秩序の器

@rufuma

プロローグ・1

「ふぅ⋯⋯。」


 モニターから目を離し、立花 七草(たちばな なぐさ)は椅子の上で、ぐっと伸びをする。


 長時間モニターに張りついていたせいか、視界が少しチラつく。


 ようやく記事を書き上げた。あとは、編集長に見てもらうだけだ。


 デスクからちらりと目をやると、どうやら電話口に、控えめな怒りをぶつけている最中のようだ。


 (今は邪魔しないほうが良いかな。)


 そう思った彼女は一階に降り、外の自販機へと向かった。



 自販機の前には、先客がいた。こちらに気づいたその人物は、軽く手を挙げた。


「よぉ、立花。お前も休憩か?」


 声をかけてきたのは、七草の上司である五十嵐だ。


 七草は軽く会釈をし、自販機に小銭を入れた。


「煙草、辞めるって言ってませんでしたっけ?」


「昨日まではな。これは、禁煙できた自分へのご褒美だ。」


 そう言って、当然のように煙草に火を点ける。


 ──つまり、また失敗したわけか。心の中でそう呟きながら、七草はコーヒーのボタンを押した。


 ガコンッ、と温かい缶コーヒーが落ちてくる。


「編集長になんか言われたか?」


「いえ、まだ見せてないです。電話中だったので。」


 カシュッ、とコーヒーを開けながら答える。


「まぁ、どんな記事を書いても、言われる事は大して変わらないと思いますけどね。」


「確かにな。」くっくっと、五十嵐が笑う。


「お前もサボり方が分かってきたじゃないか。」


 煙草を吸いながら、揶揄うように言ってくる。


「いつまでも、新人扱いするのはやめて下さい。」


 軽く言い返す、そんな他愛もない会話の途中で、七草は、小さな違和感を覚えた。


 (⋯⋯ネクタイ、少し曲がってる)


 七草は指摘しようか迷ったが、いつもの事なので黙っておく。


  五十嵐は灰を落としながら、ぽつりと呟いた。


「最近はよ。ネットの噂を追いまわす連中も多いが⋯⋯ああいうのは話半分で聞くもんだ。」


 七草は問いかけた。


「どうしたんですか、突然。」


 五十嵐は肩をすくめて笑った。


「さっき編集長が愚痴ってたんだよ。SNSで拾っただけの噂を、無理やり記事にしようとする若ぇのが多いってな。」


「そうなんですか?」


「おめぇなら真面目だし、そういうタイプじゃないってこと、分かってんだがなぁ。」


 五十嵐は空を見上げ、煙を細く吐く。


「ま、お前は真面目すぎるがな。」


 すると、七草が揶揄うように言った。


「⋯⋯新人教育、やっぱ大変ですか?」


「⋯⋯代わってやってもいいんだぞ?」


 ⋯⋯沈黙。


「⋯⋯そろそろ編集長の電話も終わったでしょうし、戻ります!」


「あ、おい!⋯⋯逃げやがったな、くそ。」



 "面倒ごとは逃げるに限る"



 それは、七草が新人の頃に、五十嵐に教わった処世術だった。

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