開けた。

「あなたねぇ! どの口が言うのよ、どの口が! そもそも全ての原因はあなたでしょうが、この変態!」

 男がくすりと笑う。悔しいが冷え冷えとした微笑はとても様になっている。

 形のいい丸い頭からは黒い角が二本生え、あきらかに人間とは違う姿形をしているのに、その氷像のような美しさは人間にも通用するだろう。

 魔力を持っていないイザベラなので、この魔術通信具はイザベラの所有物ではない。なのにここにあるのは、毎度勝手にこの男──魔王ローレンツが寄越してくるからだ。

 いつも自分の用件だけ済ませてさっさと通信を切る、最低身勝手男である。

 なぜ倒されたはずの魔王が生きているのか、そしてなぜ人間であるイザベラと知り合いのように話しているのか、それらを最初から話すと長くなる。

 が、簡潔に説明すると、聖女である姉が実は生きていて、内密に魔王と結婚したからだ。

「あなたの勝手なたくらみで勇者とお姉様が死んだことにされて、それを聞いたときのわたくしの気持ちがわかって!? この世の終わりよ! 絶望よ! お姉様のいない世界で生きる意味なんてないって聖騎士団も辞めて、もうどうにでもなれって自暴自棄になったのはあなたのせいでしょう!?」

 テーブルの上にある紅茶のみなが、イザベラの気迫でわずかに震えた。

「自分の決断を人のせいにするのはいかがなものかと思いますよ」

「っこの、いけしゃあしゃあと……!」

 イザベラが姉の訃報を伝えられたとき、せめて遺体でもいいからもう一度会いたいと願い、魔族の住むシェグナルト大陸へ単身で乗り込もうとしたことがある。

 人間の住むティパレス大陸と魔族の住むシェグナルト大陸は、大型魔物のむ海を越えなければ行き来はできず、当時聖騎士団の仲間に全力で止められたものだ。

 危うく監視まで付けられそうになったけれど、それより先にこの魔術通信具が現れた。

 そこに映っていたのは、死んだはずの姉だった。

 そうしてその本人から、実は生きているからりを説明されたのだ。

「事情が事情だからお姉様は仕方ないとして、あなたのことは一生許すつもりはなくってよ。いつかその顔に拳を入れに行くから覚えてなさい」

「まあまあ、落ち着きなさい。それでも自ら死を選ばなかったのは、なぜです?」

 急に痛いところをかれて、イザベラは口籠もる。

 両親きあと、姉が両親の代わりにイザベラを育ててくれた。思春期の大事な時間を犠牲にしてイザベラのことを優先してくれたのが姉だった。

 聖騎士になったのは、そんな姉に恩返しがしたかったからだ。聖騎士は聖女や神官を守る騎士である。だから入団したときは何がなんでも聖女の護衛騎士になれるよう努力した。

 そのかいあって聖女付きの騎士になれたまではよかったが、残念ながら魔王の討伐にはついていけなかった。いくら剣術や武術にひいでていても、魔力も聖力もない人間は連れていけないと言われてしまったからだ。

 代わりに毎日、姉の無事を祈っていた。

 だから姉の死を聞いたとき、確かに自死という選択肢が頭をよぎらなかったとは言わない。自分も両親や姉と同じ場所へきたかったという思いがなかったとも言えない。

 それでも自死を選ばなかったのは、やはり姉が理由だ。彼女が悲しむと思ったから。

「リリアンナのためでしょう? これは、そのリリアンナの願いでもあるのです」

 本当にきような男だ。姉の名を出せばイザベラが弱いことをわかっていて口にしている。

 いっぱい我慢させてしまった分、姉には幸せになってもらいたい。ずっと自分のわがままなんて口にできなかっただろう分、姉の願いならなんでもかなえてあげたい。そう思っているイザベラの心を、ローレンツは容赦なく利用してくる。

 なんとも腹立たしい。腹立たしいけれど、それが全て姉のためだとわかっているから、イザベラは結局利用されることを甘んじて受け入れてしまう。

 つまるところ、イザベラもローレンツも、リリアンナには弱いのだ。

「それに、あなたが死を選ばなかったもう一つの理由も、私は存じ上げていますよ」

 ローレンツが意地悪く口角を上げたのを認めて、まさか、と息をむ。

 音にならない空気を何度か吐き出してから、ようやくまともな声が出た。

「そんなの、はったりだわ」

「ヴァレルド・サージェスという男なのですけれどね」

 その名を聞いた瞬間、頭にカッと血が上る。

「っ最低! 最悪! この悪魔!」

「『魔王』とはよく言われますが、悪魔は初めて言われましたねぇ」

「ちょっと本気でそこから出てこられないの? そのお綺麗な顔を崩して差し上げるわよ」

「私の顔を褒めていただき光栄ですが、彼もまた、なかなかの色男ですよねぇ。その色男にも関係するお話です」

 勢いあまって通信具を壊さないよう我慢するのが大変だった。

 初めて彼──ヴァレルドにったあの日から、ちょうど六年。今年もまた見事な薔薇ばらの咲く時季が巡ってきたが、彼とはまだ再会を果たせていない。

 それどころか、カナン王国の王族籍から彼の名前は抹消されている。

 なぜなら。

「いやあ、ちょうどよかったですよ。彼がフェデロス王国に亡命してくれていて。ヴァレルドという名はよくあるようですし、名字が変わっていましたから捜すのに苦労しました。まあ、我が義妹は、とっくに知っていたようですけれど?」

 そう、ヴァレルドはカナンの王位継承権を放棄し、いつときだけ行方知れずになっていたのだ。うわさでは後継争いで殺されたのだとか、病気で死んだのだろうだとか、当時のカナン王国ではちょっとした注目を浴びていたらしい。

 といっても、ヴァレルドはもともと側妃の子どもで第三王子ということもあり、あまり表舞台に立つことのない王子だったのが幸いして、もしくは王妃が噂を操作したからか、人々の関心はすぐに別のものへと移っていったが。

 淡い恋にもなりきれなかった何かが、静かにイザベラの中で終わった瞬間だった。

 当時はせめて彼の生存を願っていたが、それがまさか自国フエデロスで──さらに言うならその王宮で姿を見かけることになるとは思ってもみなかったのだ。

 本当は何度も声を掛けようとした。しかし彼は名前を変え、出身地も偽っているようだと知り、イザベラは何もできなかった。

 あの日のお礼を伝えることも。近況をたずねることも。

 代わりにヴァレルドの〝今〟を知るため、こっそりと情報を集めたことがある。そうしてどうやら彼が現在フェデロス王国で宮廷魔術師となり、部下から慕われ、上司からは信頼されてと、順風満帆な第二の人生を送っているらしいことが判明した。

 なおさら声なんて掛けられるはずもなかった。

 だから、遠目に見た彼が人に囲まれながらもどこか笑顔に一線を引いているように見えたとしても、イザベラは気のせいだと思ってそっとしておいた。

 そんな近いのに遠い存在のまま、彼を陰ながら応援する日々を送ることにしたのだが、それが自死を踏みとどまったもう一つの理由である。

「見た目に似合わず臆病で健気けなげですよね、我が義妹殿は」

「さっきからその『義妹』って言うのやめてちょうだい。わたくしはお姉様の妹であって、変態の妹ではないわ」

「話をらそうとしても無駄ですよ。ヴァレルド・サージェスが『ぎよう』の研究をしていることも私は掴んでいます」

 本当に何から何までごうはらな男だ。まさかそこまで調べていたとは。

 ヴァレルド自身隠しているはずの研究をなぜ暴けたのか。イザベラは今もカナン王国で暮らすミシェルとの手紙で教えてもらったから知っていたけれど、フェデロスの宮廷魔術師として働く彼は完璧に隠しているはずだった。

 ミシェルだって、手紙でイザベラがヴァレルドを見つけたことを伝えなければ教えてはくれなかっただろう。

(なにせ『異形』は魔族のあかし。ミシェルにある『異形』の謎を、原因を、突き止めるための研究だもの。そう簡単に口にできるものではないわ)

 イザベラはそこでふと気づく。

「ちょっと待って。ヴァレルド様が関係していて、研究のことも知っているということは、まさか『異形』関連なの?」

「間接的にそうかもしれないというお話です」

 ついつい半目になる。この男の話はだいたいがろくでもない。そもそも初めてこの通信具を介して会話したときだって、いきなり人の姉を〝妻〟だと紹介してきた男だ。

 しかもリリアンナからの強い希望がなければ一生報告するつもりはなかったらしいと知ったときは、本気で殺意が湧いたものである。

(お姉様のことは大好きだしお姉様のすることは全肯定でいたいけど、いまだにこの男を選んだことだけは納得いかないのよね。というより、この男のどこがいいのかが謎だわ)

 まさか大好きな姉は、男の趣味だけは悪かったのだろうか。

「あなた今とても失礼なことを考えているでしょう?」

「ええ。今からでもお姉様を連れ戻しに行こうかしらと」

「やめておいたほうが身のためですよ。魔力も聖力もないのに、あの海は渡れませんからね。私とて、リリアンナが悲しむとわかっていてあなたを死なせるわけにはいかないのですから」

 くっ、とみする。なんの力も持たない我が身が憎らしい。剣や腕っ節だけなら騎士の男にも負けない自信があるというのに。

「さて、そろそろ本題に入りましょう。長い話になりますから、紅茶をれ直しますか?」

「必要ないわ。話して」

「ではお言葉に甘えまして」

 そう前置きした魔王が「買い物行ってきて」とお使いを頼むようにさも気軽に、かつにこやかに、はっきりと告げた。

魔王わたし聖女リリアンナの子を、あなたに育ててほしいのです」

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