第72話 笑いとは「一発ギャグ」である
笑いとは「一発ギャグ」である
それは、事前の予熱や文脈の蓄積を一切拒絶 し、剥き出しの異物を日常の時空へと衝突させる行為である。
論理的な地鳴りを待たず、瞬間的に展開される意味の破砕を突きつけることで、思考回路を強制的にショートさせるのだ。
この文脈の暴力的な切断こそが、因果律の鎖を瞬時に断ち切り、認識を純粋な驚愕へと叩き落とす動的な原理である。
――汐見克也
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ファミレスのボックス席。
窓際の席で、汐見はアイスコーヒーを、大翔はコーラを前に置いている。
料理を待つ間の、少し間延びした空気。
「そういえば」
汐見が突然、真顔で言う。
「一発ギャグが欲しい」
「……は?」
大翔が一瞬間を置く。
「急に芸人っぽいこと言うやん」
「芸人だけど」
「いや、そうやけど。今日どうしたん?」
大翔が不思議そうに汐見を見る。
◇
「ボケのバリエーションとして必要だと判断した」
汐見が淡々と説明する。
「ボケのバリエーション?」
「ボケの型が会話依存に偏っている」
「ほうほう」
「瞬間処理型の引き出しが不足している」
「瞬間処理型……」
「ネタ構造上の自己分析としての課題だね」
「管理上の問題だね」
汐見が頷く。
「言い方が完全に在庫管理やん!」
大翔がツッコむ。
「在庫管理とも言える」
「言えへんやろ!」
◇
「一発ギャグというのは、瞬間的な意味遮断装置だ」
汐見が理論化し始める。
「意味遮断装置?」
「文脈を強制終了させる機能だね」
「ほうほう」
「観客の理解が追いつく前に終わる構造」
「なるほど」
「考える前に終わらせる、という点で非常に合理的だ」
「説明してる時点で一発ギャグちゃうねん!」
大翔が即座にツッコむ。
「そうか」
「そうやで!」
大翔がコーラを一口飲む。
「というか、ここでやる話ちゃうやろ」
「ここ?」
「ファミレスやで。周囲は一般客やねん」
「そうだね」
「空気は静かやし、視線が逃げ場にならへん」
「試すには良い環境だね」
「良くないねん!」
◇
「じゃあ、やってみる」
汐見が真顔で言う。
「え、マジで?」
「うん」
汐見が真顔のまま、コップの水を見る。
「これはまだ"飲まれていない水"です」
沈黙。
周囲の客が一瞬こちらを見る。
「……」
「……」
大翔が頭を抱える。
「プレゼンや。しかも未完成の」
「失敗か」
「失敗とかそういうレベルちゃうねん」
◇
「次、やってみる」
汐見が動じない。
「まだやるんか!」
「今から意味を失います」
一拍置く。
「失いました」
沈黙。
店員が水を注ぎに来る。最悪のタイミング。
「……」
店員が去る。
「失ったんは観客の信頼や」
「なるほど」
「なるほどやないねん!」
◇
「次」
汐見が淡々と続ける。
「これは一発ギャグです」
指で机を一回叩く。
「以上」
沈黙。
「自己申告はギャグちゃう」
「自己申告ではないよ」
「自己申告やろ!」
大翔が声を上げる。
周囲の視線が刺さる。
「このギャグは引き出し不足の代替行為です」
汐見が続ける。
「説明が長い時点で失格!」
「そうか」
◇
「次」
「まだあるんか!」
汐見が周囲を一度見渡してから小声で言う。
「……今、全員を巻き込まなかった」
沈黙。
「巻き込まなあかんねん」
「巻き込んではいけないと思った」
「思うな!」
大翔が頭を抱える。
「今の、滑りました」
汐見が続ける。
「自己採点すな!」
◇
「次」
「どんだけあるねん!」
汐見が真顔のまま一言。
「……今、意味が来ると思ったでしょ」
沈黙。
「来てへんし、もう帰ったわ」
「帰った?」
「意味が帰ったねん!」
大翔が叫ぶ。
「次」
「まだやるんか!」
汐見、スプーンを持ち上げて一拍置く。
何もせず、元に戻す。
「以上です」
沈黙。
「説明足りん以前に、なんもやってへんねん」
「現象は起きたよ」
「起きてへん!」
◇
「次」
「止まらへんな」
汐見、目を閉じて頷く。
「……成功」
沈黙。
「誰に対してやねん」
「自分に対して」
「自分に対してギャグすな!」
大翔が叫ぶ。
「一発ギャグとは――」
汐見が続ける。途中で咳払い。
「今の咳がそれです」
沈黙。
「保険かけるな」
「保険?」
「咳を利用すな!」
◇
「次」
「まだあった!」
汐見が真顔で言う。
「今から三秒後に面白くなります」
沈黙。
三秒後。
何も起きない。
「失敗しました」
汐見が報告する。
「結果報告いらんねん」
「必要だと思った」
「いらんねん!」
大翔が頭を抱える。
「今、僕の顔が変に見えた人だけ笑ってください」
汐見が周囲を見渡す。
誰も反応しない。
「観測者がいなかった」
「シュレディンガーのギャグ持ち込むな!」
◇
「次」
「もう限界や」
汐見、小声で。
「ここ、ファミレスです」
一拍。
「以上です」
沈黙。
「全員知っとる」
「知っているね」
「知っとるねんて!」
大翔が叫ぶ。
「これは一発ギャグです」
汐見が続ける。間。
「……ではありませんでした」
沈黙。
「撤回早すぎる」
「早かったか」
「早すぎるねん!」
汐見、伝票を見る。
「この紙、僕より面白い」
沈黙。
「営業妨害や」
「営業妨害?」
「店に失礼やろ!」
◇
大翔が脱力する。
「もうええわ」
「そうか」
「一発で終わるから一発ギャグなんやろ」
投げやりな定義。
汐見、一瞬考える。
「それなら成立している」
「してへんやろ」
「成立しているよ」
「俺が理解できてへんだけ?」
大翔が頭を抱える。
「そもそも、一発ギャグってキャラ消費なんか、技術なんか、滑った時の逃げ道なんか」
「すべてだね」
「すべてって……」
「一発ギャグは『成功か失敗かしかない』」
「せやな」
「回収不能性が高い」
「確かに」
「その回収不能性自体が魅力とも言える」
「言えへんやろ」
大翔がコーラを飲み干す。
「というか、普通はこれ一番キツいやつや」
「何が?」
「客が見てるねん。誰も笑わへん。でも止めにも来えへん」
「『評価されていない状態』が続くということだね」
「まぁこんだけやればある意味面白いねんけどな」
「なるほど」
汐見が頷く。
周囲は何も起きなかったかのように通常運転。
◇
「でも、今の定義も、一発ギャグだったと言えるね」
汐見が真顔で言う。
「どこがやねん」
「一発で終わった」
「それだけで一発ギャグちゃうねん」
大翔が苦笑する。
料理が運ばれてくる。
二人は何事もなかったかのように、食事を始めた。
一発ギャグの定義は、結局何も定まらなかった。
ただ、汐見の引き出しに「失敗した一発ギャグ」という新しいカテゴリーが追加されただけである。
二人にとってこの迷走はただの日常会話だった。
芸人日記 ―『メソイズムの公式』哲学 × お笑い=迷走コメディ― めそる @me_so
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