3 御伽噺と史実と名前
『状況の、把握とか……安寧もだけど……嘘っぱちの、パフォーマンスでも……やりすぎだし……趣味、悪いからね……』
しゃがみ込んだ彼に支えられているメアは、悪態をつく気分で口を動かす。
一つ一つの動作がとても億劫で、眠いというかダルい。
『すまない。嘘ではない大惨事だし、悪趣味なのも同意見だ。すぐに原因を突き止めて事態を収束させなければ』
姫子たちが心配そうに駆け寄ってきて、大丈夫かと声をかけてくれる。友人たちに大丈夫だと安心してもらって、怪我の心配やお礼を伝えたいけど。
自分を心配するように見つめてくる彼が本物なら、あのことを先に伝えないといけない。
『いや……そういう意味の……悪趣味じゃなくて……』
生きてきて吸血したこともされたこともない。明確に禁止されている訳ではないが、同族同士でのヴァンパイアの吸血行為は禁忌に近いと沈黙で語られてきた。
救世主である不死の王のような存在を生み出さないため、彼らの身に起きた悲劇をもう二度と繰り返さないためにと。
『本当にすまない。力を取り込みすぎたようだ。少しでも返したほうがいいだろうか? 食べて回復する気力は残っているか?』
『戻さなくていい……アンタが、本当に『救世主のヴァンパイア』なら……あたしにそういうの……本当はしないほうがいいから……』
『どういう意味だ? 純血でなくても血族なのは変わらないだろう』
心配して不安そうな表情をしている彼に、
『後出しでごめんだけど……あたし、夢魔の血も混ざってんだわ……』
苦笑と共に伝えた瞬間、彼はまた泣きそうに顔をゆがめ、震える口を動かす。
『……君は……彼女の血族でもあるのか……』
泣きそうな彼の呟きを聞いて、メアは改めて思う。
企画とか演出とか、パフォーマンスなんかじゃない。
誰かが『御伽噺』をぶち壊したんだ。
一部の人種にだけ伝わる御伽噺を、最悪の形でぶち壊した。
『本当ごめん……マジで、救世主のヴァンパイアさんなんだね……アンタ……』
『君は何も悪くない。早く回復を、君たちは彼女の友人なのだろう? すまないが彼女を』
姫子たちに呼びかける彼に、
『ごめん……ヴァンパイア、さん……一族の正式言語……今はもう、廃れてるくらい、なんだよね……伝わんないから、待ってて……』
メアは億劫さを押しのけて、絶句した彼から姫子に顔を向ける。
「姫子……おばあちゃんに……連絡、頼む……救世主が、帰ってきたって……伝えて……この人、超いい人だから……一旦ウチで預かるわ……」
「きゅ、きゅうせっ?! え?!」
叫んで飛び跳ねた姫子ほどではないにしろ、救世主のことは『人間』みんなが教わるから、他の友人も多少の驚きを見せた。
「いや、えと、連絡する。待ってて。メアは病院、で、いいんだよね……?」
姫子はメアたちヴァンパイアの事情も少しは知っているからか、すぐに切り替えて祖母に連絡してくれた。
「あー……病院もありがたいけど……なんか食べものちょうだい……誰か、余りとか恵んで……たぶんそれで……元気になれる……」
驚きが抜けきっていないらしい友人たちが「残りだけど」「ちょっと崩れてるけども」と、あの騒動の中で守り抜いたお菓子などを渡してくれる。
「ありがとうです……皆さんには……そのうち、お返しをします……」
お菓子をもそもそ食べていたら、メアを抱え直した彼は苦しそうに顔をゆがめていた。
『私は……誰かの意図で、この場に……連れてこられたと、いうことか……? 私と、彼女の、両方を……受け継ぐ……君に引き合わせる、つもりで……?』
『分かんないけど、それが目的だったら悪趣味だよねって話です』
お菓子で少しは回復できたのか、会話だけなら億劫さは軽減された。
体はまだダルくて倒れそうだから、支えてくれるのはありがたいけど。
彼は自分を支える、触れるのすら本当は嫌なのではないか。
考えながら食べていくメアは、混乱しているだろうから逆に聞かないほうがいいかと結論付け、彼に支えられたままお菓子を食べていった。
苦しみ、悲しみ、憎しみ、怒り、絶望。
他にもたくさんの感情が混ざっているんだろう、複雑そうな表情をしている彼に支えてもらってお菓子をもそもそ食べていたら。
『すまない。君が嫌でなければ、やはり僅かでも力を返したい。周囲は混乱しているようだから、君を助ける手がいつ来るかも不明だ』
彼の苦しそうな表情を見て、
『あたしはいいけどさ。アンタは嫌じゃないです? あたしに夢魔の血が流れてんのは本当だけど』
メアは苦笑する。
強大な力を持つ不死の王を陥れる命を受け、夢魔の女が不死の王に近付いた。
夢魔の力に魅入られそうになった不死の王は、夢魔の力に打ち勝つだけでなく彼女を許した。夢魔の一族から追放されて居場所をなくした彼女を不死の王は助け、彼女と不死の王は愛を育んでいく。
二人は今度こそ心から愛し合った。
それを知った夢魔の一族は、他種族を引き入れてまで、不死の王が心から愛する彼女を────
『好きな人との子孫みたいに思ってくれてんだとして。その彼女さんを殺したのも夢魔だろ』
愛する女性を殺され、現実の悪夢を見せられた不死の王は。
彼はそれでも彼女のためにならないからと、復讐心を胸の奥底にしまい込み、同族も夢魔も他種族もまとめ上げた。
一番脆弱で一番数の多い種族、不死の王を陥れろと彼女に命じた『人間』さえも。
半分は愛する彼女と同じ血族だからと許し、他種族と差別することなく受け入れてまとめ上げた。不死の王は平和になった世界で、自分は役目を終えたからと冥界に身を投げた。
この世界に二度と惨劇を起こしてはならないという彼の言葉を受け、平和になった世界で全ての種族は『人間』になった。
一部の人種に伝わるのは、そんな御伽噺。
異種族と関係を持つことが禁忌とされていた世界を変えた『救世主』はヴァンパイアだと教わるが、彼が愛した女性は夢魔と人間のハーフではなく純血の人間だと教わる。
幼い頃になぜなのかと聞いたりどっちが本当なのかと尋ねると「御伽噺と史実は違うんだよ」と御伽噺を知っている『人種』は言い、知らない人たちに聞いたら困らせるからと御伽噺を広めたがらない。
幼いなりにメアが出した結論は、まあ御伽噺だしな、だった。
深く追求してはいけない空気を感じていた。
強大な力を持つ不死の王がどのようにして誕生したのか、同族同士での吸血行為が禁忌に近いことを沈黙で語られるのと同じように。
『今がどういう状況か、誰からどう聞いたのか本当に混乱するが。君に力を戻しても大丈夫なのは分かった』
混乱しているようで呆れているようにも見える彼が、カボチャチュロスをかじっていたメアの手を取り、
『私と彼女は友人だ。彼女も私も、そういった関係だったことなどないし、お互いに想いを寄せたこともない』
チュロスを持ったままのメアの手の甲に口を寄せ、牙を立てる様子もなく力を戻していく。
意識がだんだんとはっきりしてきて、ダルさも軽減されていくのを感じ取る。
『は? いや、まあ、御伽噺だし……史実とは違うんだもんな……』
驚きに目を丸くしてから気を取り直したメアの言葉にまた混乱したらしく、白銀の頭を跳ね上げるように顔を上げた彼が顔を青ざめさせて首を横に振る。
『私とメアが恋愛関係にある御伽噺? やめてくれ。広めようとしているなら本当にやめてくれ。メアの耳に入ったら私が殺されそうだ。よくても半殺しだ』
『……。……アンタがここに居る理由は……まだよく分かんないけど……』
半笑いの表情になったメアは、
「今すぐぶん殴ってやりたい奴が一人確定した! あんのクソジジイ! ポエマークソジジイ! あたしに殴られておばあちゃんにも殴られろ!」
腹の底から怒りの声を上げる。
急に声を荒らげたメアに驚いた彼と周囲を代表するように、姫子がおずおずと声をかけてきた。
「あの……メア……? さっきから何……? そろそろ説明ほしいよ……? さっきのこともあるし、その人が救世主様っぽいのは分かったけど……」
姫子の言葉が聞き取れたのか、彼は白銀の眉をひそめて首を傾げた。
『……メア……?』
『そうだよ! あたしの名前はメアです! 御伽噺でも史実でもその人の名前は語られないけど! 偶然にしちゃ出来すぎだ! 絶対なんか知ってやがるあのクソジジイ!』
メアの怒り交じりの返事に呆気にとられたらしくまた動きを止めた彼と、
「姫子! クソジジイも呼んで! あたしに救世主の彼女で女神みたいに語られる人と! おんなじ名前付けやがったポエマーエルフクソジジイを! オーガ系のおばあちゃんの一撃でぺしゃんこにしてやる!」
「あ、あぁ、うん。なんとなく事態は掴めたよ……良くも悪くも子供心を忘れないよね……メアのおじいちゃん……呼ぶから待っててね……」
怒りが収まらずにお菓子をヤケ食いし始めたメアとの二人を交互に見て気の毒そうに頷いた姫子は、メアの祖父に連絡を入れ始めた。
普段からあまり喋らず大人しい印象を受けるメアの豹変ぶりに、姫子以外の友人たちが戸惑っていたとメアが気付くのは。
メアの祖父母が到着して、メアの宣言通りに祖父がメアと祖母にそれぞれ『一撃』を食らってからだった。
そして良くも悪くも高潔さを美徳とするエルフが慣れた動きで土下座する様を目の当たりにして、
『すまない……彼女の祖父だと聞いたが……君はもしかして、私の友人の──』
呆然と尋ねかけた彼は慌てたエルフに両手でガッチリと口を塞がれた。
それを見ていたメアは友人たちと彼に断りを入れ、祖父にまた『一撃』を入れた。
メメントモリ・ウィルオウィスプ 山法師 @yama_bou_shi
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